唐突だが、日本で一番真面目にお姫様ごっこに取り組んだ女児であったと自負している。
幼稚園児の頃、ディズニープリンセスの小物を身につけキャラクターになりきる友達を見て(それはお姫様ごっこって言わないんだよな〜)とちょっとした違和感ををおぼえていた。
貴女方はお姫様ごっこではなく「ディズニープリンセスごっこ」をしているに過ぎないの。本当の「お姫様ごっこ」は自分の中にある姫マインドを極限まで引き出して、私という名の唯一無二の姫になることなのですわ。
ということが言いたかったのだと思う。そう、私はかなり面倒な女児だった。
姫は基本的に平民と関わらず、一人黙々と工作に興じていた。決して友達がいないわけではない。身分の違いゆえの仕方ない事なのだ。ガチの中世ヨーロッパ貴族が刺繍なんかを嗜むのに近いと思ってほしい。
「ことちゃんも一緒におままごとしよう!」と誘われるも、ついぞ平民と交わることはなかった。姫は若干協調性に欠けていたのだ。
せっせと日々の由なし事を手紙にしたためては、先生や友人のお母様に送る日々。
お遊びに付き合ってくれた他国の女王(母のママ友)から薔薇の花があしらわれた便箋で返事が届いた時のときめきは今も忘れられない。
平民が外で駆け回って遊ぶ中、風呂敷を肩にかけ、おままごと用のスカートを重ねばきしたドレスに身を包む。姫はインドアな運動音痴だったため窓際に椅子を出し、民のボール遊びを遠くから見守っていた。これらが誇張抜きのエピソードなのだから恐ろしい。
なかなかのお嬢様育ちを連想させるかもしれないが、残念ながら夕飯の配膳をサボると「働かざる者食うべからず!」と泣くほど詰められる小市民家庭で育ち、執事・爺や・メイドとは無縁の生活を独り立ちまで続けた。今も安い賃貸アパートの一階で一人暮らしをしている。
お茶はメイドが淹れるものではなく、自らの手で水出しの麦茶パックで作るものだ。なんなら最近はそれすらサボり、お茶の紙パックにストローを差して直飲みする始末。
話は変わり、王侯貴族といえば高貴な身の上に恥ずかしくない教養を身に付けるために猛勉強させられたり、結婚相手まで親に見繕ってもらったりするのが物語においての常である。
しかしそんな姫的慣例は我が城にはない。「自分の事は自分で決めるべし」との家訓のもと、のびのびと逞しい令嬢に育ってしまった。
女王(母)に、なぜこんなにのびのびと育てたのか聞いてみたところ
「言っても聞かなかったから見守るほかなかった」
と返ってきた。
強引に姫的表現に変換すると「気高き志と意思を持ち己のゆく道を開きなさい」くらいだろうか。どんなに突飛なことでも言い出したら絶対に曲げない性格は、幾度となく女王に肝が冷える思いをさせたであろう。
そんな「やべえ女児」の異名を取っていた私も、小学生になるとあっさりと姫マインドを捨てた。
姫を貫いていると、小学校という大きなコミュニティではやっていけないことに気がついたのだ。
とはいえ、姫を名乗るに相応しい我の強さやプライドの高さがそう簡単に変わることはない。一体どこで姫マインドを目覚めさせてしまったのか。母も私も分からない育ちの謎の一つなのである。