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2F/当番ノート

淀みをそのままに、自己を泳がせる 

当番ノート 第61期

「書く」とは飛び道具のようなもので、頭の中の雑念を取り出して一つの文章にすることで綺麗に決着をつけるというか、前に進ませてくれる源になる気がしている。その推進力にあやかりたくて、今まで自分語りを量産してきたのだが、どうも過去の事例と同じように片付かない現状を感じている。

先週、やっかみを丸出しにした社会的弱者の悲鳴が漏れ出る文章を書きながら、これはいったいどこに向かっているのだろうと思っていた。結びをどうしていいのかわからず、来週の私にお任せしようと半ば思考放棄のような形で次回に続くと結論付けたが、託されたはずの私も何をすればいいのかわからずにいる。

なにしろ言いたいことはシンプルで、それはもう前回に書き終わってしまったのだ。「生活保護は大事な制度で私を支えてくれているが、利用停止まで持ち込むのがこれほど大変だと思わなかったので、社会復帰するには適切な援助が必要だ」。そこから私の状態が何一つ変わっていないので、秩序の元に文章をパッケージ化することができない。ボジティブ色が強めなエピソードを持ち出して自分を丸め込むこともできるのだが、混乱し滞った今に嘘をつくことはしたくないのだろう。

生存が保証されているだけで、社会的に孤立しているのが私の体験している生活保護だ。多くの人間は会社や学校に行く。精神障害者である私の場合、社会と繋がりたいならデイケアや就労移行支援、作業所などの選択肢もある。しかし厄介なことに私は「自分が障害者扱いされる場所がマジ嫌い」なので、大人が大人にケアされる残酷な惨めさを支援者はわかっているのだろうか、とか思ってしまう。実際にそのような場所に通っていた時は自尊心が傷つく経験をしてきた。

そうなるともう、私に残された道は一般枠で週に2、3回ほどのペースでバイトをする、くらいしかない。好き好んで障害者を採用するところなどはないので、地道に探すことになる。ゴミに埋もれながらスマホに釘付けの日常よりはままならなさから脱しているだろうが、見通しがぱあっと晴れるような爽快さはない。

おそらくこれを書き終わっても、視界が開けたようなスッキリした感覚は手に入らないだろう。コントロール不能な悔しさを抱え、社会の被害者と開拓者の間を行ったり来たりしながら、進んでいくのだと思う。

滝薫

滝薫

ライター兼福祉の仕事がしたい人。アロマと料理と編み物が趣味というナチュラル丁寧加減ですが、本人は結構辛口です。

Reviewed by
スズキコトハ

書くことがもたらす力は強い。でもそれをもってしてでも太刀打ちできないこと、あるある。それはその人の悩みの程度によってばらつきがあるけれど、滝さんの場合「社会復帰のままならなさ」だった。
社会と繋がるために味わわなければならない屈辱。本当なら優劣も上下も関係ない大人に面倒を見られる悔しさ。
今回のスカーっとしない、わざとさせていないのであろう文章は、きっと今現在をそのまま見せている。
小舟が靄を行くようなおぼつかなけど力強い生活を切り取っているように思えるのだ。

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