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2F/当番ノート

白湯とレモンと貧乏の味

当番ノート 第55期

貧困なんて遠い世界のお話だったタワーマンション育ちの私は、現在顔馴染みの警備員の代わりにクモが玄関先の天井から挨拶してくれる木造アパートに住んでいる。

自宅のキッチン。
自宅のキッチン。

ミネラルウォーターを買うのが怖いのでケトルでお湯を沸かして、100均で買ってきた水差しに注ぎ、冷蔵庫で冷やす。引っ越してからしばらくはケトルなんて文化的なものもなく、鍋で沸騰させていた。3日も経てば完全にその味に飽き、白湯が甘いなんて大嘘だ、そんなものセレブかモデルがレモンを垂らした時に初めて発現するうまみに違いないと悪態をつく。そして、これから長く続くだろう節約生活に思いを馳せた。

湯冷まし飲料水を見るたびに自らの懐事情を思い出し悲しくなっているわけにもいかないので、水出し緑茶パックを放り込む程度の贅沢は自分に許すことにし、さて、これからどうしようと頭を抱える。今、私は生活保護を受給している。

この書き出しは、去年の9月の心中を残したものだ。約半年が経ち、生活は大きく変わった。この連載では、それに伴った気持ちの変化や、私の暮らしの様子を綴っていきたいと思う。

注意してほしいのは、この生活日誌は「私」だけの体験であり、全ての生活保護受給者に当てはまるものではないということだ。例えば、私の近所には安いスーパーがあり、食費は2万を少し超える程度で済んでいる。しかしそれは運がよかったのと、私が自炊できる能力が「現在は」あるからというだけの話だ。それに、私が生活保護受給者の生活代表と思われたらたまったもんじゃないし、「生活保護受給者」という面だけで暮らしぶりを切り取られたくはない。生活保護でも大丈夫、こんなに豊かな生活が楽しめる!と言いたいわけではなく、少しでも受給へのハードルを減らすためにこの文章が役立てば幸い、くらいの心持ちで書いている。

料理もできないほど落ち込んでいた時に、フローリングに直で布団を敷くと湿気がこもりやすいということも知らず、万年床にしていたら案の定カビたことがある。私はその時、食べるものがなく、泣きながらカビ布団で非常食のカロリーメイトをかじっていた人間だ。生活に慣れるまではこんな悲惨な時期があったことも書き添えておく。

現在は、非常食をキープし、クモが出てきても眉一つ潜めずに私から挨拶し、白湯はむしろ積極的に飲んでいる。ミネラルウォーターや、お湯で割る飲み物なども買うようになったからだ。生姜湯の液体をお湯で割るのがお気に入りで、私は勝手にそれを生姜カルピスと名付けている。カルピスが切れると、白湯の登場となる。買いに行くのもめんどくさいが、ポットの中のお湯を捨てるのも忍びないのでそのまま飲むのだ。そうすると、私にとって貧乏の象徴でもあった白湯が、甘くやわらかく体に浸透していくのが感じられ、驚く。レモン無しでも私はセレブだ。

9月当初、今までの日常が底から抜け、生活を再構成しなければならなかった私は、一人暮らしも初めての経験だった。とにかくお金を使うことが怖かった。支給された金額で乗り切れるのかがわからなかったから、節約に精を出しまくることになった。

うつり込んでいる電卓とノートのメモを見ると、当時の切実さがわかる。「水筒持ち歩く」とか。

受給開始から10日経ったくらいの時、1週間の食費を3300円まで抑えることに成功し、作り置きマスターと化した。レシピを見ればかかる金額を予想できる能力さえ身につけハイになり、これなら全然生活保護でも余裕で乗り切れる、そう思った。さてその結果どうなったか。それから程なくして、きゅうりともやしと鶏肉以外のものを食べたくて、気づけばインスタントラーメンとペヤングとカルピスとその他諸々のジャンクなフードを泣きながらカゴに放り込んでいたひもじさ、ああこれが貧困か、と骨まで突き刺さるような鋭さで痛感した。8000円以上飛んだのを覚えている。

その時に悟ったのだ。贅沢は敵だとスローガンを掲げて節約しても、心身共に毒だと。生きていけるだけの金や食料では、私は生きていけないと。

冷凍パスタをチンして袋のままで食べた時、本当の意味で収支のバランスを管理していくことを学んだ気がした。それまでレトルトは贅沢品だったが、そのラインを緩和したことで私の食生活はかなり楽になった。

生姜カルピスが切れたあとの白湯を飲むと、過度な節約から撤退し、出来る限りの工夫をしてゆとりを持とうと決意した気持ちを思い出すのだ。私にとって白湯は貧乏の象徴ではなく、工夫して勝ち取った贅沢品のあとに嗜む、生活の余剰となった。きゅうりももやしも鶏肉も、節約のはかなさを漂わせた悲しい食材ではない。というか、そんなものは存在しないのだ。次回は節約食材との付き合い方について、話したいと思う。

滝薫

滝薫

ライター兼福祉の仕事がしたい人。アロマと料理と編み物が趣味というナチュラル丁寧加減ですが、本人は結構辛口です。

Reviewed by
高松 直人

『白湯を飲むと、-出来る限りの工夫をしてゆとりを持とうと決意した気持ちを思い出すのだ。』お茶ではなく、あえての白湯。手間はかかるし無味無臭、なのに人はそこに様々な意味を味わおうとする。滝薫さんの経験が詰まった白湯は、きっと僕らを健康にしてくれる。アパートメントでの連載のスタートと彼女の新しい人生に、みなさん、白湯で乾杯しましょう。

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