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do farmers in the dark(23)

Do farmers in the dark

金網の世界で3人の頭と鉱石が乗った屋根と一緒に住む

もう本当にすみません。まただらだらしてしまい、今回も汚い表現が多い、いつもと同じひどい日記になってしまいました。ではよろしくお願いします!

※汚い表現が含まれており、苦手な人や食事中は読まない方がよさそうです。あと、よっぽど暇じゃないかぎり、もし暇だったとしても読まない方が良さそうです。

光り輝くスリッパ以下の機能の靴

第1話 また公園

公園に向かっている。娘が乗っている新品の自転車の補助輪がコンクリートの上をゆっくりとカラカラ音を立てて走っている。とにかく悲しい。好きな人に補助輪付きのものを買って渡して、その人がそれを使ってるのを見るのはなんでこんなにも悲しいんだろう。

新品の補助輪はカラカラと貧相な音を立てながら、コンクリートと本体である自転車との恐ろしいコンビネーションによって絶えず傷だらけにされている。

なぜ悲しいと思うのか。最高の物品では無いからだ。

最高の補助輪つき自転車だったら、補助輪から爆炎が出たり、透明になれたり、浮いたりするはず、または最高のサスペンション的な効果を発揮するはずだが、その補助輪は簡単な硬い棒状の金属にプラスチックのタイヤ的なのを刺しただけのものだった。ただ地面にぶつかっていた。

とにかく色々言ったけど実際にはあまりにも一瞬で買えてしまったのが原因だった。自転車屋に行き、娘がこれがいいなと言い、それを買った。僕の意識はほとんど働いておらず、その自転車いいねと言って、ただ立って会計を済ませたら自転車はもう買えてしまっていて、その直後に娘はもう自転車をこいでいた。

ひどい親だ。自転車を買う事についてもっと時間をかけなければいけなかった。自転車を買った後は1日かけて自転車を買えたことの喜びを発表したりとにかく踊りまくるみたいなパーティーをやるべきだった。

ただ貧相な時間がいつも流れていく。もちろん時間は実際に実在せずこの世界はただ物が動いているだけなので、貧相な記憶が脳に記録されその記憶の連続により貧相な時間が流れたと僕は認識するという事だ。だからいつも貧相な気持ち。もしくはその認識をする人格がすごく貧相。

大半の脳細胞と記憶を使うのは常に自分自身の事。だから貧相。とても可愛い妻と娘が、あまりに貧相な人間と一緒に暮らしていてくれる事にかすかに涙が滲んでくるような、こないような気持ちになる。

とりあえず補助輪は折りを見て機を逃さぬよう即刻外さなければと思った。

色々言ってるうちに、気づいたらかなり補助輪を乏しめてしまっていた。補助輪は今も傷ついて頑張ってくれているのに。補助輪に意識があったらどうしよう。意識があったとしたら、自発的に動けない構造の物質だから復讐される恐れはないけど、とてもかわいそうだ。でも勝手に可哀想だと思ってはいけないよね。万が一だけどコンクリートに擦りつけられ傷を付けられるのが大好きかもしれないんだから。

実際のところはアルコールを飲めるんだったら飲ませてタバコも好きだったら吸わせ、ふかふかのソファーでリラックスさせ、肩ももんであげて、腹をつつきあったりしてから気持ちを聞いてみないと分からない。補助輪にそれを行うのは無理だけども。

あと近いうちに僕は彼、つまり補助輪を外して捨てるだろう。

小さな公園に着いた。

割と大きな木が5つほどと、大きなイチョウの木が1つ、ブランコ2つ、極小滑り台1つ、大きなスプリングで揺れる馬の遊具1つ、2対の密着した鳥の銅像一つ、ベンチ1つ、公衆電話1つ、石を切って平らにしたような座る場所が3つ、時計1つがある、小さな公園に行った。

昼下がりのとても気持ちいい青空。澄んだ冷たい空気。

埃付きの下着に埃付きの長袖長ズボンに埃付きのセーターに埃だらけのフリースに埃だらけのジャンバー、その上に埃まるけのひとまわり大きいジャンバー、砂を満遍なく吸着させたジーンズを履いて埃だらけの長すぎるマフラーをグルグル首に巻き、埃だらけのニット帽を被ってるからあったかい。

まさか誰も私が埃だらけなんて思うまい。ジーンズに満遍なく吸着された砂は、ジーンズの青みを少し変化させただけだし、上着の埃はよっぽど目が良くないと見えないだろう。僕の肺や粘液は埃をたくさんたくさん細胞にとりこんで処理くれていると思う。

木に画鋲、木に画鋲が2本刺さっていた。木に画鋲が刺されているのは珍しかった。プッシュピンと呼ばれる種類の画鋲だった。

ハトが2匹来て、すぐどこかへ行き、その後カラスが来て木の枝に止まりうんちを落とした。僕は

「鳥のうんちに気をつけて!」

と言った。

黒猫がいて、どこかへ行った。

娘は誰が黒猫を飼っているのかなと言った。僕は黒猫は誰も飼ってなくて一人暮らしかもしれないと言った。

娘は一人暮らしは怖すぎると言った。夜抱きしめてくれる人がいないし、赤くなった人が出たり、シャワーの穴から怖い人が出たらどうするのと言った。

私は、シャワーから怖い人が出てくる事はおかしくない?いつからそう考えていたの?それはどんな人か?と聞いた。

娘は、

「オバケの事だよ。」

と言った。

それなら良かった。僕は

「なるほど〜オバケがシャワーの穴から出てくるのなら納得」

と言った。

赤くなった人は誰なの?と聞いた。娘は、オバケの事だよと言った。私は納得した。

ある一つの木の幹に透明のネットリした液がついており、一瞬犬のおしっこかと思ったが、固形物が混ざっていたためこれは鳥のうんちだと思った。

そのすぐそばの地面には猫か犬のうんちがあった。サイズでそう判断した。万が一人間かも知れなかった。僕は娘に

「これは猫か犬のうんちだ!サイズが人間のにしては小さいからきっとそうだ!踏まないように気をつけて!」

と言った。

そして僕は23歳くらいの時に、砂浜の無いあまり綺麗では無い海辺の、でも民宿はある灰色の曇った町で、人間のうんちを道で踏んだ事を思い出した。小さな橋のあたりだったと思う。僕はうんちを踏んだ時驚いて「ウォ」と言っていたと思う。サイズで人間のものと判断したが、あのうんちは誰がしたものか気になった。

それとなぜ僕には、たまにほんとに少しだけ、わずなにかわいそうな偶然が起こるんだろうと考えた。本当に自分の事しか考えてないので、きっと自分に少しだけかわいそうな事が起こっても問題ない、うんちを踏んでまわりの人間がリアクションに一瞬困って笑顔を作ったり率先して馬鹿にしてくれたりしたりしても、しばらく匂いを嗅がせていても構わないと考えて、いつもぼんやりしているからだった。早く成長して他人の事考えられるようになりたい。でもしばらく人のうんちは踏んでないから、自分は成長できたのかもしれない。それか単純に路上でうんちをする人がこの世から消えつつあるかだ。

または全くの検討違いで、実は犬が人間のサイズに近しいうんちをしているかだ。

娘は買ったばかりの自転車をこいだり、ブランコに乗って遊んでいた。

僕は娘から声をかけられるまで、木を見ていた。

今日は木々の緑の葉っぱが密に集まったその集合体のフォルム、つまり木ぜんたいのフォルムが、なんだかグロテスクな形に感じた。

つまり僕自身が木々をちょっとグロテスクに見たいと思っているという事だ。

全てがなんとなく悲しかった。それは僕が悲しいと感じたいと思っているという事だ。

必要とあらばペットボトルを見ただけで悲しいと思う事が出来る。ひどく楽なカスのするカスみたいな趣味だ。しかしよくよく考えると悲しみの度合い、悲しみの優劣、ランキングが分からない。目の前にペットボトルがある事、つまり人間がペットボトルを作り出せることや私がいる、他の人間がいる事以上に悲しい事があるのかな?たぶんたくさんあるかな。

その中でも、とても良いと思って愛する人にすすめた物がその人を破壊してその悲惨な結果が持続した場合は、かなり悲しみの上位にランクインすると思う。それが行為にしろ物品にしろ、なぜ自分でそれが良いのか細部まで理解しておらず、誰かや専門の業者、機関、集団、個人が作成したものをさらに別の業者、機関、集団、個人が良いものだと情報発信し、それを良いものだと思って愛する人にすすめそれにより愛する人がとんでもなく破壊される事になった時だ。それを受け取る事やそれをする事を愛する人に強要していた場合は悲しみランクが少し上がると思う。そういう事態は絶対に避けなければ。だから自分以外の人間が作った良いとされる物を人にあげる場合はそれが本当に良い物なのか絶対によく吟味しなくては。

何はともあれ動きたくなかったので、多分立ったままやれる事を探して、少しグロテスクな形を感じる事と、少し悲しい気分を楽しむ事をしばらくしていた。

気づいたら僕は良い枝を2本手に取り、自転車に乗る娘をつつこうとして追いかけていた。僕は

「この枝は凄い良い枝だろ?」

と言った。

娘はもっと良い枝をいとも簡単に見つけて、

「こっちの方が良い枝ダヨネェ〜。」

と言った。

僕は、

でも父ちゃんは2本持ってる。」

と言った。娘は冷静に、にこやかに私テレビ地面に道路を描いてと言った。公園いっぱいに2本の枝で道路を描き、自転車のコースを作った。

カラカラと補助輪が砂に擦られ傷つけられており、娘は真剣な顔で自転車をこいでいた。そして僕はその様子をスマホンの動画機能で撮り、専用の写真共有アプリにアップロードした。実家のお父ちゃんお母ちゃん、弟、お祖父ちゃんに、妻の親御さんたちに気づいてもらった時見てもらうんだ。くそ!アプリに動画を入れている。クソ!近くに住んで一緒に遊べばいいのに!僕は何年も何年も前からいつもどうでもいいような生活を率先して行い、監禁されてないのに監禁状態にいるかのような、手足が痺れ血の巡りも悪くなったような思考をずっとしている。ひどいやつだ。

公園の外の道路に、最初1匹かと思われた黒猫が、一気に2匹出現した。娘は黒猫はもしかして2人で住んでるんじゃない?と言った。僕はそうに違いない。2人なら夜も怖くないし良かったね。と言った。

その後は架空の林檎を収穫したりして帰った。架空の林檎は何の味もしなかった。

すぐにかじれるよう本物の林檎をリュックに2つ入れておかなければ。

翌日も同じ公園に行き、天気も前日と同様冬の快晴だった。

相変わらずある一つの木の幹に透明のネットリした液がついており、一瞬犬のおしっこかと思ったが、固形物が混ざっていたためこれは鳥のうんちだと思った。一瞬樹液かと思ったが、何となく冬に樹液は出ない気がしたから、緑の固形物が混ざっていたから、これは鳥のうんちだと思った。

木はグロテスクには見えなかった。今日は木をグロテスクに見ようとしなかったからだ。しかし木に画鋲が刺さっているか見るのを忘れた。その日も前日と同じように何となく時間が過ぎて帰った。補助輪は特に気にならなかった。補助輪についてはまた本人が希望したら外そうかなと思った。また架空の林檎を収穫したが食べなかったしリュックに本物の林檎を入れようとかも思わなかった。しかし昨日は何とも思わなかった2対の密着した鳥の銅像がグロテスクなものに見えた。またなんか時間が過ぎ、気づいたら家の中で娘の好きなアニメがついてた。うまいご飯(つまり米の事だが)を食べて、寒いから風呂には入らず寝た。

窓ガラス次元
鏡台と椅子と棒を使ってゆるく拘束されて、鏡に映る自分の顔を見ながら右足で観葉植物をわずかにずらす事だけが楽しみになった頃のスケッチ

第2話 聖人のように

お正月明けに、レンタルビデオ屋にて、私は聖人のように、聖人のような振る舞いで¥184を返金してもらうためにがんばってた。

私は自分が聖人のような振る舞いで返金をお願いしていたと思ったのだが、客観的に見るとつまり、異常にニヤついた、歯の汚れたやつが、理解困難な事象で起こった¥184の支払いを返金してもらうために頑張ってたという事だ。

私は、

「マッ○マックスは2回借りたんだから、マッ○マックスは3回も借りてないから」

と、はにかみながら力説していた。数日前にレシートが無かったので支払いしたが、レシートがみつかった。レシートを見て貰えば分るんだからと言った。しかし今回の事象はレシートを見ても解決されなかった。レシートに載っていない異次元空間にあるかのような3枚目のマッ○マックスをなぜか私が持っており返却したので異次元にある3枚目のマッ○マックス代金¥184を支払ってもらったという事らしかった。私は、シルバー○ローブという映画と一緒にマッ○マックスを借りて、返却したその日に、パウパ○ロールというアニメと一緒にまたマッ○マックスを借りてそれを返却したからデータを見てほしいそうすれば2枚しかマッ○マックスは借りてないし2枚しかマッ○マックスは返して無いんだから」

とか言ったりして、

「マッ○マックスは何か他の映画のハードケースと違ってソフトケースに入れられてそれが何枚も一つのハードケースに入ってるからなんかおかしな事になってるんだと思うよ」

とか言ってた。

店員の、親戚の叔母さんに似ている、気のいいおばさんは、3日前に¥184の支払いを私にお願いした、事の発端になる人物だったが、今回の事象を、熱っぽく私に何度も説明してくれていた。熱っぽく説明してくれている場合、その本人は全てを理解できていないか、本人のキャパシティを超えていて勢いで頑張ろうとしている可能性が非常に高い。反対に熱を帯びてない説明も、決して全てを理解している可能性は低いし、単純にテンションが低いだけの場合が多いが。己の言ってる事を理解出来てない人は多い。なぜなら私が自分の言ってる事が理解出来ないからだ。とにかくそのおばさんは読み取りの難しい謎のレンタル記録を整理出来てない様子だった。いろいろやってもらって30分くらいたってこれは何かミステリアスな事が起こったのだなということになり、¥184を返金してもらった。まさか30分もかかるとは思って無かったが、とにかく私は満足して、ではまたまた、ではまたまたまた、という別れの挨拶をして店を出た。

そういえばその日私は割とマッ○マックスのような服を着ていたし、店員のおばさんも、割とマッ○マックスのような髪型をしていた。以外にも時間かかったな!と思い、とにかく娘の好きなアニメシリーズがほぼ新作か準新作しかなく1本借りるのに¥500とか¥250かかってしまう事が、ちょっとしんどいと思っていた。でもそのアニメはいいアニメだから。元気な人間が登場するし、動物がしゃべれるし、その動物が色んなトラブルを解決してくれるんだもの。でも登場人物の肌がきれいで、動物も汚れてなくて、街もきれいで、物が少ないのがちょっと寂しい。そういえばマッ○マックスの人間たちもみんな肌がきれいだった。

第3話 聖人のように2

彼は街で一定の時間帯にたまに見る特徴的なとんがり目の人達の一人だった。各所に点在している。とんがり目の人達は背は低めだ。とんがり目の人達というだけで、勝手に何かの力がありそうだと思ったり、神的なものがもしいたら、その神的なものに何かすごいものを与えられているような気がしてすごく憧れを抱いてしまうのだけど、実際には私達同様個々に大小の大変な事があるんだと思う。

そのとんがり目の人達の中でも彼は確実に何らかの、聖人のような雰囲気があった。

だって体より長そうな大きな黄色い鎖(プラスチック製に見え軽そうだ)を肩から肩から胴体に着るように垂らして付けていたんだ。かっこいい。

そしてまた別の日、今度は鎖は付けて無かったが、胴体の前で両手の平を前に向けて、肩と肘を可動させてクルクル、クルクルと右手、左手の回転が回転が少し中心で重なり合うようゆっくりと動かしていたんだ。

何かのエネルギーを生み出しているか、逆に何かのエネルギーを避けているように思えた。あるいはただ単に人混みをかき分ける技術か。とにかくそれはとても良かったよ。

だから家族でお出かけする時にやってみる事にした。1人の時にやるのは勇気がいるから。

妻は苦悶の表情で「それ何なの?」と言った。

娘は何か分からないがとにかく腹が立ってたようで、「父ちゃんキライ!」

と言っていた。凄くいい天気だったよ。すべてのものがとてもくっきり見えて光っていた。

生っぽいつぶつぶの花
木澤 洋一

木澤 洋一

ふと思いついた事や気持ちいい事や、昼間に倒れてしまいたいような気持ちを絵にしています。

Reviewed by
細野 由季恵

また迷路に入り込んでしまった。
「娘」はカラスで「妻」は黒猫かもしれない。

本当は「架空の林檎」が、「現実の林檎」で、
「とんがり目の人」が、本当は木澤さんの「妻」なのかもしれない。

いや、そもそも木澤さんという存在自体が夢なのでは……?

なんだかそんな不安にかられるの。

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