少し前に、不思議な夢をみた。夢であるから、夢の中の事象が事実というわけではないのだけれど、それを信じたいという気持ちでいる。創世記、と聞くと真っ先に聖書を連想すると思うのだけれど、わたしが夢でみたのは、わたし自身の創世記であり、とある人物とのはじまりだった。
すべてのはじまりは、神々の園でのこと。はるか昔、わたしは木々が生い茂り、花々が眩しく咲き乱れる神々の園に住んでいた。ひとは神々と共存していたのだけれど、ひとの種々の愚かな行いが神の逆鱗に触れ、わたしたちは神々の園から追放されてしまう。
わたしたちを地におとしたのは、巨大な水蛇の形をした女神だった。クリムトの描いた美しい「水蛇」ではなくて、顔だけが人型で、美豆良頭をした女神。穏やかな表情のときは輝くような美しさを放つのに、一度怒れると直視できないほどの禍々しい顔になった。園のなかにあった、清水の川の底が割れ、地鳴りが轟き、神殿や美しかった自然は、一瞬にして炎に包まれた。水蛇の女神は宙でからだを苦しそうに絡ませながら、神々の園さえも破壊し尽くした。わたしたちひとは、底の割れた川から、なにもないただっぴろい荒野に置き捨てられた。追放される際、それまで持っていた肉体が奪われていたから、魂だけの存在として、ぷかぷかと浮遊していた。光が存在しない、真暗闇の中で。
随分長い間、ひとは肉体を与えられないまま、宙を漂う存在だった。何百年も、そんな時間が続いていた。だけどある日、暗闇の中に無数の光の矢が放たれた。それまで色や正確な形すらなかった無数の魂たちに次々と光の矢が刺さる。矢の刺さった場所は、それまで無色だった魂の中心に色を与えた。あるものには黄色が、べつのものには黒色がついた。無数の魂たちには、その二つの色のどちらかが割り当てられた。光の陽と、黒の陰。だけど、わたしの魂にはどちらの色も割り当てられなかった。わたしの中心には、真っ白な空白があって、それがぽっかりと宙に浮かんでいた。
黄色と黒に割り当てられた人々には、肉体が与えられた。美しい褐色の肌に、絹のような黒い髪。男と女、その概念はそのときに生まれた。黄色が男に、黒が女にわけられ、それらの色をもったひとびとは次々につがいとなった。
魂に色付けされず真っ白だったわたしにも、肉体は与えられた。だけど、わたしはずっとひとりだった。まわりの人々からは白い目で見られた。そして、それらの目から逃げるように、ひたすら彷徨うことになった。
あるとき、目の前で光の矢が無色の魂に刺さるのを目撃した。その魂の中心は白色に輝き、まぶしい光を放っていた。わたしはその輝きを目にしたとき、無性に嬉しくって、すぐに駆け寄っていった。わたしの前に現れた人の顔には、わたしと同じようなフェイスペイントが施されていた。驚いた。その人の顔を見て、あなたを知っていると、胸の中で強く強く叫んだ。相手も、わたしをじっと見つめた。その人も、同じようにわたしのことに気づいたらしかった。
わたしたちは、お互いの手を取って歩み始めた。もう人々の白い目は気にならなかった。わたしたちは、お互いが誰であるかをよく知っていたし、これから先、無数の転生を繰り返して、また再会することになることさえ、もうわかっていた。だから、怖いものなんてなかった。わたしたちは、熱帯雨林を越え、海を越え、砂漠を越えた。そして、いくつもの顔といくつもの時代を生きた。無数のシーンが、まるでスライドショーのようにパラパラと移り変わって、そして、今ここに至る。指では数えきれないほどの長い年月だったというのに、本当に、一瞬の出来事に思えた。
実を言うと、わたしが夢の中で出会った人物は、現在のパートナーだ。顔がちがっても、数百年、数千年、数万年を隔てていたとしても、わたしにはすぐにわかった。この夢をみたとき、これがすべてのはじまりだったんだってすごく納得したし、ようやくその時がきたのだと思った。わたしたちは、遥かなるときを越えて再会し、いま最期の人生を生きている。100万回いきたねこのように、この人生をさいごに、もうきっと生まれ変わることはないだろう、とそんな気がしている。
たかが夢。事実とはまったく関係のない夢の話だけれど、わたしにはそれが「ただの夢」ではないように感じられる。ばかばかしいと笑われてもいい、おめでたいと馬鹿にされてもいい、そんなこと言って恥ずかしい奴と軽蔑されてもいい。それでも、それがわたしたちの真実なのだと信じて、自分たちの命をまっとうに生きられるのであれば、わたしはそれでいいと思う。この夢は、わたしたちの創世記であるとともに、わたしたちの最期を暗示する夢だった。ただの夢と笑い飛ばされても、わたしたちのこころの中にある、この小さな物語が、今日もわたしの生きる糧になっています。