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2F/当番ノート

新年、春、恋

第48期

あけましておめでとうございます。
新しい年のはじまりに、この場でご挨拶ができてとても嬉しいです。
当番ノートも折り返し。後半もどうぞよろしくお願いいたします。

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今年は2020年で、昨年は2019年。
私たちは毎年、歳をとる。
このように時間は直線的に、先に進んでいく。
他方で、1年は12か月あって、12月がおわると1月に戻る。
毎年同じ季節がめぐり、同じ行事があって、それを繰り返していく。
時間は、それに乗っかっている私たちは、直線的というよりも、らせん階段を上るように円環運動を繰り返しながら少しずつ進んでいる。
インド音楽の構成はまさにそうで、タールという拍子の規則のもと、常に同じ場所に戻ってきながら、ひとつのラーグを少しずつ発展させていくもの。
でも、今回しようと思っているのはタールの話ではなくて、インドの新年のお話である。

インドでの暮らしは、1年のサイクルを強く意識させられるものだった。
それは、時期ごとの祭礼を基準に日々を生きているヒンドゥーの人びととともに暮らしていたから。
祭りによって季節を感じ、ひとつの祭りが終わればまた次の祭りと過ごしているうちに季節が廻っていた。
(ヒンドゥーのお祭りについては別のところで、「北インド・ヒンドゥー祭事暦」という題名で連載をしているのでご興味があればぜひ。→宗教情報リサーチセンター、『ラーク便り』研究ノート等

インドの年末年始は、日本の雰囲気と少し違う。
お祭り好きな人びとが多くて、1月1日になった瞬間に花火があがったりもするけれど、1月2日から平常運転となる。
年末に大掃除をしたり、新しい年を迎える緊張感みたいなものは、ほとんどない。

ヒンドゥーの新年はいつか?といえば、まずは「ディーパーワリー(ディーワーリー)」という秋の灯明のお祭りを挙げる人がいるだろう。
ディーパーワリーの前には大掃除をして、買い物をして、電飾やステッカーなどで家を飾り付ける。
当日には、小さな素焼きの器に油をいれ、細長くした綿を浸してつくる灯明をたくさん用意して、玄関をはじめ庭、屋上、ベランダに並べ、祭壇や部屋のなかにまで設置する。
富と幸福の女神さま、ラクシュミーを家に呼びこむのだ。
最近では大気汚染の懸念から規制されるようになったけれど、「不幸を追い払うため」に花火をあげ、爆竹を鳴らしたりもする。
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「色水かけのお祭り」として日本でも知られている「ホーリー」という春の祭礼もまた、新年祭の要素をもっている。
ホーリー祭の前夜には、街のあちこちで焚き火が行われる。日本のどんと焼きに似ていて、1年のあいだに蓄積された罪障や凶事を火に葬り、浄化させるという意味がある。
ホーリー当日は朝から、通りや、家のなかでも色水かけが楽しまれる。この日ばかりは老若男女、無礼講で色水をかけあうのだ。
騒ぎは昼過ぎには収束し、人びとは新しく仕立てた一張羅に身を包んで親戚や親しい友人、知人の家に挨拶にいく。「ハッピー・ホーリー」などと言いながら色の粉をお互いの顔にやさしく塗りあう。

インド音楽には「ホーリー」という歌のジャンルがある。
その名の通り、ホーリー祭に関係のある歌のこと。(1)
特に、ヒンドゥーの神さまであるクリシュナとラーダー、牛飼いの娘たちの戯れのようすがテーマとなる。
ホーリーは、ホーリー祭の1か月前、旧暦の「ファーグン月(2月~3月頃)」からホーリーを待ちわびる人たちによって歌われるのである。
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中央にいるカップルの向かって左の青い顔をした人がクリシュナ、右側が恋人のラーダー。彼らをとりまく牛飼いの娘ゴーピーたちは、色粉を撒いたり楽器を演奏したりして楽しんでいる。ラーダーが手に持っているのは色水を撒くための水鉄砲だろうか。
(絵はこちらのサイトから借用。→https://www.pinterest.com/pin/295196950572592182/)

ホーリーは新年の祭りであり、春の祭りである。
インド音楽の「ラーグ」には、演奏するのに適した時間や、季節があるという話を第3回でした。
北インドでは、1年間は6つの季節(春、夏、雨季、秋、晩秋、冬)にわけられる。
古い音楽文献では各季節にそれぞれラーグが配されているが、現在、季節にあわせてよく演奏されるのは雨季のマルハール系のラーグと、春の「ラーグ・バサント」である。
私の師の師であり父である、ラクシュマン・クリシュナラーオ・パンディットさんのバサント、ぜひ聴いてみてほしい。

ヴィヴァルディの「春」だとか、滝廉太郎の「花」のような軽やかなメロディーとは全く違い、「ラーグ・バサント」にどこか官能的な雰囲気を感じるのは私だけだろうか。
春は、クリシュナとラーダーの遊戯の季節である。
Tanarangのサイトは、このラーグには春をテーマとしたもののほかに、「シュリンガーラ(恋情)」のラサと「ヴィラハ(別離の恋)」のラサを表現する曲がみられると説明する。ラサとは情趣、情調などと訳される、インドの芸能・芸術に欠かせないもので、観客や鑑賞者に感動を引き起こさせる元となるものである。
ヴィラハはまさに、クリシュナとラーダーの恋を表すのにぴったりな表現。それぞれ配偶者は別におり、彼らはいってみれば不倫関係にある。
幸せなときをともに過ごしたあと、彼らは別々の家に帰らなければならない。この別離をともなう不倫の愛こそ「純粋な愛情」に基づくものであるとされ、「欲望と合一」によって特徴づけられる婚姻による愛と対比させられるという。(2)
ラーグを視覚的に表現した「ラーグマーラー絵画」でも(3)、「ラーグ・バサント」としてクリシュナとラーダー、そしてホーリー祭がしばしば描かれる。(以下の絵はDaljeet著のRagachitra: Deccani Ragamala Paintings (New Delhi: Niyogi Books, 2014), 154~155頁より借用。)
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北インドの多くの地域で、ヒンドゥーの祭礼の日時を決める「ヴィクラマーディティヤ暦」では、ホーリーの15日後に新年をむかえる。新年は、春の「ナヴ・ラートリ(九夜祭)」という、ドゥルガー女神を讃える9日間の祭礼とともにはじまる。

ヒンドゥーの人びとにとって、新年は春であり、春は愛の季節である。

皆さまにとって、愛のあふれる一年でありますように。

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(1)北インド古典音楽の歌の形式には、現在最も盛んな「カヤール」というスタイルのほかに、より古く、イスラームの影響がカヤールほどにはみられない「ドゥルパド」というスタイルがある。カヤールとドゥルパドはラーグの発展のさせ方(一曲の構成)がそもそも異なるが、よく使われる拍子(タール)、歌い方・装飾の方法にも違いがある。ドゥルパドの歌い方で、「ダマール」という14拍子のタールを用い、ホーリー祭について歌うものは特に「ダマール」と呼ばれる。「ホーリー」はカヤールのスタイルで歌われ、ティーン・タール(16拍子)、ディープチャンディー(14拍子)、ケヘルワー(8拍子)などがよく用いられる。
(2)橋本泰元・宮本久義・山下博司『ヒンドゥー教の事典』(東京堂出版、2005年)、127頁を参照。
(3)ラーグマーラー絵画は近世に発展した。現存最古のラーグマーラー絵画は、西暦1475年頃に西インドのグジャラート地方で描かれたものであるといわれている。(Daljeet, Ragachitra: Deccani Ragamala Paintings, New Delhi: Niyogi Books, 2014, p. 25.)

虫賀 幹華

虫賀 幹華

ヒンドゥー教史を専門とする研究者。5年間のインド留学を終え、2019年10月末に帰国。留学中にインドの古典音楽に興味をもち、現在、グワーリヤル流派の女性声楽家ミーター・パンディットに師事。ライフワークである音楽を研究テーマのひとつにしようと画策中。

Reviewed by
松渕さいこ

日本のお正月は1月1日でどちらかというと厳かなもの。お祭りというよりは滅多に会わない家族も顔をあわせる貴重な機会として、抱負を語り合ったりする。365日の真っさらな1日目らしく。ずうっと昔には書き初めをしたこともあった。お年玉をもらえるまではきちんといい子に振る舞ってみたり、普段あまり食べない味付けのお節をちょびっとずついただく。私の知るお正月はそんな日だ。

いろんな国のいろんな文化圏の知り合いができるようになると、新年が1月1日とは限らないことを知る。その度、いろんな春のイメージがあるなと思う。今回の幹華さんの記事ではヒンドゥーの人々にとっての新年がどんなものであるかを新年のお祭り「ホーリー」に纏わる音楽とともに紹介している。

歌われているヒンドゥーの神さまクリシュナとラーダーの恋は、幹華さんのいうように官能的な響きに満ちている。低く、ゆったりとしていて、「春」で連想するはちきれるような予感がない。そのぶんだけ、秘められていて美しい。

行き止まりで、公にできない関係のふたり。それでも音楽からは、悲恋の惨めさを感じない。春を待ちわびるように歌われるふたりの物語は、終わる予感と隣り合わせでもめいっぱいの幸せに満ちている。

純粋すぎる恋物語の熱っぽい生命力は不安定な胸の高まりを呼び起こす。それはたしかに生ぬるい春の夜の、喉元に言葉が詰まる感じと似ている気がした。

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