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2F/当番ノート

学ぶ歓び

第48期

新しいラーグを習うときの歓びは、何にも代えがたいものがある。

一つのラーグについて、その動き方をだいたい習得し、ゆっくりなテンポと速いテンポの曲を一つずつやって、曲のなかでラーグを発展させる試みを何度かレッスンを重ねてブラッシュアップする。
「これまでやってきたラーグはだいぶ良くなったね、じゃあ、新しいラーグをはじめようか。」
先生からのこの言葉を聞くとき、私の気持ちがどれほど高ぶるか。
先生は少し考えて、「・・バーゲーシュリー、やる?」という。
ああ!それは私がとても好きなラーグで、習える日を心待ちにしていた!とうきうきしながら、平静を装って、「はい!」と答える。

先生と私のレッスンがどのように進んでいくかは、私の状況を見て、その都度先生が決める。
ラーグでも曲でも、何か新しいことを習うには、それを教えてもらえるだけの準備がこちらに整っていないといけない。
だから、がんばって練習をする。
ラーグにも曲にも、もちろんラーグの発展のさせ方にも、簡単なものと難しいものがある。次の段階にこの子はいけるかもしれないと先生が判断すると、そちらへ引き上げてもらえる。私はまだまだ初学者だけれど、少しでも先生が進歩を感じてくれるととても嬉しい。

さて今回は、前回から話し始めた「ラーグ」について、その習得について、少しお話できればと思う。
その前に、インド音楽の音階を説明しておかなければならないだろう。
インド音楽の音階名は、「Sa Re Ga Ma Pa Dha Ni Sa(サ・レ・ガ・マ・パ・ダ・ニ・サ)」である。西洋音楽と同じ7音で、半音階も5つ。ピアノの鍵盤を思い浮かべてもらって良い。
一オクターブを「サプタク(7つから成るもの)」という。
A=440Hzと決まる絶対音を採用する西洋音楽に対して、インド音楽ではそれぞれの奏者が、Saをどこに設定するかを決める。
私も先生も、SaをA#とする。なぜB♭といわないのかは知らないけど、ヒンディーでは「カーリー・パーンチ」といったりする。カーリーは「黒い」でパーンチは「5番目」。黒鍵の5番目の音だからね。女性ヴォーカルではわりと一般的。男性だとC#あたりが多いかな。
だいたい、中央のSaから下のPaの音まで、上のSaからPaくらいまでが楽に出るように、Saを選択する。
第2回のコラムで紹介した「ターンプーラー」という楽器は、Saの位置を演奏中ずっと示し続けてくれる頼もしいヤツなのだ。

はじめて習ったラーグは「ラーグ・ヤマン」だった、という人は多いと思う。
私は、5か月くらい通った音楽学校でも、そのあと通った先生からも、今の先生からも、最初に習ったラーグはヤマンだった。
基本的なラーグで、ラーグを学ぶとはどういうことかを理解すべきとして、前の先生のところでは4、5か月間ずっとヤマンをやっていた。先生が「ちょっとバイラヴィー(ラーグの名前)をやってみようかと思う」と5か月目に言ったとき、どれだけ嬉しかったか!

あるラーグで、半音階もあわせた12音のなかでどの音が用いられるか、もう少し詳しく言うと、メロディーが低音から高音へとむかうときにどの音が使われるか(アーローハ)、逆に高音から低音へとむかうときにどの音が使われるか(アヴァローハ)が決められている。原則として5音から7音が選ばれる。
その音の中で、どの音が最も用いられ(ヴァーディー)、また2番目に多く用いられるか(サンヴァーディー)が決まっており、それぞれのラーグを表す代表的なフレーズ(パカル、あるいはムッキヤ・アング)がある。これらに加え、どの音で止まるべきか、ある音から別の音にどのようにいくべきかといった規則に基づいた、動き方(チャラン)の習得が重要である。
前回お話したように演奏される時間が決まっていて、そのラーグがもつ性質も決められている。

ラーグ・ヤマンの規則は次の通り。
説明のなかの音階の下の線は一オクターブ下、上の線は一オクターブ上であることを示す。
アルファベットで書く場合は、半音低い音を小文字で示すことが一般的であるようだ。Re、Ga、Dha、Niは通常の音と半音低い音がありそれぞれの半音低い音はre、ga、dha、niとする。Maは通常の音か半音高い音になるので、maは通常の音、Maが半音高い音を表す。

アーローハ:Ṉi Re Ga Ma Pa Dha Ni S̄a(あるいはṈi Re Ga Ma Dha Ni S̄a)
アヴァローハ:S̄a Ni Dha Pa Ma Ga Re Sa
パカル(人によってさまざまだが、先生の師であり祖父であるクリシュナラーオ・シャンカル・パンディットさんの本には次のようにある):Ṉi Re Ga, Ma Re Ga Re, Ṉi Ḏha Sa
ヴァーディー:Ga、サンヴァーディー:Ni
時間:夜の第1プラハル
性質:上品、重厚

クリシュナラーオ・シャンカル・パンディットさんの本Sangīt Praveś Bhāg-1, 6th edition (New Delhi: Forward Books, 2016) は、ラーグ・ヤマンの動き方を次のように説明する。
「このラーグの展開はだいたい、Niからはじめられる。例えばṈi Re Ṉi Ḏha Sa, Ṉi Re Ṉi Ga, Ṉi Ma Gaなどである。アーローハでPaの使用を少なくすると、このラーグの美しさがより引き立つ。例えばMa Dha Ni S̄aのように。このラーグではPaとRe、MaとReのコンビネーションがみられる。歌っているとき、Sa、Re、Ga、Pa、Niで止まる。」(4頁)

はじめて聞く音階名で、言葉だけで説明されても全くわからないかもしれない。(1)
これらは基本的な原則であり、実際のところどのように歌うのかはやはり先生から習うしかない。
私の場合はレッスンのあと、その録音を聞いて細かいところまで書き起こし、何度も録音を聞きながら、書き起こしたフレーズを繰り返し練習する。
いまの先生のところで習い始めたときの、ヤマンのはじめのノートの一部をお見せしよう。歌うべき主な音に加えて、ある音を出すときの仕方、それぞれの音のつながり方がメモされていることがわかると思う。
IMG-0117

ラーグの規則と音の動き方を習い、次は曲である。曲は「バンディシュ」、あるいは英語で「コンポジション」といわれる。
ラーグの規則のなかで、そのラーグの特徴をよく表すフレーズを使いながら、決まった歌詞とメロディーで「縛られた(bandhita)」ものがひとつの曲である。
次の動画は、ラーグ・ヤマンのバンディシュ、Avaguṇa Na Kījiye.(2)
先生に習い始める前から、この歌は大好きで何度も聴いていた。新しいバンディシュをやろうと言われて、先生が目の前で「Ava…」と歌い始めたときにはもう、飛び上がるくらい嬉しかったものだ。

歌詞はたったこれだけだ。
Avaguṇa Na Kījiye Guṇisan, Kā Jāne Guṇa Kī Sār
Ho Guṇī, Guṇī Jāne Guṇa Kī Sār
Baḍī Ber Samjhe Nahīn Samjhat Bār Ber Kaun Kahe
Ek Ber Kah Dīnī Kaun Kahe Yah Bār-Bār
この「縛られた」曲を、歌い手が自身の、そのときの「想像力(カヤール)」によって発展させるのが――もちろんそれを表現するのには、練習の積み重ねに裏打ちされた技術が必要なわけだが――カヤールという音楽ジャンルである。
決まった曲以外の部分はすべて、ラーグ・ヤマンの規則と、ティーン・タールというここで使用されている拍子の規則のなかで、この場で先生が、向かって左の打楽器(タブラー)奏者、右側の弦楽器(サーランギー)奏者、右側奥の鍵盤楽器(ハルモニウム)奏者と一緒になって、生み出したものである。

音楽はどのジャンルでもそうだと思うけれど、良い音楽を聴くことはインド音楽を習得する上で欠かせないことだ。
「学ぶ歓び」のなかには、素晴らしい音楽を「聴く歓び」も含まれている。
ここで紹介している動画は、私のお気に入りばかり。(いまのところ先生のが多いけど・・。)
今回で第4回になるこのコラムが、「インド音楽沼」の新しい沈溺者を一人でも増やすことができれば嬉しい。責任はとれないが。

————————————–
(1)外国人むけの本などには、インド音楽の音階を五線譜に落として説明することが多いように思う。このコラムでは、それほど詳しくはやらないから可能、なのかもしれないけれど、私はインドで一度も五線譜に直して解釈しなかったし、あまり必要性を感じない。楽譜にしなくても入っていけたのは、私が子どものころにペースメソッドで西洋音楽を習い、一つの曲を別の調で演奏するなんてことが簡単にできていたからかもしれないけれど。他の人にとってどれくらい難しいのか、五線譜にした方が理解しやすいのかどうかはわからない。
(2)ラーグ・ヤマンにおいては、常に半音高いMa(ティーヴラ・マ)が用いられる。このバンディシュは厳密には、半音高いMaと通常のmaの両方が使われる「ヤマン・カリヤーン」というラーグに基づいたものである。

虫賀 幹華

虫賀 幹華

ヒンドゥー教史を専門とする研究者。5年間のインド留学を終え、2019年10月末に帰国。留学中にインドの古典音楽に興味をもち、現在、グワーリヤル流派の女性声楽家ミーター・パンディットに師事。ライフワークである音楽を研究テーマのひとつにしようと画策中。

Reviewed by
松渕さいこ

幹華さんのインド音楽の師とのやり取りは、何かを習うということの有り難さを思い出させてくれる。師はレッスン料を払うからと言って決して対等ではなく、一生掛かっても超えることのできない存在として敬い、その言葉や動作を見つめつづける対象なのだ。師との距離感が縮まるとつい忘れがちな心構えだと思う。

新しいことを習いたい、早く次の段階へ行きたい。何かを夢中で習っているとき、そう私は焦ってしまう。飽き性なのもあって、音楽においてもひとつの曲を長い期間かけて練習するのが苦手。しかし、一見習得したかのように感じることも、仕上がり具合をきちんと自分で測るのは難しいもの。頭では理解しているぶん、「簡単なはずのものが十分にできない」ということは音楽ではよく起きる。

そんなとき、辛抱強く師の判断に身を委ねて自分は上達に専念するといいのだろう。信頼関係が築けているからこそとは思うものの、その姿勢からは師と弟子双方向の揺るぎないリスペクトを感じる。それが「できる」ことの喜びに勝る学ぶ歓びを運ぶのかもしれない。

ずっと好きだったラーグを習えることになった日を回想する幹華さん。今回の動画はジャズのセッションのようなやりとりにも感じられて面白い。知識なくただ聴くだけではただただ民族的なものとして捉えてしまうものも(それでも音楽を楽しむことはできるけれど)、解説があるとその規則性とともに音楽家が曲のなかでどのようにオリジナリティを発揮しているのかにまで想像を広げることができる。

連載を重ねるごとに「インド音楽沼」に浸かりつつあるのは、きっと私だけじゃないんだろう。

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