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2F/当番ノート

インド音楽との出会い、師との出会い

当番ノート 第48期

gurur brahmā gurur viṣṇur gurur devo maheśvaraḥ |
gurur eva paraṃ brahma tasmai śrīgurave namaḥ ||
師はブラフマー神であり、師はヴィシュヌ神であり、師はシヴァ神である。
師はまさに最高のブラフマン(宇宙の原理)である。かのような師に私は帰命する。

ターンセーンのお墓

このたび、当番ノートを執筆するお話をいただき、はじめて公の場でインド音楽について書いてみることにしました。
それならば、師(グル)に敬意を示すところから始めたいと決めていて、連載曜日は木曜日でお願いしました。
インドのヒンドゥー教では、各曜日が神さまと関係づけられています。もちろん惑星とも。木曜日(ブリハスパティ・ワール)はヴィシュヌ神の日であり、木星の日です。木星(ブリハスパティ)は神々の師であるので、師の曜日(グル・ワール)ともいわれるのです。

初回は自己紹介も兼ねて、私とインド音楽、および師との出会いについて記します。
留学を終えて帰国したばかりで、さまざまなことが思い出されて寄り道も多くなってしまうと思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

私はインドのヒンドゥー教、特に聖地について研究しています。博士論文を書くためにインドに留学しました。
インドに渡ったのは2014年7月のこと。
大学は、北インドのウッタル・プラデーシュ州の「イラーハーバード」という街にありました。(インドでは日本の人口を問われることがしばしばあり、1億2千万くらいだと答えると、なんて少ないんだ!ウッタル・プラデーシュ州の人口よりも少ないじゃないか!と誇らしげに言われたことを思い出します。同州の人口は2億を超えているみたいですね・・。)
留学のはじめの2年弱は、博論の調査のためにお隣のビハール州の「ガヤー」という聖地で暮らしました。早朝から出かけて、巡礼者が訪れる寺院や山、川辺などで儀礼を観察したりインタビューをしたり。寺院内にある神像や碑文の調査をしたり。
私が借りていた部屋は、聖地全体の「所有者」であり巡礼者たちのお世話をする聖職者たちの居住エリアにありました。その聖職者集団の歴史や生活様式なども調べていました。
当初は言葉(ヒンディー語)もままならず、インドの習慣もわからず。夏は暑いし冬は寒いし。停電は毎日。水が出ないこともありました。大変だったよなあと振り返って思いますが、無我夢中だったし、「知りたい!」という好奇心が強すぎて、つらいというよりは楽しかったです。

早朝から毎日のように出かけていたのははじめの3,4か月だったかと思います。
少し余裕が出てくると、日本から持ってきた小型ラジオで、インドのラジオ番組を聞くようになりました。部屋にはテレビもなかったし。
毎朝、不思議だけれど、なんだか素敵な音楽が流れていることに気づきました。注意して聞いていると、素敵な音楽を流していたのは「サンギート・サリター」という朝7時半からの15分番組だったことがわかりました。熱心に聞いていたけれど「なんだか素敵」というだけで、番組でなされる音楽に関するさまざまな説明はよくわかりませんでした。
もう一つ。調べていた聖職者たちには、古典音楽を趣味とする人たちがいることがわかってきました。彼らは19世紀後半から20世紀前半にかけて非常に裕福だったようで、その時代には特に、音楽が盛んだったようでした。
これらが、私とインド音楽の出会いでした。
何かのきっかけでCDを聴いて衝撃を受けて、とか、コンサートに行って完全に虜になって、とかではなかったのです。ガヤーであるとき、今でも音楽を趣味とする聖職者たちの何人かが組織を作って、外からアーティストを呼んでコンサートを開いたことがありました。私はそのとき、音楽を聴きにではなく聖職者の調査の一環として行って、正直なところ、「早く終わらないかな・・」と思いながら聞いていた記憶があります。今の私からすると信じられないのですが。

ガヤーでの調査を終え、大学のあるイラーハーバードに移ったのが2016年4月。
博論の執筆をしながら何か習いたいと思っていました。ヨーガか、占星術か、音楽か。
ヨーガはDVDを買い、占星術は大家さんに習うことにして、幼いころから歌が好きだった大家さんの娘さんと一緒に市内の音楽学校に通うことにしました。「プラヤーグ・サンギート・サミティ」という市内では、いやインド国内でもわりと有名な音楽学校です。1926年設立。
私たちは歌のクラスに入りました。はじめは50人くらいいたんじゃないかな。
結局、大家さんの娘は1か月くらいで通わなくなり、私も5か月くらいでやめてしまいました。私がやめたのは、学校で出会ったある先生に個人レッスンを受けさせてもらえることになったから。その先生は音楽理論を教えていて、音楽学の博士号ももっていて、他の先生とは何かが違うと思いました。
私はもともと、歌手になることを目的にインド音楽をはじめたわけではありませんでした。インドの宗教を研究する身として、宗教と密接に関係する音楽をやることは研究の利益になると思ったのが一番の理由で、また高校生くらいまで母からピアノを習っていて、西洋音楽とインド音楽の違いにも興味があったから。
それなのに、先生の家に1,2週間に一度通うようになり、毎日家で練習するようになってくると、インド音楽そのものに魅了され、もっともっと歌がうまくなりたいと夢中になっていきました。
先生は、音楽以外のことでとても忙しい人でした。自分が歌を歌うことも、歌を教えることにも、すでに興味を失っていたようにみえました。
クラスの回数は減る一方で、やらされる仕事は増えていきました。インドにいられる期間は限られているのに、もっと音楽をやりたいのに、博論執筆で忙しいなかせっかく時間を作っているのに、と不満と焦りはつのるばかり。音楽学校で出会いそこに通い続けていた友人は3年生になり、今こんなことをやっていると楽しそうに連絡が来たりして。
サラスワティー女神(ヒンドゥー教の学問や音楽の神さま)は私を見放したのか、と泣いた夜もありました。2018年9月のことでした。

日本で「クラシック音楽」というと西洋のクラシックのことを指すと思います。インド音楽は「民族音楽」のカテゴリーに入るのでしょう。
インド音楽は、クラシック音楽、古典音楽です。独学ではできません。良い先生につき、しっかりとした訓練を受ける必要があります。西洋のクラシック、いや、それ以上に、師匠の存在が本当に大きいのです。

自分で他の先生を探してみようと思い立ち、好きなアーティストのなかで、歌を教えていそうで、住んでいるところから通えて、ウェブサイトなどから連絡先のわかる人に、メールを送ってみました。歌をはじめてまだ1年半くらいの初心者が、アーティストに習えるなんて思っていなかったので、ダメ元で。
しばらくして、返事がありました。驚いたし、本当に嬉しかった!そこには、3,4分の歌のファイルを送るようにあったので頑張って録音し、返事を待ちました。
ある日の夜、急に電話がかかってきました。そりゃあもう、緊張しました。そして、生徒として迎え入れてもらえることになったのです。
はじめてのレッスンは忘れもしない、2018年11月4日。幸せな日でした。その日から、月に1,2度のデリー通いがはじまりました。イラーハーバードからは列車で一晩かかります。急にレッスンに呼ばれて、列車のチケットをとるのにいつも苦労していました。翌年の春には博論を出そうとしていたので、駅や列車のなかでも、書いた原稿を見直したりしていました。
博論提出後には3か月ほど、先生が一人暮らしをする西インドの大都市ムンバイーで、一緒に暮らしました。そのときのことは、また別の機会に書こうと思います。
こうして私は、一生ついていきたいと思える師に出会うことができました。
芸術・芸能の世界はどこもそうだと思いますが、インドで良い師に巡り合い、信頼関係を築いていくのは、本当に難しいです。この幸運に感謝しながら、日本にいても、仕事が忙しくなっても、インド音楽を続けるのはもう使命だと思ってやっていくつもりです。

私の先生、ミーター・パンディットさんは、「カヤール」という北インド古典音楽の声楽のジャンルでは最も古いといわれるグワーリヤル流派に属しています。先生の家系は代々音楽家で、おじいさんは「パドマ・ブーシャン」というインドの国家勲章ももらっているほど。先生は6代目で、初の女性声楽家です。詳しくはまたいずれ。
インド音楽はもともと、師から弟子へと直接伝授されていくものでした。学校で教えられるようになったのは20世紀に入ってから。現在でもなお、「グル・シシュヤ・パランパラー(師資相承)」のなかでの教授、訓練が至高とされています。
一つの例として、先生と撮影したレッスンの動画をあげておきますね。

それでは、これから2か月間、よろしくお願いいたします。

虫賀 幹華

虫賀 幹華

ヒンドゥー教史を専門とする研究者。5年間のインド留学を終え、2019年10月末に帰国。留学中にインドの古典音楽に興味をもち、現在、グワーリヤル流派の女性声楽家ミーター・パンディットに師事。ライフワークである音楽を研究テーマのひとつにしようと画策中。

Reviewed by
松渕さいこ

ヒンドゥー教・聖地の研究者で北インド古典音楽「カヤール」の歌い手でもある虫賀幹華さんの連載が今回からはじまった。研究のため、インドに5年留学された幹華さん。自身がインドで音楽をやるとは最初の頃には思いもしなかったそうだ。今回の記事では、どのようにインド古典音楽と出会い、「一生ついていきたい」と思える師に出会ったのかを話してくれている。

読んで心に残るのは、師であるミーター・パンディットさんへの深い敬意だ。幹華さんが語るように、その存在は宇宙そのもの。(そしてヒンドゥー教の神さまの多いこと!神さまの名前を知ることができるのも連載の楽しみになるだろう。)

私自身は学校の教師や習い事の先生、一時的な師は何人か思い浮かんでも、一生ついていきたい師というのは難しい。その厳しさも、その幸福も、想像するほかない。

だけれど、幹華さんが初めて師のレッスンを受けた日を言い表した短い一文がとても好きだ。

「はじめてのレッスンは忘れもしない、2018年11月4日。幸せな日でした」。

良い師に巡り会うには、機が熟していることも必要なのかもしれない。この日すでに師が与えてくれるものを受け取る準備ができていたからこそ、幹華さんは幸せを感じたんじゃないか。はじめるべきことが、始まった瞬間だ。

最後に実際のレッスンの様子を動画で観ることができる。向かい合い、師の歌を聴きながら習っていく様子は緊張感が感じられて美しい。ぜひ観てみてほしい。

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