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2F/当番ノート

世界が音を紡がせるのか、音楽こそが世界を動かすのか

第48期

前回の「ブラフマ・ムフールタ」のコラムの最後に、定形晟さんの『インド宇宙誌』からの引用を載せた。1日は30ムフールタに区切られ、3ムフールタでひとつのまとまりを成し、結果的に昼と夜がそれぞれ5つの部分に分けられるということであった。
このムフールタとの関係性はちょっと調べられきれなかったのだけれど、3時間ずつ、1日(24時間)を8つの「プラハル(サンスクリット語ではプラハラ)」に区切るという考え方もあって、インド音楽の文脈ではそちらの方がよく出てくる。

インド音楽の核は、「ラーグ(ラーガ)」である。
ラーグとは何か、というあまりにも大きなテーマに、いまここで正面から取り組む勇気は、ない。
ラーグという旋律の規則――それは厳格でもあり緩やかでもある――のなかで、奏者が即興で演奏するのがインド音楽である、ということにとりあえずしておこう。(いやもう少しいうと、音楽は「スワル(音)、ラエ(テンポ)、パド(言葉)」の規定のなかで表現されるもの、なんていう言い方もある。ラーグに加えて、タール(ターラ)というリズムの規則も演奏する上で欠かせない。)
各ラーグに定められたさまざまな規則のなかには、「演奏されるべき時間帯」もある。
例えば、前回のコラムで紹介したワーシフッディーン・ダーガル先生の動画の「アヒール・バイラヴ」は、早朝のラーグである。日の最初のプラハル(日の出からの3時間)のラーグという言い方もするけれどどうだろう、ちょうど日の出くらいの時間がやっぱりぴったりで、9時近くに歌ったらちょっと違うような。
今回は、旋律と時間の関係についてちょっと考えてみたい。

それぞれのラーグの違いを言葉で説明するのはここでは難しいので、いくつか動画を紹介したい。
早朝の「アヒール・バイラヴ」が醸し出す雰囲気は、次の4つの動画のメロディーにはないし、何の予備知識がなくとも、それぞれが異なるイメージを描いていることがお分かりいただけると思う。

ラーグ・シュッド・サーラング

ラーグ・ムルターニー

ラーグ・ドゥルガー

ラーグ・マールカウンス

前回も含めDarbarの動画が多いけれど、それは映像の質も良いし短いから。Youtubeには動画ではなくサウンドだけの古い素晴らしい音源もたくさんある。ここでは映像があるものだけにしようと思ったけれど、私の好きな歌手、D・V・パルスカルさんのマールカウンスはぜひ聴いてほしいと思って選んでしまった。眠れない夜はいつもこれ。

それぞれのラーグと時間の関係は次の通り。
シュッド・サーラング:日の2番目のプラハル
ムルターニー:日の3番目のプラハル
ドゥルガー:夜の2番目のプラハル
マールカウンス:夜の3番目のプラハル

日の出を6時とすると、日の2番目のプラハルは9時から12時、日の3番目は12時から15時。夜の2番目は午後9時から12時、3番目は深夜12時から3時ということになる。
ただ、これはあくまで原則。アヒール・バイラヴのところで少し書いたけれど、3時間の幅のなかで、早めや遅め、どのラーグが先でどのラーグが後かという話もある。
早朝や黄昏時といった、昼と夜の境目はとっても重要で、特徴的なラーグが演奏される。(例えば夕方のラーグ、シュリー。D・V・パルスカルさんのHari Ke Charan Kamalも聴いてほしい・・って私、しつこいな!)
それで、やっぱりこういう感覚的なものは、先生から習うしかないのである。
日本語で読めるB・C・デーヴァの『インド音楽序説』(中川博志訳、東方出版、1994年)から、次の図を引用させていただく(45頁)。
ラーガと時間

円の内側にあるRi Ga Ma・・などは、インド音楽のいわゆる「ドレミ」である。次回くらいで少し説明できればいいけれど。
どの時間帯のラーグで、主にどの音階が使われるかを表している。(もちろん例外はある。)
あるラーグのなかで最も使われる音を「ヴァーディー」というのだけれど、ヴァーディーが「ドレミ」の前半にあるもの(プールヴァーング)は午後12時から深夜12時までのあいだ、後半にあるもの(ウッタラーング)は深夜12時から午後12時までのあいだに演奏されるという決まりもある。
音楽学校に通っていたときの初学者向けの教科書Sangīt Śāstra Darpaṇ, Bhāg 2 (Allahabad: Pāṭhak Publication, 2018) には次のような記述がある(83~84頁)。
「それぞれのラーグは、決められた時間帯に演奏されてこそ輝き、甘美なものになる。決められた時間以外にラーグを歌ったり演奏したりすると、その輝きは減ってしまう。昔の人たちは、他の時間に演奏されることはラーグにとって苦痛なのだとまで言っていた。ラーグのなかには、特定の季節に演奏されるべきものもあり、それらには時間帯の制限はない。」

ラーグと時間、あるいは季節とのあいだに関係があることはわかった。
でも、それはどういうことなんだろうか?
特定の音階が使われると演奏される時間が決まるのはなぜか?
決まった時間や季節に演奏されないと、ラーグはなぜ苦痛を感じるのだろうか?

議論や理屈の大好きなインド人のことだから、古代から現代までの音楽の研究書にはたくさんの哲学的な解釈がきっと書かれているんだと思う。
それを見つけるのは私の今後の宿題として、少しだけ、考えたことがあるので記しておきたい。

早朝のラーグ、「バイラヴ」で使用される「レ」の♭は、鍵盤楽器や、振動のヘルツ数で決められる固定されたレの♭よりも、少しだけ「ド」の方に傾いているといわれる。それは、地平線からいままさに昇ろうとしている太陽をあらわしているのだとか。
雨季のラーグ「マルハール」にまつわる楽聖ターンセーンの話は有名だ。ムガル皇帝アクバルの寵愛を受けていた宮廷歌手のターンセーンは、他の歌手たちの妬みを買っていた。歌手たちはアクバルに、ターンセーンに「ラーグ・ディーパク」を歌わせるよう進言した。ディーパクは「灯火」を意味する。これを歌うと、歌い手の体までも燃え尽きてしまうということをアクバルは知らなかった。アクバルに命じられたターンセーンはディーパクを歌い始める。宮廷内のランプが自然と次々と灯り、次第にターンセーンの体にまで火がついた。ターンセーンの歌の力を抑えられる者はいない。そこで呼ばれたのが、自身も音楽家であったターンセーンの妻である。彼女がラーグ・マルハールを歌い始めると、大粒の雨が降り始め、ターンセーンの体を濡らし、火を消し止めたという。

雨季になるとマルハールが歌われる。今のインドでも、大雨が降ったりしたときに音楽家に会うと、「あなたがマルハールを演奏したんでしょう」なんて言ったりする。
雨季だからマルハールを歌うのか(雨がマルハールを歌いたい気分にさせるのか)、マルハールを歌うと雨が降るのか。
上昇しつつある太陽が私たちにバイラヴを歌わせるのか、バイラヴを歌うことによって太陽が昇るのか。
きっと、両方なんだろう。(「汝はそれなり」「われはブラフマンなり」なんていうウッダーラカ・アールニの声が聞こえてきそうだ。)

強調しておきたいのは、音楽の力(あるいはそれを信じていること)という側面である。
この時間だからこのラーグを演奏する、というだけではない。
ラーグを歌うことで、時が押し進められていくのだ。
前回引用した『インド宇宙誌』からの一節に、太陽の出現を阻もうとする魔神たちを退治するために、バラモンたちによって呪文が唱えられたりや儀式が執行されなければならないという話があった。日は昇るものではなく、聖なる音や儀式によって昇らされるものなのか。
古代の聖典『ヴェーダ』は、4つの部分から成っている。古いものから、讃歌のみのサンヒター、祭式の方法の説明が加えられたブラーフマナ、哲学的な議論を含むようになってくるアーラニヤカとウパニシャッド。
ブラーフマナの時代は、神よりも祭式が強力であるとみなされた「祭式中心主義」の時代だといわれる。祭官は祭式を通して、世界を、神までをも動かすことができたのだ。
ちょっと飛躍しすぎかもしれないけれど、言葉や儀式に力があるという信仰は、音楽が世界を動かす力をもっているという見方に通じるような気がしてならない。

今回、というか私が話題にするインド音楽は、北インドの音楽「ヒンドゥスターニー」のことである。
同じようにラーグとタール(リズムの規則)を基盤とする南インドの「カルナーティック音楽」には、時とラーグの対応がないという。では、時を動かすような音楽の力はヒンドゥスターニーのみにあってカルナーティックにはないのか?そんなことはないだろう。
ううーん、インド人だったらどう答えるんだろう。答えてるんだろう。
今回はこのあたりで、結んでおきたい。誰かが、物事を終わらせたいときに演奏されるラーグを歌っているようなので(いや、そんなラーグはあるのか?)。

虫賀 幹華

虫賀 幹華

ヒンドゥー教史を専門とする研究者。5年間のインド留学を終え、2019年10月末に帰国。留学中にインドの古典音楽に興味をもち、現在、グワーリヤル流派の女性声楽家ミーター・パンディットに師事。ライフワークである音楽を研究テーマのひとつにしようと画策中。

Reviewed by
松渕さいこ

この連載で、幹華さんに導かれるようにインド音楽について知れば知るほど「分からない」と思うことも増えていく。それだけインド音楽は懐が深く、同時に「理解したつもり」にさせてはくれない厳しさもあるのかもしれない。

今回のコラムでは、インド音楽における「ラーグ(ラーガ)」という旋律の規則について、またそのラーグはそれぞれ「演奏されるべき時間帯がある」ということがどういうことを意味するのか、について触れられている。「インド音楽の核は、『ラーグ(ラーガ)』である」という言葉の通り、旋律と時間の関係性は切っても切れないものらしい。いまいちピンときていない人たちも、幹華さんの紹介する各時間帯のラーグを試しに聴いてみてほしい。早朝、朝9時から12時にかけて、午後12時から3時にかけて、午後9時から0時にかけて、午前0時から3時にかけて。それぞれのラーグで使用される音階が違うから全く違う音楽になっているのだろう、と幹華さんのコラムを読むとわかるのだけれど、音楽を聴けば心に浮かんでくる景色やムードの違いが自ずと感じられるんじゃないだろうか。

ちなみに私は文中で紹介されていた夕方のラーグ、Raag Shree がとても好きだった。

こうやってラーグを聴いていると、普段私は時間をただの数字としてしか意識していないことを思い知る。そして、1日というのは単なる24時間という無機質なものではなくて、日の入りや日没、星や月の動きに沿ったもっと生命力を感じさせるものだったということに気づかされる。自然だけではなく、神様の存在を感じるものだったに違いない。さらに、演奏される時間が決まっているラーグと時間の関係性について幹華さんはこう話している。

「強調しておきたいのは、音楽の力(あるいはそれを信じていること)という側面である。この時間だからこのラーグを演奏する、というだけではない。
ラーグを歌うことで、時が押し進められていくのだ」。

音楽の力を信じること、その強大さ。それは祈りであり、宇宙へ向けて放たれるメッセージなのかもしれない。音楽を通じてそういった人間を越えたものともつながることができるということを、インド音楽は「なにも不思議なことではない」と私たちに語りかけているようだ。

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