先日、母がブラジルへ一時帰国した。一週間ほどの滞在中に教員採用試験を受け、母方の祖父の見舞いを兼ねた帰国だった。この秋(ブラジルでは春のことになるが)、祖父が大腸がんを患っていることがわかった。ここ数年、あまり体調が良くなかった祖父だけれど、健康診断などでは特に異常はなく、心配しつつもおじいちゃんなら大丈夫だろうという、根拠のない確信を持っていた。だけど、祖父の病を期に、その確信がぐらりと傾いて、祖父の老いを改めて思い知らされた。当たり前だけれど、祖父も普通の人間で、他のおじいちゃんたちと同じように老いるし、病にもかかる。今頃は、放射線療法による治療が行われているのだと思う。高齢で手術に耐えられるかもわからないし、それを祖父が望んでいるのかもわからない。今できる治療を行っている、という状況だろう。ただ、普段は気丈な祖父が母にむかって「はやく帰っておいで」と口にしたのだそうだ。その言葉が、どれだけわたしのむねを強く締め付けたかを、祖父はきっと知らないでいる。
ここ数日、祖父のことを考えていて気づいたことがある。わたしにとって、母方の祖父はどこか特別な存在であった。それは、祖父がブラジルに深い根をはって生きてきたことが関係しているのかもしれない、ということだ。
母方の祖父は、ブラジルで生まれ、ブラジルで育った。二重国籍をもち、日本語も話せはするが、彼は根っからのブラジル人。サッカーを愛し、自然を愛し、移住者だった曾祖父とは違い、ブラジルを離れるこなく定住することを選んだ。祖父は旅にでることも好まなかったし、日本にくることに興味を示したこともなかった。飛行機が大好きで、旅することばかり考えている祖母とはまったく違うし、その点ではもちろん、彼の父である曾祖父とも違い、わたしの両親とも違っている。
移住者という点では、わたしの両親は、日本からブラジルへ旅立った曾祖父のそれに近いのかもしれない、と思う。わたし自身も両親に連れられ、幼いときに日本にやってきてから、「さて、どこに根を下ろそうか、そもそもどこかに根を下ろせるのだろうか」と、今もなお漂流し続けている。定住することに心底憧れて、それを望みながらも、どっちつかずな優柔不断で、根無し草のまま。あれだけ好きだったブラジルでの暮らしも、なにかに追われるように手放したのに、日々ブラジルのことばかり考えて生きている。そんなわたしが、ひとつの場所にぶれない根を張った祖父に対して、憧れを抱くのは無理もない。とても単純なことだけれど、わたしは多分、祖父がうらやましかったのだと思う。ただ、祖父に抱く特別な感情の裏を返せば、わたし自身が移住者であることに対する強い否定感と、否が応でも対峙せざるを得なくなる。
この気づきに付随して、もう一つはっきりと認識したことがある。母方の祖父とは反対に、父方の祖父母に対し、わたしはいたたまれないような複雑な気持ちを抱いている。おそらく、彼らがわたしの両親と同じように「デカセギ」として生きてきたからだと思う。
母方の祖父とは異なり、彼らは定住ではなく、移住を選んで日本とブラジルの間を往来し続けた。その往来の数は、わたしの家族のそれとは比べ物にならないくらいの頻度だった。あるときはミーナスの田舎町でいちごを育てているかと思いきや、またあるときは伊勢崎でレストランを営んでいる。点々と場所を変え、職を変えていた。
定まらない祖父母の往来癖は、近くでみているわたしをとても不安にさせたし、それがこれから自分に起こりうる事象のように思われて、目を背けたくなることもあった。わたしの目には、点々とすることで彼らが何かを得たようには見えなかったし、むしろ、自らいばらの道へ、より険しい道へと進んでいるように思えることさえあった。今年の夏、父方の祖父が体調を崩し、そのあとすぐにブラジルへと戻っていった。その前の年に日本に戻っていたばかりだったというのに。幸い今は元気にしていると聞くけれど、どのような生活を送っているのかはわからない。祖父母のことを嫌いというわけでもないのだけれど、彼らのことを「悲しい人々」と思ってしまうわたしがいる。むろん、祖父母の人生をわたしの物差しで計るのはおかしいとはわかっている。自分がそういう感情を持っていることがとても恥ずかしいし、ひどくおこがましいと思っている。自分でもげんなりするくらいひどい考え方なのに、それをなぜか改められないことがとてもつらい。
「デカセギ」なんてしなければよかったんだ、というのがわたしの本音なのかもしれない。でも、そのことを「デカセギ」として必死に生きてきた人々に面とむかって言うことなんてできないし、言うべきことでもない。彼らは、そのときできることを必死に、精一杯やってきただけなのだから。両親、祖父母、それら多くの移住者たちは、家族のため、生活のため、いろんなことのために、わざわざ国をかえ、仕事をかえ、異国に適応する努力をしてきたのだと、わたしは息が苦しくなるほどそれをよく知っている。だけど、それらを悲しいことだとか、不幸なことと思ってしまう。母方の祖父の方が、ずっとずっと幸せに思えてしまう。
一番の問題は、わたしのなかに巣食う、この醜いおこがましさなのかもしれない。わたしのなかにあるこのおこがましさは、いったいどこからきたのだろう。いつ、どこで、どのようにして、これほど深く、わたしの考え方に根付いてしまったのだろうか。それを思うと、吐き気がする。このさき、歪みきったこの考え方を、まっすぐに伸ばすことができるのだろうか。していくしかない、そう思いながらも、どうしたらいいのかわからないでいる。