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3F/長期滞在者&more

診察番号142

長期滞在者

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「うーん、様子を見るしかないですねえ。どうしても体調が優れないようであれば、また相談してください。」

定期検診で、久々に会った主治医は淡々とそう言った。診察票を挟んだピンクのファイルを手にとって、扉に手をかけたら、後ろからお大事に、と声がした。(お大事に、か…) 診察室を出るときの扉が嫌に重たかった。顔を上げるとパートナーが心配そうな顔で私をみていて、その瞬間、緊張が解けたのか、いろんな感情が湧き出してきた。

様子を見るしかないって、どういうこと?こんなに辛いのに、なにも対策できないってこと?我慢するしかないってこと?疑問と不安と絶望感が、いっぺんにやってきて、わたしを打ちのめしていく。

「どうやった?」

「うぅん、とりあえず、様子を見るしかないらしいわ。喉の痛みは続くようであれば耳鼻科にいくなり対処して、倦怠感とか無気力感は精神的なもんかも知れへんって…でも、先生は精神的なものではないと思うっていうてた。3月の血液検査の結果では、体調がこんなに悪くなる原因は見られへんのやって…」

そう口に出すと、今感じているさまざまな不調への対処法がないことに対する焦りが一層強くなるようだった。診察の前日も体調不良で仕事を休んだばかりだったから、つらさの記憶が体にはっきり残っていたことも焦りに拍車をかけた。

5月で発病してからちょうど1年になった。パートナーがつけている十年日記にも、わたしの体調に関する記述が増えてきて、頻繁に去年のことを振り返っている。とても長い一年にも感じたし、短い一年にも感じた。残念なことに、2月以降、体調が悪いことが増える一方で、4月は月の半数は体調が優れなかった。5月になったらよくなると思っていたけれど、あまり改善は見られないままだ。2月、3月はまだ我慢ができた。季節的なものだ、季節の変わり目は体調を崩しやすいから、もう少ししたら落ち着くはずだ、と自分に言い聞かせて乗り越えてきたここ数ヶ月の希望が、日々少しずく打ち砕かれていく。

尿崩症だけならここまで体調が悪くなることはなかったかもしれないっていつも思う。下垂体は小指の爪くらいの小さな部分なのに、下垂体腺腫はあるわ、抗利尿ホルモンはでなくなるわ、下垂体自体が萎縮しているわと問題だらけ。自分でもどうしたらいいかわからないし、その都度出てくる体の不調に対する対処療法しかないのももどかしい。

より健康になるための努力だって毎日している。週末にバランスを考えた常備菜作りは欠かせないし、サボり気味だった通勤時のウォーキングも頑張っている。早寝早起きや、ストレスを減らす努力だってしている。頑張りが足りないというのはあるかもしれないけれど、それにしたって少しくらいは改善してくれてもいいんじゃないかって思う。だって、病気になる前によりはるかに健康的な生活をしているのに、体調が悪くなる一方なんて…なにより、様子を見るしかないって、そりゃないでしょと泣きたくなる…

消化器科の中待合で、呼ばれるのを待っている間、頭の中でぶくぶく膨れあがる思考に、気持ちはどんどん落ち込むばかりだった。わたしの異変に気付いたパートナーは、すぐに優しい言葉をかけてくれた。わたしが感じていた、さまざまな不安をいち早く察知したんだろう。

「様子をみるしかないっていうのが、ものすごく悲しくて…」

ポツポツと胸の内を打ち明けると、悲しさと辛さで、喉元がきゅーっとなる。ただトイレに行って、たくさん水を飲むだけならマシだった。毎日毎日、ひいては寄せる頭痛を我慢しながら、寝ても寝ても治らない倦怠感で体を引きずって生き続けることが苦痛で、それに対して何も対処ができないことが辛くて辛くて、話しながらポツポツと涙が流れる。

ピンポーンと呼び出し音が鳴って、スクリーンに142番が表示された。わたしの診察番号だった。涙を拭いて、診察室をノックする。消化器科ではそれまでの担当医が異動になり、新しい先生から肝臓の検査結果を聞くことになっていた。去年末、肝臓の数値が急上昇したときから、消化器科にもお世話になっていたのだった。幸い、摂取していたサプリメントの副作用で異常値になっているようだとすぐにわかったものの、問題がないと診断されるまでには数ヶ月を要した。今回の検査結果でようやく、肝臓の心配はもうしなくていいと言われて、少しだけ安心できた。

消化器科に通う必要はもうないけれど、止まってしまった月経をなんとかするためにまた婦人科に行かないといけないし、発病当初からしばらく悩まされていた喉の圧迫痛が再発しているから、耳鼻科にも近々お世話にならないといけないだろう。今はまだ精神科のお世話になるほどではないと思うけれど、自分でメンタルケアをしていかないといけないスレスレ、紙一重の状態だと思う。

どんな病気でもそうだと思うんだけれど、きっと良くなっては悪くなってを繰り返しながら、痛みや疲れ、悲しさ、つらさ、いろんな気持ちと折り合いをつけながら、一日を無事に生き伸びることが大事なのかもしれない。とくに、完治が見込めない難病にとっては。わたしはネガティブな気性で悲観的になりやすいけれど、それでも小さなことから前向きに対処していかないと、底のないブラックホールに捕われてしまいそう。

でもね、正直にいうと、身の回りで人が亡くなる度に、次は自分かもしれないって、うっすらと考えてしまう。たとえ、死ぬ可能性は低い病気だとしても、今この瞬間に何が起こるかわからないから。そう思うと、不安にもなるけれど、その一方で、楽になるんかなって思ったりもする…

いやいや、このマインド、良くない、良くない…

とはいいつつ、毎日そういうネガテイブな思考とポジティブな思考のシーソー状態なのだから仕方がない。同じことをぐずぐす悩み続けもするし、スッキリしないままでいることをずっと引きずり続けたりもする。弱音も吐くし、病院で泣いたりもする。まだまだ病気との付き合いは始まったばかりなのだから、うまい付き合い方を見つけるまでは、たくさん苦しんで、たくさん泣くしかないのかもしれない。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

Reviewed by
山中 千瀬

「うまい付き合い方を見つける」なんだよねって。不安とかが「消える」のを待つのではなく。早くそれがポケットの中の小石のようになってほしい。ぴったりの言葉を見つけられないけれど…

(「ポケットの中の小石に変わる」というのは映画の予告編のナレーションの言葉で、『ラビット・ホール』という映画の予告編です。バイト先にかかった映画なので予告編は何度も見た。結局映画はまだ見れていないのだけど、大きい苦しみとかについて考えるとき、いつも思い出します。)

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