「判断基準が外にある不安をどうにかしたいよね。もっと素直に生きて。」
そう言った彼のことを、知り合ってからの長い間、わたしは“判断基準”にしていた。
彼の好きなものを、わたしも好きになりたかった。
今なら分かるけれど、それは、彼に好かれたいとか、同じものを共有したいという動機とは、多分違った。
知り合った頃に彼が教えてくれた生き方や、表現は、自分にとっても必要なものではないかと感じたからだ。
その頃自分が求めていたのは「根源的なものだった」と、彼は言う。
わたしは、知らなかったのだ。
嫉妬も焦燥感も湧きあがらない、ただ、心を静かにしてくれる表現があることを。
それが、孤独から生まれる穏やかさであるということを。
彼が教えてくれたのは、そういうものだった。
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新年を、豊島で迎えた。
豊島で暮らす、美術家の安岐理加さんと一緒に過ごした大みそか。
この人老けたネ、と、老けないネ、を繰り返しながら紅白を観て、年越し蕎麦を食べて、お互いに話をした。
お蕎麦の上には、まいたけの天ぷら・安納芋の天ぷら・海老と春菊のかき揚げ。(最高)
理加さんはわたしを、娘のような“友人”と言ってくれるけれど、本当は、会う度にものすごく緊張している。
まだきちんと言葉にできないのだけど、とても尊敬している人なのだ。
いつかちゃんと、自分の言葉にしたい。
さて、紅白の大トリが歌い終わる頃、除夜の鐘をつきに家を出たのだが、鐘の音が全く聞こえない。
歩ける距離のお寺、両方に足を運んだけれど、どちらも暗く、誰もいない。
「あれだけ観光客が来るとはいえ島のゲンジツはこれだよ」「除夜の鐘もつけないほどの人口減少かア」と落ち込んで、引き返していると、後方から、はっきりと鐘の音が聞こえてくる。
ほどなく前方からも。
あとで住職の方に聞いたところ、豊島では、唐櫃地区は12時までに鐘をつき終わり、理加さんの住む家浦地区では、12時ちょうどに鐘をつき始めるのだそう。
そうとは知らなかったわたしたちは、お寺とお寺の間で、鐘の音に挟まれてしまった。
ひそやかに家の灯りが漏れる細い道の真ん中、ぴかぴかの月に喜びながら、「あけましておめでとうございます」と言い合い、それぞれ、大切な人へメールを打った。
冷たい、静かな夜の真ん中で、大きな光と音に包まれて、なんだか愉快で幸福だった。
元旦から仕事だったため、朝7時25分発のフェリーに乗って、初日の出は、海の上でひとりで見た。
前日寝るのが遅くなり(帰宅後、さだまさしの生放送番組を最後まで観てしまったからだ)かなり眠かったのだけど、眠気も、新年早々出勤する気だるさも忘れる美しさ。
あの光を直接見ようと、デッキに出た瞬間、一子さんにここで写真を撮ってもらった風景がよみがえってきた。
笑っているわたしたちと、世界でも救いにいくような、使命感に駆られた険しい表情の淺野さん。
頬の裏がうずうずするような、幸福な思い出は、なんだか頼もしい。
思い出す度に、少し自分を好きになれるような気がして。
鐘の音の真ん中で迎えた新年だって、そうだ。
自分には、もったいないくらいの経験をしているな、と思う。
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最近の、いつ頃からだったか。人と話すことが難しいと感じるようになった。
伝わらないことや、批判されることを想像してしまい、怖くて言葉が詰まる。
少し前は、自分にはもったいない、とさえ思うような相手にだって、もっと素直に話せた。
好きだから(ファンだから、の方が近いかも。ミーハー心)こそ、話したいことがたくさんあったはずなのに、今、好きな相手に、どうやって話をしたらいいのかわからなくなっている。
でも、これが、今の、ありのままの自分なのだと思う。
彼でなく、尊敬する誰かでなく、”普通は”という一言で片付けられるのっぺりとした基準でもなく、「判断基準を内側に持つこと」を意識したむき出しのわたしは、あまりにも弱弱しい。
だからまた、書いてみようと思った。
書いている間なら、自分と、辛抱強く話ができるから。
続けていたら、自分の“本当の感覚”みたいなものが分かるときがくるだろうか。
いつか、もっと素直に生きることができるだろうか。
彼の目を借りるのではなく、一緒に、世界を見てみたいと思うのだ。