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3F/長期滞在者&more

なにも変わらない、なに者かになろうと思わない

長期滞在者

子どものころ、夏になると千葉県の養老渓谷に川遊びに連れて行ってもらっていました。川で遊んだという細かな記憶は殆ど残っていないのですが、内房線の五井という駅で乗り換える小湊鉄道のディーゼルカーに乗った記憶は良く覚えています。昭和50年頃だと思いますが、甲高いエンジンの音と、冷房のない暑い車内が妙に記憶に残っていて、子どもながらにも古臭い電車だなぁと思ったものでした。

その小湊線が今も廃線にならずに、昔と同じようにずっとコトコトと田舎の山間を縫う様に走っている。ある記事で拝見しましたが「人が少ないからやめろ、という考えもあるかもしれないが、うちはそんなことは関係なく勝手に走らせているんだ」といいます。社長さんが言ってるんですが、すごい考えだなぁと思います。

駅舎は、「男はつらいよ」に出てきそうな昔の田舎にはどこにでもあった木造の建物で、大正時代に今の大手ゼネコンの鹿島が手がけたものだそうです。昔の鹿島組は洋館の鹿島の評があって、明治大正の建築に詳しい方ですと、当時の鹿島の様式が結構表れているのが分かるそうですが、それを今も大切に使い続けている。

ちょっと前まで世間の人は、時代に取り残されてるような目で眺めていたに違いありません。それが、今や多くの人びとの憧れの対象になっている。ちょっと今度行ってみたい、なんていうことを良く聞きますし、ギャラリーにいると、しばしば、この旧式のディーゼルカーが走る里山の風景を写した写真を見かけます。

多くの人びとの注目が集まったのには何か秘訣があるのか、というと、小湊鉄道は何も変わっていない。毎日毎日昔からずっとやっていることを続けているだけ。いつも通り列車を走らせています。変わったのは世の中のほうです。

この話に触れて、美術表現の本質にあまりにも似ているじゃないかと思いました。時代や世の中の流れに惑わされないこと、そして何モノかになろうと思わないことを小湊鉄道の姿勢から改めて学びました。
ここ数日総合格闘技の選手、日本美術評論家、映画監督と立て続けに打ち合わせの席がありました。
お話を伺いながら書き留めたメモを見返してみたら、「ナニモノでもない人間であることをどれだけ耐えられるかどうか」とか、「何者かになろうと思わない」とか、「結果としてそうなる」とかそういう言葉があちこちに残っていました。
もっともっと毎日すべきことを丁寧にこなし、それを積み重ねることで、ぼくもホンモノを見極める目を磨いていこうと思います。

小湊鉄道の社是は、「故くして、なお新しい」というのだそうです。 

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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