入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

ボツ論

長期滞在者

写真展会場にいくと、時々会場内にファイルが置かれていることがある。グループ展などに行くと、出品メンバーそれぞれが立派なポートフォリオブックなどが、それぞれの壁の前にちょこんと置かれていることもある。
ファイルの中身は人によって考え方はあると思いますが、結構な確立で展示しなかった写真をファイルにまとめましたのでどうぞご覧下さい、という方がいます。展示しなかった作品というのは、すなわちボツということではないのか、と私などは思うのですが、どうなんでしょう。例えば目の前に4枚の写真を並べていたとして、その他の写真は、ファイルの中に20枚ございます、と言われてもぼくは、それを見るべきかどうか、正直困ってしまいます。なぜなら、展覧会では、壁にかかっているものが全てだから。ファイルに納められたイメージは、その続きではない筈で、4枚が多いのか、少ないのかは良くわからないけれど、少なくとも現状ではこのスペースしか自分の発言出来る場はないのだ、と考えれば、4枚で言いたいことを言うしかない。逆に4枚で言い表せない場合は、それは適切な写真が足りない、ということじゃないのか、と。

しばしば、展覧会の企画の件で色々な作家さんのプリント、時にはベタ焼きやネガを丸ごと拝見する機会があります。実は今日も仕事が終わってから、ある方の仕事場へお邪魔し、膨大なネガのストックを拝見させて頂いてきました。
良い仕事を残されている作家さんの仕事場にいきますと、プリントもネガも実にきちんと整理されています。
あるシリーズとしてまとめられたものは、発表したものと、使わないものとに仕分けされていたりします。
今日拝見した作品も、ネガの段階で「これは、使用しない」と朱書きされて、ひとまとめになっていました。

たかだか10数点のイメージをまとめるのに、膨大なボツがうまれます。撮って、自分で見て、捨てるを繰り返しながら、少しづつ作品を積もらせる。それが編集という作業なんだろうと感じます。写真の制作プロセスにおいて、この選ぶ、編集作業は重要です。ベタ焼きのコマを目で追いかけながら、あるシチュエーションの中で、この作家さんがどれを採用し、どれを捨てたのか、その辺の選択ひとつで、その仕事の印象は大きく変わります。作家さんの思いに近づくための手がかりでもあります。それは作家さんのアトリエといった仕事の現場に行けば見れますけれども、決して外には出て行かないイメージです。封印というと大げさかもしれないですが、ご自身でも気が変わって安易に復活させたりしないような工夫がされています。

しかしながら、自分の今までを振り返ってみますと、大学に通って写真を勉強した時から、選ぶ作業について特別な訓練をした記憶がありません。作品講評では大抵机上に並べられた、図版の情報から読み取れる部分、すなわち構図、プリントのクオリティ、被写体やテーマの選択などに議論が集中しがちです。それ以前になぜ色々ある中からこれを選んだのか、という議論はかなり重要だと思いますが、多くの講評会の場合その辺に触れない場合もあります。

何年かぶりに学校で写真の授業を受け持つことになりました。私の担当は、写真を撮ってプリントした先、見せ方とまとめ方について教えて欲しい、というリクエストでした。年間を通じてこのようなことだけを教える授業は全国的にみても珍しいと思います。見せ方のテクニックではなく、なぜこのチョイスなのかと徹底的に考える場を作りたいと思っています。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る