先日新宿のエプサイトで写真を売るということをテーマにしたレクチャーをさせて頂きました。35度越えの猛暑の真っ昼間だというのに、後ろの方で立ち見もでているくらいお越し頂き大変ありがたいと思いましたが、このようなテーマのトークショーに興味を持たれる方がこんなにもいるのか、ということも驚きでした。
最近写真を売る買うを始めとしたファインアートフォトグラフィーの仕事の様子についてお話をして欲しいという依頼が増えていまして、今月もあと2度程写真学校等の集中講義でそのようなテーマで話をします。
仕組みを知る、ということは写真を学ぶ人にとっては重要というか、彼らにとってみれば切実な問題ではあります。
ただし、いつも思うのはその仕組みなどの知識を持っていることが必須ではない。そもそも良い作品を作ることがこの道を目指す人にとって唯一社会から求められていることであって、知識を得たからといって何者かになれる訳ではないのだ、ということを最後に付け加える様にしています。
ひとつの展覧会で良い作品をきちんと紹介すれば、それなりにお客様に認めて頂きモノが動く時代になりました。まだまだそれだけで作家さんの生活の基盤が成り立つ訳ではありません。でも写真以外の分野に目を転じてみてもそれは異常な世界とも言えない様な気がします。美術全般はもちろんのこと、音楽だって、演劇だってシリアスに自己の表現に打ち込んでいる世界は皆同じです。プロボクシングの世界にしても、日本チャンピオンクラスでさえ何らかのアルバイトをしながら、日々トレーニングに打ち込んでいます。
だからといってこの現状を悲観している訳ではありません。展覧会をしたり、新しく出る写真集を紹介するイベントを企画したりする時に心がけるのは、心の底から楽しい!やって良かった!と思える様な時間にすること。自分たちが夢中で打ち込んでいることが他人にも伝わり、なんだか面白そうだなぁ、と感じてもらえる様な雰囲気を作り上げていくことです。ただただ辛い、世間様から「なんだか大変そうだなぁ」と思われてはならない、ということです。
ボクシングの話でいえば、脳や内蔵に直接的にダメージを受ける命がけのスポーツです。厳しいトレーニングを積んでプロライセンスを取得するのに、ファイトマネーだけでは喰っていけない、それでもプロボクサーを目指す若者は今も存在するし、彼らの闘いぶりに熱心に声援を送る人びとがいる。結果としてそれでお金がついてくればありがたいと思うのは自然なことだとは思うけれど、お金のことだけじゃない何かがあるから続けていけるのではないかと思います。
今皆さんに申し上げていることは一般的社会通念上は非常識な考え方だとも思うのですが、世間の常識の外で何も無いところから何かを生み出している人びとがいる。それが表現者だともいえます。常識と非常識の間には明確な線が引かれている筈なんですが、大抵の場合、そのラインがどこにあったのか気がつかないうちに、気がつけば一線を越えた地点に立っている自分が居ることに気がつく。モノを作る人間ではないぼくができることは、向こう側に行ってしまった表現者たちに最大限の敬意を表すること。そしてそう接するべきなんだということを市井の人々に伝えていくことなんじゃないかと思っています。