ギャラリーの仕事をしている以上、作品を売るのも仕事の一部です。ただし、ギャラリーはモノの売り買いの場である以前に、作家さんにとっては作品発表のための大切な場でもあります。
生きる、という部分では必ずしも必要とされないものを買って頂くには、お客様の心を動かす何かが必要で、そのためにはやっぱり売る側の気持ちが大切です。安易に「これ、いいでしょう」「超、良くないですか?」と自分たちの価値観を押し付けるというか、最初から自分たちの商品を自分で褒めちぎるような態度は取りたくない。
その作品が面白いか否かを決めるのはお客様であって、ぼくたちがすべきことは、ご自身で理解し判断するために必要と思われる最低限の知識を差し上げること。その上でお客様は作家さんのことに思いを巡らし、目の前にある写真と向き合い、単なる情報を越えて、魅力的なモノに見えてくるかどうか。
先月開催した故・曽根陽一写真展で展示したプリントのことでいえば、細かく焼き込みや、フォギー調に仕上げる紗の様なものをレンズの前に差し込んで焼き付けをしており、セレン調色によってかなり赤っぽいモノトーンに仕上げている点などをお客様にお話ししながら、これが撮影後にちょっと自分で見るために軽くプリントしてみたようなものではなく、一枚一枚相当集中して取り組んでいたマスターピースであること。
このシリーズは、ご自身の結婚式の時に引き出物の中に一枚ずつ添えられていたなど、本人にとっても思い入れの深いシリーズなことをお伝えしたりしました。
曽根さんの写真に憧れ、少なからずお仕事でもご一緒にした経験のある方が、ひとりの写真人として、曽根さんと同じ時代を過ごした証として作品を頂きたいと申し込まれました。一枚の写真の中から見る人それぞれのドラマやストーリーが生まれ、その先にその人なりの魅力が現れます。お求めになる方からこのような素敵なお話がきけると、道楽商売であっても社会と繋がりを持てた様な手応えを感じます。
接客に当たってもうひとつ気をつけていることは、説明する際に、小難しい芸術論写真論に頼らない会話を心がけることです。
現在日本の写真市場が今ひとつ成長しきれないのは、結局のところごく内輪的な写真愛好家とそこに向かって言葉を紡ぐ専門的な研究者との間の対話に終始しているからであって、今ぼくたちがすべきことは日頃写真 ”なんか” 見ない、という人たちをどれだけ巻き込んでいけるか、そういう人びとに面白さを直接伝える機会を持つこと、そういう人たちに写真に親しみを持って頂く努力を惜しまないことだと思います。そのためには、写真が分かる様になるには、相応の勉強をしてもらわないとダメよ、的な発想は通用しない。
芸術論で逃げずに平易なことばで、その作家さんの魅力を伝えられるくらい、扱う側が心底惚れ込んだ作品しか扱わないのだ、という気概がないとモノは動かないでしょう。
名古屋に常時60名以上の作家さんを取り扱うアートショップがあります。持ち込まれたものを全て受け入れているのではないそうです。興味を持った作品があれば、日本中どこでも自らアトリエに出向き、交流をして、作品の根底に流れるものを感じ取り、その人柄にも触れ、1~2年はおつきあいをして、本当に自分が扱えるのかどうかの判断を下すのだそうです。
3年前くらいから、時々そこを訪れては、その人の立ち振る舞いから色々学ばせて頂いているのですが、いよいよ本業の陶芸作家の仕事に戻るため、お店のほうは引退されるのだそうです。年内はいらっしゃるということなので、来週あたり最後の勉強をしに名古屋に行ってくるつもりです。
今年の出張ルーニィは、静岡市、名古屋市、大阪市、岡山市、とまるで新幹線の停車駅の様に西へ西へと伸びて来ています。
それぞれの土地での新しいお客様との出会いとその縁を繋いで下さるのは、各地にいらっしゃる、まさに気概のあるスタッフの方々。そういう人たちのネットワークが確実に広がっている実感があります。