いとうせいこうの『想像ラジオ』を読んだ。
4年前、震災の一ヶ月後に被災地を訪れた時のことを生々しく思い返しながら。
今から思えば、津波の映像を見続けたせいで自分もいくらかショック状態のまま、なぜそこに行かなければならないのか、そこで自分に何ができるのかも不確かなまま、ただあの映像で見せつけられた途方もない惨事が本当にあったことなのかどうか自分の目で確かめなければ気が済まない、というか、何か途方もない激変が起こった母国に置き去りにされそうな、置き去りにされたくない、そんな切迫感に突き動かされて現地に向かったのだったと思う。
被災地のどこを訪れても、部外者であること、当事者ではないことに罪悪感を感じながら、とは言えそこで何ができるのかもわからないまま、呆然としながら人に会っていた気がする。
5人の家族を一度に失くしてしまった友人に会った時、実は、彼女に実際に何が起こったのかはっきりと知らないまま会ってしまった。家族の誰かが行方不明らしいことはSNSへの彼女の書き込みでなんとなく想像できていたのだが、まさかそれほどのことが起こったのだとは、実際に現地で再会して、しばらく他の友人などとの会話の中でそれが見えてくるまでは、知ることができなかった。そうやって大体のことがぼんやりと掴めた後も、彼女に何が起こったのかを直接訊ねる勇気がなく、かつて恋をしていた相手の無事を喜んでいいものかどうかという判断もゆらゆらと揺れ続け、彼女とのコミュニケーションは薄ぼけて曖昧なものに終始してしまった。ただ、ある種の興奮状態が続いていたからか、何か自分にもできることがあるのではないかという希望的観測を根拠なく持ち得てもいたのは確かで、その勢いと慣性で支援活動のようなことも続けてみた。そして慎ましくはあったが少しばかりの成果もあった。ただ、あの時の彼女に面と向かって言葉を交わせなかったことへの罪悪感は今でも消えない。
その彼女とのこともそうだが、陸前高田の被害を目の当たりにした時に受けた足がすくむような恐怖や畏怖に対しても、実際に亡くなった人々や、原発事故で被害を被り続けている人々に、結局何が自分にできるのかわからないまま、ただ時間が経つにつれて薄れていくあの罪悪感をまた別の罪悪感で覆いながら諦めたように眺めるしかない日々が続いていた。
だけど『想像ラジオ』を読んで少し救われた気がした。
想像界というものがあるはずなのだ。いや、それは人間にとってあって欲しい、というかそれなしでは生きていくことがあまりにも干からびたものになってしまう、そんな「美」そのもののような世界なのだ。(小林秀雄は「「美しい花がある。花の美しさという様なものは無い」と言ったが、日本人の感覚としては、それが正統派だと思う。そうしてみると、いとうせいこうという人はどこから「想像界」を引っ張り出したのだろう。プラトンか、はたまたイスラムあたりか。)
そしてその世界で起こることにもそこでなりのリアリティーがあって、そこで起こること、想像する主体がそこで起こすことによって、悲しみを共有することにも意味があっていいのだ。
祈る、ということが、元々そのようなものなのだろうから。
というか、想像界というのは祈りの瞬間に立ち現れているような場なのだと思う。
想い、祈ろう。