入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

街とのつきあい方

長期滞在者

渋谷

この二週間で立て続けに3度渋谷に行きました。
今のぼくは殆ど渋谷の街に用事も関心もなく、滅多に訪れることのない場所になってしまいましたが、かつてはよく渋谷の街を歩いていました。銀座線のホームから東急百貨店のエスカレーターで地上に降り、そのままセンター街を雑踏を避けるようにアミダクジ状に移動しながら、スペイン坂を登り、パルコギャラリーで展覧会を観る、あるいは東急ハンズでちょっとした展示のための細かな材料を買うか、かつては、その向かいにタワーレコードがあったので、好みのCDを物色する。この界隈のまるで谷底を思わせる井の頭通り周辺には当時数軒のギャラリーがあり、版画などに混じって時々個性的な写真を並べるお店もあって、そういった場所も冷かしたりしていました。洋書の写真集などもこの頃は銀座よりも渋谷の方が面白いものに当たったように思います。

ここから渋谷公会堂や東武ホテルの方向に抜けると、今でもエッグマンというライブハウスがあるが、その近くにかつては、エッグギャラリーという当時ではまだ珍しい写真を重点的に扱うギャラリーがあった。このふたつ、名前は似ているけれど、特に関係はなかったと思います。エッグギャラリーの界隈は今でこそ、ファッション関係のお店が並び昼間でも人通りの絶えないエリアになっていますが、当時は静かな一帯で、大きな邸宅に混じってラブホテルが数軒点在しているような感じで、ちょうど神戸・三宮の繁華街を抜けた山手の一帯にも似た雰囲気があり、不思議とこの一帯を歩くのが好きでした。つまり当時のぼくにとっては、公園通りの両側百メートルほどが渋谷という認識だったということで、道玄坂や、宮益坂から青山学院の方向などは殆ど馴染みのない一帯でした。

ハチ公前のスクランブル交差点は目眩がするほど人で溢れかえっていました。
この雑踏で立ち止まるのにはいささか躊躇しますが、よく観察してみると、カメラを持っている人が実に多いことがわかります。外国人の観光客も相当います。スクランブル交差点から、渋谷109を背景にあるいは山手線のガードや、JRと井の頭線をつなぐ通路などを背景にする構図はいかにも東京的な風景で写真が撮りたくなるのでしょう。

他方、スナップ写真の作家さんにとっても渋谷は魅力的な被写体で、昔も今も実に多くの作品が渋谷の街を舞台に撮られてきました。渋谷を撮っているという人のほとんどが、類型的な誰もが一目見て渋谷と思えるようなイメージをたくさん持ってきます。路上での写真を見る側にとって、この写真がいつどこで撮られたのかは、写真を読むのにとても大事な要素だと思うのですが、レンズを向けた人が、なぜこの瞬間にこの場所でシャッターを押したのかの必然性が感じられないものも多い。
外国人観光客のように、ただ自分がこの場所にいたという証を残すという意味ではそれが必然なのかもしれない。それはそれで良いし、その人にとって大切なものではある。ただ、表現であれば、その写真を観る他人が必ず存在するから、自分にとって大切だからといっても、それだけでは他人に示す理由とはならないはずです。

自分はなぜ渋谷で写真を撮るのか、そこを探るには自分とこの街との関わり方を考えると良いと思う。どのようなことで自分は渋谷に出向いているのか、買い物に行く、映画を観る、競馬の好きな人は並木橋に向かいますし、その周辺にも庶民的な食堂や飲み屋があります。一昔前は、ビットバレーと呼ばれてIT系の企業が渋谷に集積していました。今も情報産業の会社が多いと聞いていますが、そういう人々は渋谷とどのように関わっているのでしょうか。円山町のホテル街の先には、昔なら東京のどこにでも見られた複雑に入り組んだ路地と密集した木造家屋など、普通に生活をする風景があります。他方渋谷駅近くの高層マンションで暮らしている人もいて同じ生活者の視点といっても全く違う風景を眺めていると思います。このようにひとつの街であっても自分がどのように関わっているかによって地理、時間、通り過ぎたり触れ合ったりする人間の属性に至るまで全く違うものになるはずなのですが、写真表現として私たちの前に出てくるものには、そこまでの多様性は感じられない。
都市と自分との関わり方で、自分の興味の方向性が出てくる、その先にはこの写真を他人に示す価値があるのかの決断を求められる瞬間があると思います。このプロセスを通り抜けた写真は見れば分かるものです。渋谷を題材にした優れた写真作品と、単に画面構成上の素材として渋谷を象徴的に扱ったに過ぎぬ写真の違いは歴然としていると思いますが、今やその違いが分かるくらい写真を読み込んでいる人は、東京であっても多くはいません。むしろこの違いを指摘できる人がもっと増えてくれないと、単に人目に触れる(それをデビューと呼ぶならそれでも良いけど)頭数が増えるだけで、写真表現の品質は下がっていくだろうと思います。

昔の話に戻りますが、渋谷の後は再び銀座線に乗って当時は虎ノ門にあったPGIとポラロイドギャラリーから銀座に向かうか、神田のいくつかの写真や現代アートのギャラリーまわり、最後に「平永町橋ギャラリー」を見て階下の小さな赤提灯で100円の生ビールを飲んで帰路につく、という感じがよくあるパターンでした。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る