甘くみてたわ、完全に。
最初にヴァネッサ・パラディを聴いたときの第一声である。
音楽院のはなし、ではありません。
専門外の、私にとってなくてはならない存在である、クラシック以外の音楽のはなし。
女優としてのヴァネッサ・パラディは好きではなかった。
パトリス・ルコントの「橋の上の娘」があまりいい印象を残さなかったせいか、他の作品を観ても「これは」というものには当たらなかった(ルコントの映画は好きなのだけれど)。
彼女が歌手であることは知っていたが、そんな事情なのではじめから聴こうともしていなかったのである。
ところが、出会いはある日突然に。
朝から晩、自身が外出している時にまで流しっぱなしにしている程のミュージック・アディクトである友人宅に遊びに行ったその日もずっと、様々なジャンルの曲が次から次へとかかっていた。
その曲がかかった瞬間、私にはこれが運命の出合い─毎日のように聴くようになる音楽を聴いたときにしばしば受けるある感覚、閃きのようなもの─であることが分かった。
彼女の歌う曲ならきっと外れなしだ、と。
C’est qui?(誰が歌っているの?)
私は尋ねた。
Vanessa Paradis.
一瞬の間の後もう一度尋ねたのは、聞き取れなかったからではない。
それはあまりにも予想外の回答だった。
ヴァネッサ・パラディとはあのヴァネッサ・パラディ?
長い間ジョニー・デップのパートナーだった、フィルムの中ではあまり魅力的な女優に見えない、あの?
それから彼女のアルバムをあらためて聴いて、またも唖然としてしまうのだった。
あんまり良くて。
ああでも、そういえばこういうことは昔良くあったな、と思った。
こういうことというのは、一瞬の内にその曲に魅せられてしまう、ひと目惚れならぬひと聴き惚れのこと。
私がクラシック以外の音楽を聴くようになったのは小学校4年生の頃で、その嗜好がはっきり形作られたのは高校生の頃だった。
クラスメイトの女の子が一枚のCDを渡してくれたのだ。
すごくいいから聴いてみて、と。
それはスピッツの5枚目のアルバム「空の飛び方」で、当時大ヒットしていたドラマ「白線流し」の主題歌「空も飛べるはず」が収録されており一番の聴きどころでもあるはずだったのだが、私が一瞬でさらわれた、と感じたのはその次の4曲目に収録されている「迷子の兵隊」を聴いた時だった。
メロディもサウンドもアレンジもそれまでに聴いたことがないミラクルの世界に、完全にノックアウトされてしまったのだ。
その日を境に私の音楽の世界は一変した。
彼女にはいいバンド(バンドに限らないけれど)、特にインディーズバンドを探し当てる能力に長けていた。
基本的にサウンドはエレクトリックを使用せす、ギターとベースとドラム構成のスタンダードなものが多く、実際のところどうかはともかく、やはりアンダーグラウンドを連想させるバンドばかりであったことも特徴的だった。
邦楽・洋楽問わず聴きあさっていたし、私も彼女にならって片っ端から借りて聴いた。
もともとの好みが似ていたのだろう。
全てとは言わないが、ほとんど彼女の選ぶものなら私も好きになった。
その内に、試聴せずジャケットの印象のみでCDを選ぶ「ジャケ買い」を覚えるようになった。
不思議なことに、いいなと思うジャケットは内容も好みなのだった。
その中でも秀逸だったのは「Gloss」というバンド。
イギリスのバンドだということを知ったのは随分後のことで、というのはどうも私にはそのサウンドがスウェディッシュ・ポップスを連想させるからなのだけれど、一見ダンスミュージックのような要素が窺えるものの、良く聴いてみるとメロディの構成が良くできているし、アレンジにも色々な工夫が凝らされていて、非常に丁寧に作られたアルバムであることが分かる(残念ながらアルバムを1枚出したきり、2004年に解散してしまった)。
同じくジャケ買いで出合ったカミーユはやはり同じような理由で大好きになったフレンチ・ポップスだ。
私には作曲の知識もコード進行も備わっていないが、自然の生理にのっとった音楽はいい作品だと信じているし、だいいち気持ちがいい。
共通しているのは声だ、と思う。
惹かれるのはちょっと気怠くて甘い、砂糖菓子みたいな声。
もちろん芯の通った凛とした声だって大好きなのだけれど、惚れてしまう声は断然甘い方だ。
好きな声ということで言うなら、退廃的な声には憧れる。
たぶんお酒とか煙草をたくさん摂取してしゃがれたような、少しがさがさした感じの、たとえばキャロル・キングみたいな声。
男性の声でもそうかもしれない。
あんまり綺麗じゃない声。
ザ・マフスとかポプシクルとか。
ジェリー・フィッシュもカーディガンズもザ・ピロウズもワナダイズもサニーデイ・サービスもザ・ゾンビーズも中村一義もトーレ・ヨハンソンとタッグを組んでいた頃のボニー・ピンクもデキシード・ザ・エモンズもみんな彼女に教えてもらった。
私は彼女から、音楽のセンスというものを教わった気がするのだ。
それから十年以上経った今でも変わらず、予期せず出合ってしまった音楽たちにさらわれては、なかなか帰って来られない。