仕事場の近くに住んでいる衣料品関係の仕事をされている社長さんが、友人から頂いたという古い書物の1頁を切り取ったものを持って寄ってくださいました。フランス語が読めないのでなにが記されているのか分からないのですが、その方の仕事観に響くことばが綴られている詩の一節なのだそうです。書物にしては、分厚い用紙に活版ですられた本文は、それだけでも重厚な表情があり、周囲が茶色く焼けているのも時間の経過が感じられて味わい深いものがありました。
大切にしたいので、額装してほしいということでしたので、この紙片がもつ雰囲気を大切にしようと考え、オーバーマットをせずに、紙の変色の進行を遅くする特殊な性能をもつボードを使って、用紙を丸ごと見せる方法でまとめました。
経年変化とは、一般論として劣化の一種として受け止められていますが、必ずしもそう言い切れるわけでもないよな、と思うことがあります。写真を含めた紙モノの作品の場合、支持体の経年によって制作当初とは違った風合いを見せる。確かにそれは化学的に考えればは変質ではあって、良いことばかりではないのだけど。作品とともに暮らす、生活の中で作品を使っていくという視点で考えると、もう少し前向きな表現で捉えたくなります。
古いモノクロ印画紙は時間が経過すると、黒く締まった暗部の階調が反転し、銀色に輝いてきます。写真界の先人たちが昔の印画紙は今よりもずっと銀の量が多かったと言われていましたので、かなり昔のモノクロ写真じゃないと、このような効果は感じられないのだと思いますが、かつて見たエドワードウエストンの1930年代のビンテージプリントは、銀が浮いて光の角度によって鈍い光沢を持ち、とても魅力的な1枚に感じられました。
軸装では、開いたり巻き取ったりを繰り返しながら、使っているうちに独特の使用感が出ます。中古カメラなどですと、使用感のあるものは、評価が下がりますが、仕立ての良い軸装はそれをマイナス評価せずに、相応の風合いが出てきたと表現したりするようです。身の回りのものでも、新品のデニムではなく、適度に色落ちした古着が喜ばれたり、様々な技巧を加えて使用感を表現したりするものがあります。服ばかりではなく、民家の解体で発生した古材を求める人がいるのも同じような理由ではないでしょうか。
転じて写真の世界では、近頃のインクジェット紙の種類の豊富なこと。印画紙の時代では比べものにならないほど、素材や質感のバリエーションがあります。その中には、和紙や、コットン系など個性的な表情を持つものがあります。経年による味わいはもう少し年月を待たねばなんとも言えませんが、何やら硬い素材に一律に裏打ちされてしまう傾向にあるのはいささか勿体無い気がします。
温度湿度で波打ったり、反り上がったりはそれぞれの紙のクセであって、それはそれで、作品の味に付け加えることができないものでしょうか。一律にローラーと接着剤で完璧な平面性を目指すばかりでなく、時間とともに不規則に変化していく状態を面白がる作家さんがもっといてもいいのにと思います。現代作品が年月とともにどのように味わいが変化していくのか、もちろんそこに描かれているモチーフが持つ意味も変容していくわけですが、描かれた世界ばかりでなく、焼き付けられた紙自体にも楽しみを見つけていきたいと思っています。