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3F/長期滞在者&more

写真と言葉

長期滞在者

アパートメント画像201509

ルーニィで個展の相談にお見えになる方の作品を拝見していますと、ここ数年はステートメントを添えて持ってくる人がいます。個人的にはステートメントなんか、あってもなくてもどうでも良くて、口頭でいろいろお話ができればそれで十分なのですが、ポートフォリオレビューが、あちこちで開かれるようになり、その対策として「正しい受け方」みたいなことを教わっている人が多いのだと思います。正しいステートメントの書き方という講座もあるとか聞いています。個人的にはそんなレクチャー必要か?と思いますが。作品を間にして、ギャラリストであるぼくと、作家さんが言葉を交わす。その上でぼくの会場で個展ができるかどうか、大抵はその場でぼくが判断して可否をその場でお伝えします。

写真は言葉を必要としないコミュニケーションツールだ、みたいなことをいう人がいますが、全く的外れな意見だと思います。
写真は撮る側の外側の出来事しか画面に表現することしかできません。だから、一枚の画面と向かい合う時、必ず「これは何か?」の問いかけがある。なぜこの人は、この被写体に心を寄せ、なぜ私にこれを提示してくるのだろうかと。

話が逸れますが、誤解なく言いますと、多くの人々はそこまで関心を寄せたりはしません。写っているものが、自分の好みにあっているか、あっていないか、自分が見たくないと思っているものを見せられれば、「好きじゃない」と言うでしょうし、好みと合致していれば「面白い」となる。好きじゃないものには、理解をしようと努力をする余地すらない、写真表現を志している人には、冷たい言い方かもしれないけれど、概ね写真表現をめぐる事情はこの程度のものだと思っています。

貴重な「これは何か?」と問いかけてくる観衆にたいして、解釈の手がかりとなるのが、作家の言葉だと思います。この人が何に関心を持ち、世の中に対してどのようなスタンスで向き合っているとか、作家の意識のフィルターを通してその作品を眺めることによって、より作家の気持ちに寄り添えるのではないか、というわずかな期待があるから、見る側は作家の言葉が欲しいと思うのではないか。
SNS上で「いいね」がたくさんついているのに関わらず、リアルの世界では酷評されてしまう作家さんを何人も知っていますが、それは、視覚表現における言葉の重要性を軽視しているからです。次々とアップされる写真には、それを仲立ちにして言葉の交流がないから、自分の作品に対する自問自答の機会を失って、表層的な眼の刺激の世界で遊んでしまっているからだと思います。ゆえに、自分の言葉を持たなくなるのです。

ステートメントがうまく書けない、と訴えてくる方も少なくありません。そもそも作家の言葉とは、考えてひねり出すようなものではないでしょう。表現したいことがないから言葉が出てこない。それでも表現がしたいと思っている人は(おかしな話だが)どこからか借りてきた言葉をつなぎ合わせてテキストを書いている。それは人の心に響かない。自分の作品に言葉を添えることはとてもデリケートな作業です。しかし何かに熱中し制作に打ち込んでいる作家さん、どうしてもこれを見せたいのだ!と思いが強い人はステートメントなど用意していなくても、聞かれれば自分の作品に適切な言葉を持っているのが普通です。

他方で、全く言葉を必要としない作品もあって、作品自体が情熱の塊みたいに、こちら側にぐいぐいと迫ってくる場合もあります。見る側もそれを形容するのに適切な言葉が見つからないが、こちら側の心を揺さぶるような作品も確かに存在します。ただし、それは相当特殊な例だとも思います。その理由は、このケースは作家の存在が極めて個性が強く興味をそそられる場合が多いからです。

このどちらでもないと思える、自分の写真と言葉がうまくかみ合わない人、言葉ばかりは勇ましいが、作品が全く伴っていない人が東京にはものすごいたくさんいるな、というのがぼくの印象です。作品と言葉の不一致に悶々としている人は、いろいろ講評を受けても仕方がないと思います。なぜなら表現したいことがまだ分からないのだから。とにかく制作に打ち込み、自分の作品をよく見ることで、言葉を獲得していくきっかけを探していくしかありません。自分の写真を見るためには、なんらかの実践の場が必要で、かつては雑誌メディアがその役割を果たしていたと言って差し支えないと思います。今は雑誌がそういう作品の受け皿として機能していませんから、そのようなことはほぼ無理です。

では、言葉を獲得していくためのハウツーはどこへ向かっていけば良いのか?最も手っ取り早い方法は、ギャラリーで小さな発表活動を積み上げていくことです。キャリアの浅い写真作家が個展でやるべきことは、集客とかそういうことではなく、まずは自分の写真を見ることです。そしてディレクターや、何人かのお客様などの他者からの視点を受け入れながら自分の作品への自問自答を重ねていくのがすぐにでもできる方法だと思います。今日、東京のギャラリー事情としては、ぼくが主宰している以外のギャラリーを見回してみても、ここ20年来で最も評価の定まっていない作家に対して広く門が放たれていると思うのですが。多くの人々が受け皿がなかったり抽象的なゴールしか示さないレビューでどうして練習試合を重ねているのか、ぼくにはいささか理解できない。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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