入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

選ぶこと

長期滞在者

アパートメント4月
デジタル一眼レフを数台持っているけれど、最近写真を撮るのはもっぱらスマートフォンです。日々の仕事の記録写真も、授業などの講義に使うための写真も、時々依頼される雑誌の記事に添える小さな写真原稿のための写真に至るまで、これ1台ですませるようになってしまいました。このコラムのために掲載している図版も同じです。スマートフォンの軽いデータでほとんど十分なのです。

理由はいろいろあって、その方が簡単だからだろう、と思われるかもしれません。実はそうでもなくて、ぼくの場合本格的なデジタルカメラよりもスマートフォンで撮る方がはるかに真剣に撮っていることに気がついたからです。
デジカメで写真を撮る方がはるかに素早く撮影は完了します。カメラ任せでそこそこ綺麗に撮れますから。
スマートフォンではそうはいきません。構図をみながら、縦にしたり、横にしたり、ピントを合わせたいところを指で押さえたり、好みの明るさになるように、露出補正やAEロックを使います。画質が犠牲になるデジタルズームは使わないようにしているので、モチーフが好みのサイズになるように、主に自分が動くことで被写体との距離を調節します。 
こんなことをしていると、スマートフォンは1枚撮るのに案外時間がかかります。ズームレンズ付きの高性能なデジカメなら、その間に5枚くらい撮ってしまいそうです。ガシガシと撮りまくることはせず、一発でちゃんとした写真を撮りたいので、結果として真剣に撮っているな、と最近気がついたのです。そして、それはフィルムカメラを使っている時によく似ているとも感じました。

そうやって撮影したコマを同期させたパソコン上で選び、若干の補正と編集を施し、原稿やプレゼンテーションに使っているのですが、ゆっくりと時間をかけて撮影したスマートフォンのインデックスから、必要なカットを選び出す作業はさほど苦になりません。
デジタルカメラで撮影したインデックスをパソコンのモニターで眺めるのは、その逆で辛いと感じることがあります。デジカメの編集作業は、まずは大量のデーターの中から不要なカットを捨てる作業から始まります。一つのシーンで撮影中は、これだと思う瞬間があったはずなのに、似たようなコマが並んでいても、どのタイミングショットがOKだったのか、改めて見るとよく分からない。
よく見ると、それぞれに一長一短があるように感じられ、自分なりにパーフェクトだと思うコマが見当たらないのです。
要はシャッターのひと押しひと押しの気持ちが軽いんだろうと思います。
アナログ的プロセスで撮影したインデックスには、結果として膨大な量のコマが目の前にあっても、今必要なコマを選出する作業は捨てる感覚とは程遠い印象があります。

情報伝達の手段としての写真として考えると、最終的にデジタルでもアナログでも、出来上がった画面をみたり見せたりするコミュニケーションであって、社会に触れさせる現場から見ると、デジタルもアナログも関係ないように思われます。
しかし出来上がった全カットからセレクトするプロセスは、後に人の目に触れる写真の印象を大きく左右することになります。
撮影~セレクション~編集~公開までを制作プロセスと考えると、その公開前の過程が随分違うのではないかと近頃感じます。いや、違うことはわかっているつもりでした。要は違うことによって、眼前に現れる写真の印象が変わると思うのです。

今までは、過程の違いとはそれぞれ固有のシステムの違いであって、目的地はどちらを選んでも同じだと考えていました。実際ほとんどの人はそう考えていると思います。ひょっとすると、見てくれが似ているだけで、ゴールが違うのではないかとも思い始めています。従来と異なるゴールを目指すとすれば、それは、全く新しい写真との出会いの期待が生まれます。従来のやり方で同じゴールを目指すのであれば、そこに至るプロセスに無自覚ではまずい。デジタル特有の制作過程を疑ってかかる必要がありそうです。なぜなら、ぼくがそうであるように、大抵は「デジタルでもアナログでもどっちでもいいんじゃない?」といいつつも、身に染み付いたアナログの方法論で写真を読んでいるから。その辺を強く意識できていないと「何かもの足りないね、この写真」と言われてしまいそうです。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る