このビルを少し離れたところから見ると、とても味わい深いかたちをしていることに気がつきます。
ぼくが、ここに来たばかりの頃は、レンガのタイルが貼られていましたが、現在では白のモルタルが吹き付けられています。どちらの時代もよく似合っていました。
特徴的なエントランスの屋根を支える黒御影石で化粧した柱があり、上に向かって細く削られるようなかたちをして、左右非対称に広がる屋根に結ばれています。屋根の庇は両端へ向かって、薄く削るようなかたちであり、どことなく軽飛行機の主翼を思わせます。階段の踏面に使われる石材の重厚感や、細部に使われている金具類にも、厳選したこだわりを感じさせ、全体から細部に至るまで建て主の思い入れの強さがうかがえる素晴らしい建物なのです。
玄関を入ると展示会場へ続くやや長めのアプローチがあります。これからの季節、夕暮れ時を迎えると、ほの暗い廊下の向こうに展示されている作品が少しだけ見えるのですが、この廊下の向こうに見えるギャラリー空間の暖かみのある眺めが大好きです。そして、気に入ってくださるお客様は多いみたいです。すっかりおなじみの金魚鉢型のペンダントライトは、前の借主である写真家・小林紀晴さんが取り付け、ここを譲っていただく時にそのまま頂いたものですが、この建物の雰囲気によく似合っています。ペパーミントグリーンに塗られた廊下の壁は昼白色の光の下では爽やかさを感じ、白熱灯のような赤みがかった光の下では、味のあるブラウン調に感じられることを、このビルに来て初めて経験しました。
昭和の味わいをきちんと保ちつつ、大事に手入れを続けてこられたビルオーナーが先日亡くなり、別の方に変わった途端に、税金なのか、法律なのか、経済効率なのか、どういう大人の理由か常識かわからないけれど、ぼくたちが入居しているビルは取り壊されることが決まりました。いま、代替えのための物件の資料をかたっぱしから目を通していますが、面積、設備、築年数は出ていますが、建物の価値は、数字で現れない部分が大きい。案の定実際に見に行ってみると、がっかりしてしまうようなものばかりです。
いい感じにくたびれている状態を劣化と感じずに、それ自体に価値を感じる人もいます。ここのすぐ近くに、新宿界隈ではめずらしくなった普通の喫茶店があり、そのレトロな雰囲気に常連客も多かったと感じていたのですが、先ごろ大改装をして、白を基調とした明るい雰囲気のお店に変わってしまい、あのお店の価値が台無しだと、近隣の多くの人たちの話題に上ったことがありました。
確固とした意思を感じられないリニューアルであったり、輪郭のぼやけた安易な現代風への転換がまかり通っていたり、かと思えば、個性というものを勘違いして、「個性的」な様式でその地域の調和を破壊したり、そういうものをぼくは、非常識と呼び、世の中が常識と呼ぶならば、そのまま放っておく、というのにも宝石箱のような価値があることが、もうすこし社会で認められないだろうか、とこの頃思っています。同じことは写真や表現全般にも言えることだと思いますが。
パリから帰ってきている朝弘さんが、この記事が出る翌日に、このビルのために、踊ってくれます。忘れられない日になると思います。