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3F/長期滞在者&more

小伝馬町

長期滞在者

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馬喰横山駅で降りて、仕事場へ向かう階段を上っていくと、東京の地下鉄の駅では珍しく立ち喰いそば屋のダシの良い香りが上から降りてきます。
早い、安い、うまいは、商売人の街は基本中の基本。新宿とは随分とちがう土地にやってきたな、と思った瞬間でした。
ルーニィは、年末年始のうちに無事に荷物の引越しを済ませ、小伝馬町へやってきました。
オープン当日、もうこの先の人生でこれ以上ないというくらい、たくさんのお花を頂戴いたしました。とりわけ、いの一番に到着したある出版社のお祝い花は、とても豪華で早速お礼の電話を差し上げたところ、「そりゃぁ篠原よ、お前、勝負かけたんだろう?このくらい当たり前だろ」という暖かい激励のお言葉を頂戴しました
S社長の鋭い観察力と、気配りにはいつも頭が上がりません。

今回の移転の話が起こってから、単なる引越しではなく、12年間続けてきた四谷での仕事を徹底的に見直して、第二の創業のつもりで新しくスタートを切るくらいの気分でいます。言い換えれば確かに勝負に出たんだと思います。
もともと、30代の後半ごろから、この仕事は50歳を一区切りするべし、と考えていました。
小さいながらも、事業だし、いまの状態で、50歳、60歳と歳を重ねていくイメージがどうしても湧かない。30代の失敗は、人生の糧になるかもしれないが、50を超えて同じように前向きに受け止めることができるのだろうか、と思っていました。
50歳の時でも30代の頃と状況があまり変わっていなかったら、もうこの仕事は辞めよう。ぼくにはこの商売をするセンスがないと白旗を揚げて、全くちがう世界で生きていく覚悟を決めていました。
そうならないように、残りの15年間を逆算して時間を使っていこう、と心に決めていたのですが、その15年間のプランの中に移転は想定していませんでした。
ただ、これが、49歳とか50歳でなくて良かったとは思います。あと5年遅かったらもう一度新しいギャラリーを作る気力も体力もなかったと思います。

新しいギャラリーは展示空間の面積は四谷時代とほとんど変わらないのですが、展示スペースの倍以上の物販とお客様との対話の空間を作りました。展示会場から出てきたお客様が「ここが事務所スペースですね、すごく広くなりましたね」と言ってくださるのですが、実は事務所スペースを完全に無くしてしまいました。多いときは4人いるスタッフは、決まった机を持たず、ノートパソコンを片手に、事務仕事をするときは、お客様の邪魔にならない場所をその都度探して仕事をします。手が空いていたら、お客様にお声がけして、作家さんのこと、作品のことをお伝えしたり、ブックコーナーで何から手にして良いか迷われているお客様に、オススメの写真集を紹介したり。対話の中から、お客様に新しい表現の世界と出会うきっかけを作ること、そこに何が描かれているとか色使いがどうだなど、表面的な部分ではなく、この作品を作った人はどういう人なのかをしっかりとお伝えすること。作り手とお客様の間に新たなドラマがはじまるためのお手伝いを精一杯やっていきたい。

残り時間が気になります。やりたく無い仕事に時間を使う暇はもう無いです。そんなに儲からない世界ですから、せめてつまらない後悔はしたくない。心の底からこの作品を手掛けて良かったと自分たちも感じられるようなことをしたいと思いながら、新しい街で仕事をスタートしました。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

Reviewed by
鈴木 悠平

作品の価値は、物理的な写真や絵そのものだけでなく、それとどう出会ったかという「経験」を含めてのものなのだと思う。

その作品の作家さんのことや時代的背景、素材やモチーフのことなど、作品をより立体的に、より奥深く味わうためのさまざまな周辺情報をどう伝えるか。ギャラリーや美術館のスタッフさんは、作品との出会いをもたらす「メディア」としての役割がある。

四谷から小伝馬町に移転してきた新生ルーニィ。事務スペースがなくなるぐらいにまでお客さんとの対話の空間を広くとった新しいギャラリー。第2の創業のつもりで「勝負に出た」という篠原さん。ここからどんな出会いが生まれていくのだろう。

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