調べてみたら去年(2021年)は年末のギャラリー・ライムライトの『モノクロベスト2021』にしか写真展というものに出展していなかった。
では一番最近の大きな展示といえば何かと考えたら、なんと3年前(2019年2月)の藤田莉江さんとの二人展『Strangely beautiful』が最後なのだ。
2020年に大阪ブルームギャラリーのイベントに出展しているが、これは壁面展示もあったけどポートフォリオ展示が中心。
個展ということで考えたらもう5年もしていない。
写真を撮る人、と名乗っているくせに、ろくろく展示もせずに何をしていたのだろう。
去年に関して言えば、せっせと過去作を写真集にまとめることばかりに精を出していた。
某社のオンデマンドブック印刷のクオリティがここ数年で格段に良くなっていることに気づき、これは編集次第で販売できる質のものが作れそうだと考えたのだ。
この10年くらいの間に大阪ギャラリー・ライムライトや神戸のバーディー・フォトギャラリー、今はもうないギャラリー・マゴット等で開いてきた個展や二人展の出展写真を4冊の写真集にまとめた。
展示をするたびに、写真の販売もするのだけれど、写真というのは残念ながらそうそう数が売れるものでもなく(僕のはね)、このまま僕が死んでしまったら、数少ない、購入してくれた人の手元にしか僕の写真は残らない。それも寂しい話だと考えた。
実のところ、もう別に写真家として名を残したいとか、そういう野心はないのである。それでも長年撮ってきたからには、今まで自分の撮った写真というものに愛着がある。写真はある程度残ってほしい。
写真集としていくらかでも人の手に渡れば、物質としてしばらくはこの世に僕の写真が残る。僕が長生きするのか明日死ぬのか神様しか知らないが、たとえ近々死んだとしても、すぐさま撮った写真まで消滅してしまうことはなくなる(別に死にたくはないし、重篤な病を得ているわけでもありません。可能性の話です念のため)。
ありがたいことに予定数完売し、写真集は日本各地(と、ありがたくも海外にも1冊)に拡散配置される形となった。
購入してくださった方々、ありがとうございます。オンデマンドなので原価販売でもそんなに安くすることもできず、申し訳なかったです。
もし飽きたときは廃棄せずに誰かほかの人に譲ってくださればありがたいです。
しぶとく生きよ、わが写真。
というわけで、皆様のご協力により、僕の写真は地雷のように一定数各地に埋設された。
あとは?
後顧の憂いなく、また新しく写真を撮ればいいのである。
・・・・・・
昔、東京メッツの小仏二軍監督が現役投手時代に、故障休養のあとフォームを崩してしまい、何度試しても以前の投球と違うと言われる。
そこで当時の監督が小仏投手に何をしたか。
千本ノックである。
以前のフォームに拘泥せず、野手のように捕っては投げ捕っては投げを繰り返す中から、「投げる」ということの根本を問い直す作業を命じたのだった。
・・・という話が、とても印象に残っている(前にもどこかに書いた気もする)。
何の話かわからない人も多そうだから解説するならば、水島新司 ** の漫画『野球狂の詩』の中のエピソードである。
これは野球の話のみならず、いろんなことに置換可能だと思うのだ。
写真にだって当てはまる。
過去作の写真集を作るのに没頭していたとか、いろんな言い訳はするけれど、熱に駆られてシャッターを押さずにいられないような状態であれば、僕も過去の写真をまとめようなどと考える余裕もなかったはずだ。
正直、小仏投手のようにフォームを見失いつつあったのかもしれない。
千本ノックのように、捕って(撮って)投げる(出す)を繰り返す。一度自分の写真を壊すようなことをしなければならないのではないか。実のところそう痛切に感じていたのである。
そう考え、今年のビーツギャラリーの「写真修行僧」企画に参加することにしたのです。
毎月1冊、その月に撮った写真で写真集を作り、翌月にギャラリーに納め、来客に見てもらう。それを1年間続けて年12冊の写真集を作る。
去年何人も知った人が参加していて、応募しそこねた僕は羨ましくそれを眺めていたのだが、今年はこれぞ写真の千本ノックであると、身を投じることにしたのだった。
去年参加していた(この稿のレビュアーである)藤田莉江は、しんどいですよー、と脅す。
しんどいだろうな。
しかしどんと来いである。
捕っては投げるのである。
撮っては編むのである。
武者震いがするぜ。ぶるるっ。
* →Book of Dynagorn
** 水島新司氏のご冥福をお祈りいたします。『野球狂の詩』好きでした。(今月10日に亡くなられました)