秋という季節が苦手だ。
夏、それも焼けるように熱い夏が大好きなので、数ヶ月ぶりに長ズボンをはいたお盆過ぎの雨の日や、ふと、太陽の力が弱いなと感じる9月の終わり頃や、10月に入って、朝晩の冷気に長袖をひっぱりだしてくるときなんかに、ああ、今年の夏ももう終わってしまったか……と悲しい気分になってしまう。1ヶ月前はこの時刻でもまだ明るかったのに、と思い出して、暮れゆく灰色の陽を必死に目で追いながら、憂鬱な気分で夜を迎える。
寒さには弱いけれど、冬も嫌いではない。屋内さえ温まっていれば、外はいくら寒くたって暗くたって構わない。むしろ、屋内と外の対比が強まるほど、家のなかでゆったりぬくぬくしているときの安心感が強まって、冬の満足感は高まっていく。ははは、冬、いくらでもかかってきなさい、と泰然とした気持ちになる。
それに比べて、秋である。暑いとも寒いとも言えない中途半端な日々がつづくかと思いきや、台風の影響なのか何日も雨が降って肌寒くなり、油断しきって準備不足の衣装ケースからしわくちゃの冬物を取り出して、不本意な組み合わせのファッションで家を出ざるを得なくなったりする。しかし電車のなかは意外にも気温が高く、服の下で気持ちの悪い汗をかいたりもする。そうして、なんとなく浮かない気分のまま、1日がぼんやりと過ぎていってしまう。
そうかと思えば、天高く真っ青な秋晴れの日が現れて、香ばしい草の匂いが風に混じり、昼過ぎの街は黄金色に輝くようになることもある。やっと過ごしやすくなりましたねとか、さわやかで気持ちがいいですねとか、人びとはそう言うけれど、わたしはなんだか素直に喜べない。アスファルトの焼ける匂いもないし、こちらをむわっと包みこんで、背中がイガイガしてくるような湿気もない。夏がわたしを置いて、どこかに行ってしまったのだ。おいしい梨や栗を食べたところで、なぐさめにはならない。秋晴れの太陽の光があんなに完璧で疵ひとつないのは、秋が喪失と不在を抱えているからなのだ。
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そう、秋は落ち着かない季節である。毎年、いつごろ始まっていつごろ終わるのか、ほかの季節と違って、思いだそうとしても記憶があいまいになっていることに気づく。温度や光はどこかぼんやりたそがれていて、夏や冬のような安定した空気に包まれている安心感がない。春は、ゆっくりだが着実に力強く、いきいきと成長していくのに対し、秋は、そもそものはじめから、終わりに向かって消えていくだけのような気がしてしまう。
夏や冬には、熱い空気や冷たい風のなかで自分の輪郭がはっきりしてくる。しかし秋には、ぼんやりした光に包まれて、自身の輪郭がどこかぼやぼやしてくるような気がしてくる。自分と自分でないものの境界があいまいになって、意識がふらふらとさまよっていく。
そんなわけで、秋には、たまに不思議なことが起こる。
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大学4年生のときに、牛を探しに行ったことがあった。
あるとき、大学近くで飲んで酔っぱらった友人が、家に帰ろうと深夜の道をずんずん歩いていったら、いつのまにか草原のようなところに出ており、牛の鳴き声が聞こえたのだという。わたしたちの通っていた大学は多摩丘陵の丘の上にあり、キャンパス内にタヌキが出没するようなところだった。それを考えると、歩いて行ける距離に牛が飼われていても不思議ではないのかもしれなかった。けれど、近くに牧場があるなんて聞いたことがなかったし、けっきょく牛の話は、酔っぱらって夢でも見ていたのだろうということで片づけられた。
その秋の日曜日、がむしゃらな卒研生だったわたしは研究室に来ており、朝から実験をしていた。わたしの席から見える窓の外には無機質な秋晴れの青空が広がっており、黄金色の陽を受けた木々はチープな輝きを放っていた。いつものごとく、日曜の実験室に来るのは愛すべきワーカーホリックの准教授とわたしくらいで、お昼を食べ終わった後くらいには、お尻の裏がなんとなくそわそわしてくるのだった。
その日の実験はだいたい終わって、数時間の待ち時間の後、夕方にちょっと作業が残っているだけ。窓の外にはしらじらしいくらい完璧な秋の日曜が広がっており、ふだんあまり着ないのだけれど今日に限ってたまたま着てきた、黄色のざっくりした生地のTシャツは、この陽の下でこそよく映えそうな気がする。研究室のほかの学生や研究員は誰もおらず、自分だけがここに座っているのが、なにか間違ったことであるかのように思えてくる。
そんなときにぽんと思いだしたのが、牛の話だった。牛、探しに行こう。当時はバイクで通学をしていたけれど、この完璧な秋の日曜をバイクですっ飛ばしてしまうのは惜しいような気がしたし、だいいち歩ける距離にあるなら、機動力はそれほど必要ないではないか。キャンパス内に確保してあったママチャリをひっぱりだしてきて、ふらふらと漕ぎだした。ちなみに、キャンパスで廃棄されるママチャリを拾ってきて、ときには修理して使えるようにするのが当時の特技で、このママチャリも、そうして生き返らせた何代目かのおんぼろ自転車だった。
当時はスマートフォンなんか持っていなかったから、研究室のPCからGoogle Mapsを開いて、牛に出会った友人の歩いていったと言う、丘の下の方向を探索して、草地の多そうな、緑色が占める面積の大きいあたりの場所に検討をつけた。向かうはそちらの方向、気ままに探してみて、みつかったらラッキー、みつからなかったらしょうがない。落ち着かない秋の日にはきちんとした計画も立てられない。
自転車を漕ぎだすと、大学から道路を数本越えたあたりで、はじめて見る団地に行き当たった。黄金色に照らされた構造物がなんとも魅力的に見えたので、そちらのほうにふらふらと道草をくいはじめる。小学校まで団地に住んでいて、中学校から住宅地に引っ越したわたしは、団地に対して妙なノスタルジーを感じるのだった。
自転車を停めて、団地内の芝生や公園を眺めたあと、適当なところにひとつだけ目的の建物を定めて、その階段を登りはじめる。目指すは最上階。最上階の踊り場からは、多摩丘陵の丘の下が見えるのではないだろうか。牧草地なんかが見えて、牛がぽつぽつと見えたりしないかしらん。そうしたら、牛探しもここで終わりにして良いことにしよう。……そんな都合の良い考えはやはり容易に実現するはずもなく、踊り場から見えた景色のなかで、手がかりになりそうなものは何もなかった。
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そうして、このあいだの記憶はすっぽり抜け落ちているのだけれど、結局わたしは牛をみつける。やはり、見当をつけた方向は正解で、自転車をこぐ道路がだんだん畦道になってきて、周りから都会的な要素が急に減少していって、そうして牛舎が唐突に現れたことを覚えている。牛舎のなかに牛がいるのを間近で見て、牛がいる! 牛がいる! と喜んで写真を撮り、その友人にメール添付で送った。
秋の陽はあいかわらず無感動に照っていて、例の黄色のTシャツ一枚になっていたけれど、すこし汗をかいた。戻るときの記憶もなぜかすっぽり欠落しているけれど、丘を登って大学に戻り、すっかり夕闇の気配が窓の外を支配しはじめた頃に実験を終え、帰路についた。
それ以来、自転車をこいで出発して写真まで撮ったのに、不思議なことに、わたしも本当に牛を見たのだろうか、と考えることがしばしばあった。秋の、あいまいな陽に照らされて、わたしもなにか夢でも見ていたのではないだろうか。そんなことを考えてしまうほどに、景色はがらりと変わって牛舎は唐突に現れたし、秋の陽には現実感が希薄だった。本当に牛がいたのか、確かめるために後日再びでかけていくことも考えたけれど、それで牛がいるのをもう一度確認できても、あるいは今度は牛をみつけることができなくても、どっちにしたって、あとには失望しか残らないだろうなと思い、あの秋の日曜のことは、それっきりになっている。
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ほかにも、ピクニックのこととか、雨のこととか、秋に起こった不思議とも不思議でないともいえるようなことがあるのだけれど、日も暮れてきたから、ここらへんでやめておこうと思う。