入居者名・記事名・タグで
検索できます。

Mais ou Menos #9 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

20150705p

20150708m

_______________

物と記憶について

物と記憶がこんなに結びついているとは思わなかった。昨日、ふと前から整理したかった棚の本を捨て出したら、この家に引っ越してきた小学校3年の頃の記憶が蘇ってきて、なぜかダラダラと涙が溢れてきた。

この家と私の記憶はそこから始まっていて、だから、当時持っていた物を見ると、自分でも意識していないところで脳の回路がバババッと繋がって、一瞬にして、私は当時の気持ちに戻っていて、アアッ、となったのでした。

泣いては捨て、泣いては捨てを繰り返し、数十冊の本を捨てる本と売る本とに分けた。今日、売る本は早速売ってきた。少し名残惜しかったが、もう読み返すことはない本やからいいと思うことにした。もし、よっぽど読みたかったから、買い直すか、図書館で借りようと思った。

本で処分したいものは、まだある。あと、次に片付けたいのは、フィギュア類。あれは、もういらん。あとは最後の砦、ゲーム類。ゲームは本体と、ソフトと、両方から考えていかなくてはならない。好きだからこそ捨てられないんやけど、でも、今むっちゃプレイしているかといえばしていないし、でも、好きだし、捨てたくないんやけど、捨てたい。もっと身軽になりたい。ゲームで思うのは、携帯ゲーム機はもういらんかなと。やっぱり自分はコントローラーが好きやから、携帯ゲーム機はのめり込まないことが、(わかってたんやけど)改めてわかった。

物を持ちたくないし、新たな物を持ったらいらん物を捨てていきたいし、もう一度全部の物を捨てたいぐらいやけど、それはさすがに無理やから、だから限りなく、物がない生活を目指して、日々捨てていく。今からまた捨てる。

まあ、最近一番大きな捨てたもんは、嫌だなあと思いながら続けていた職なんですけどね。

まちゃんは、何から捨てますか。

PQ

2015.07.05

_______________

ものと記憶って、すごく関係していると思う。でも、個人的にはものに対する記憶が、最近は大分薄れてきたように思う。引越しをすることが多くて、ものを捨てることも多いせいか、あまりものに執着しなくなった。ものというよりも、わたしにとっては、音楽や香り、色、気配のほうが記憶と密接に関わっているように思う。

でも、いろんなものを手放していくことで、過去の辛い思い出から少し身軽になれるといいなぁ、と思います。ものには、気持ちや命が宿ってしまうから、持ちすぎると、管理ができないことでストレスが溜まる。縄張りが広すぎる犬のように、落ち着かないし、集中できない。わたしも、持ち物が増えすぎるのがとても辛い。その都度、手放して、整理しておかないとっていつも思う。そう考えると、この数年ふたりで大分いろいろなものを捨てられるようになったね。コレクターだった人がどんどんものを手放していくのを見るのは、とても感慨深かった。

自分が執着しているものを手放すと、びっくりするほど身体が軽くなる。大事なものってほんとうは、ほんの一握りだから。鞄ひとつは無理かもしれないけれど、なにもない部屋はとても居心地がいいから、次の家はなにもない家にしようね。ものが少なければ、少ないほどどこへでも飛んでいけるしね。わたしは、まだまだいろんなところに行きたいので、その都度またどんどん捨てていきましょう。

次にわたしが捨てるものは、なんだろうなぁ。わたしは、他者の評価を気にするマインドを捨てたいです。まだすぐにはできないかもしれないけど、少しずつ。

Maysa

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る