物理は普遍である、と言えるのか。
地球上どこへ行っても物理法則は変わりません。その点では物理は普遍であると言えるでしょう。しかし現在まで続く近代物理は、17世紀の西ヨーロッパという特殊な時代、文化の元で生まれたと考えられています。歴史的に見ると、物理は決して同時的、多発的に発生したものではありません。
自分はこの事実にとても興味を惹かれるのです。
17世紀のヨーロッパ。
科学とあわい、占星術から物理学が、錬金術から化学が生まれ、重大なパラダイムシフトが起こった、その特異点。
そこで何が起こったのかを知ることは、何かこの世界の根元に触れることである、と感じるのです。
その時代、その場所で、近代の物理、自然科学が確立された原因。それはいくつかあるようです。当時のヨーロッパ諸侯はみな占星術者を抱えており、強力なパトロンがいたこと。ある眼鏡屋が発見した「望遠鏡」。有名なガリレオ・ガリレイがその顕微鏡を改造、性能をあげた事で木星の4つの衛星を発見したこと。その発見により、古来からの対話による「思弁」より、現実世界を「観察」「実験」することを重視するようになったこと。など。
様々な要素でパラダイムシフトが起こったわけですが、自分が特に気になるのが、ヨーロッパに於ける「被造物」という考え方です。
西洋には「creature クリーチャー」という言葉があります。
この言葉の字義的な意味は、創造されたもの、被造物、生き物、人間、男、女、などです。つまり、生けとし生けるものは全て create されたもの、「生き物は、そして自然は、作り物である」という考え方がヨーロッパにはあるのです。私たちが日常的に行う、自然物:人工物の対比とはまったく違う考え方です。
古代から様々な場所で、天体を観察し、暦を作り、洪水や日食、自分の運命までも予想することがなされてきました。それは生活する上で非常に有用であったため、また人の心にある不安や欲望のためでありました。
しかし、ヨーロッパでは「天体も作り物」であると考えます。
天体観測、そしてその奥にある法則性を探し出すことは、役に立つということ以上に、創造主(creator)の計画を正確に理解したいという欲求が含まれていました。惑星の運行、配置に隠された創造主の意志を解き明かすことが、創造主の偉大さを証明することでもあったのです。その動機がなければ、実用を超えた現象の奥深く、物理原則の発見には到達できなかったでしょう。
自分はこの事実を、大変面白いと感じています。
「自然は、作り物である」という前提が、物理学、そしてこの世界の根幹にあると思えてならないのです。
それが完全に否定される証拠が見つかるのでない限り。偉大なケプラー、ニュートンと同じように。
この世界は creator による作り物だ、と考えようと思います。