対角線という名の自転車に恋をした。
自転車に? 自転車の名前に? それがよくわからない。
めったに実車を見る機会のない、販売台数の少ないメーカーの自転車なので、恋をしたといってもカタログやwebの写真を見ての話である。実物を見てではない。
自転車の分類としては、ランドナーと呼ばれる旅用自転車(荷物が積める・泥よけがついている・長距離移動に疲れないよう振動吸収に優れる鉄素材でできている・太めのタイヤを履いている・スピードや軽さは重視されない)の、少し高速寄りにシフトしたような種別だ。
「ディアゴナール 」(対角線)という名の自転車。
なぜに「対角線」なのか。
ディアゴナール・ド・フランスという伝統的な長距離サイクリングの大会があり、六角形に見立てたフランス全土の対角線にあたるルートを数日かけて走破する、というものらしい。何週間も旅するわけではなく、そこそこの速度も求められるため「ある程度の荷物が積めてランドナーよりは速く走れる」という、そういう自転車が必要とされた。
フランスのルネ・エルスという自転車製造業者がディアゴナール という名の自転車を発売(1950年代)したのが元祖で、それを真似して日本のブリヂストン(1980年代)やアラヤ(現行)がディアゴナールの名を冠した自転車 を作っている。
で、僕が恋したのはアラヤの現行車種である。
マニアックな車種分類にはあまり興味はないし、フランスでその大会に出てみたい、というわけでもない。
対角線、という名前が、なんだかどうしてもカッコいい。どうしてもどうしてもカッコいい。
それだけといえばそれだけなのだ。
僕は写真を撮る人であるから、カメラや三脚が積める自転車が欲しい。
普段の通勤にも使うから雨対策として泥除けは必須である。
安定走行に特化したランドナーよりは、たまには快速でも走りたいので700×28cというタイヤサイズ(太すぎず細すぎず)は最適だ。
デザインも簡素で、必要なものが必要な状態でついている、ただそれだけ、みたいな削ぎ落とされた感じで良い。
と、名前だけではなく、用途としてもドンピシャではあったのである。
しかし、何よりも名前なのである。
対角線。ディアゴナール 。
なんでかしらんが、グッとくる。
欲しくなってしまったのだ。
頭の中をいろんな角度で対角線が駆け巡った。
僕は以前ここで「自転車でゴー」という文章を書いた。2018年4月。2年近く前の話である。
そのころ僕は某自転車量販店のスポーツ自転車に乗っていた。その記事でも書いたけれど、安価(2万円台)なのになかなか悪くない自転車で、ただ3年間乗り倒して酷使したため、相当に車体にダメージがきていた。
あと3年乗るぞ、という文中の決意とは裏腹に、自転車はあちこち悲鳴をあげはじめ、ペダル基部周りにギチギチと怪しい亀裂音がし出したので、あきらめて新しい自転車を買うことにしたのだった。
で、調べていて突き当たったのが、この対角線号なのである。
お値段約9万円。僕にとっては安くはないが、スポーツ自転車の値段としてはまだ低価格の部類である。
2割引いてくれるという店を見つけたので予約をした。
これが2018年9月のこと。
自転車業界のことはよく知らなかったのだが、だいたい毎年秋頃に次の年に売る自転車のラインナップが発表され、年末あたりに発売される、というのが通例なのだとか。
しかしこのディアゴナール に関しては、発売は翌年4月になるとのこと。9月から数えて7ヶ月待ちである。今すぐ欲しいと思ってからの7ヶ月。
遠すぎる・・・。
それまではこのボロボロ自転車に乗り続けなければならない。本当に遠い7ヶ月である。
で、旧自転車をなだめつすかしつ、あれこれ手当てもしつつ、7ヶ月待ったのだった。
一日千秋という四字熟語の意味がこれほど実感できた7ヶ月はなかった。
寝ても覚めてもディアゴナール 。手に入らないとなればいや増しに増していくのが愛というものだ。そこにないディアゴナール に焦がれた。
会えない時間が愛育てる云々という詞を書いた人は誰だっけ。安井かずみだ。さすがだな。
愛も育ちすぎると厄介である。飢餓感が心を絞め殺す。
そして待ちに待っての4月。
ついに自転車店から電話があったのだ。
「工場のあるインドネシアから先日入港したらしいのですが。。。」
「はい!」
「製造上の不備が見つかって、一から全部作り直しになるそうなんです。材料の調達からなので、お渡しは9月になります」
「
・・・・・(white)」
頭が真っ白、という慣用句を考えた人は本当にすごい。
ほんとに白くなりますね、脳内。
7ヶ月心臓を絞るようにして待った上に、あと5ヶ月待てと?
電話を切ってもしばらく立てなかった。
茫然自失、という言葉を考えた人もすごい。語感出てるよね。特に茫の字。
結局、ぎりぎり我慢して乗りつづけた旧車があと5ヶ月はとうていもちそうになかったこともあり、煩悶の末、断腸のキャンセルをした。放心状態で別の自転車を買った。
心が折れる、という日本語を考えた人も偉いよ。
折れた。ぽきりと。音がした。立ち直るのに相当かかった。
正直に書こう、涙を流して泣きました。五十越えた男がよ。
あれから10カ月が経ち、今はその新しい自転車にも慣れて愛着もわきつつあるが、それでも当時相当に凹んだものである。凹、という漢字を考えた人も尊敬だ。わかりやすすぎる
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ようやく心の傷も癒えつつある今、考えてみるのである。
これが「対角線」という名前でなかったならば、どうだったのか、と。
ありきたりな名前の自転車ならば、こんなにも翻弄されただろうか。
例えばカメラだったら? そんな絶妙な名前はあるだろうか。
EOS 5D Mark IV といわれてもときめかない。意味がない。
今のところ思いつく「絶妙な名前」は旧東独製写真レンズ「ゾディアック」くらいのものである(黄道帯もしくは連続殺人鬼の名前)。
対角線。
点は面積を持たず、線も同じ。数学上の概念である。対角線とは質量も面積も持たない「概念」である。
そこへ、12kgの車重を駆って飛ぶのである。
自転車というものの身体拡張性、疾走感をこれ以上素晴らしくあらわす名前があるだろうか。
diagonal 、とバスケットボールの選手が言えば、対角線上にパスを送ることであると何かで読んだ。
直径24cm、重さ650gのボールが空間を斜めに切り裂く。
僕は球技は苦手だが、バスケでもサッカーでも、長駆斜めに突き抜けるパスというのは痛快な ”事件” であろう。
対角線という名は、あまりに僕が好きな自転車というものを、その名前で射抜きすぎていたのである。
やっぱり自転車そのものというより、名前だったのだろう。
メーカーはこんな名前をつけてはいけない。
ディアゴナール 。今でも口にすると涙が滲む。
・・・・・・
ところで、これだけ僕を苦しめたアラヤ・ディアゴナール という自転車を、発売されたはずの今も、やはりただの一度も見たことがない。自転車屋さんでも実車がないし、街で見かけたこともない。
いくら自転車メーカーとしてメジャーではないとはいえ、ここまで見ないものだろうか、というくらいに見ない。
もしかして僕を苦しめるためにだけ捏造された幻ではないかと思うことすらある(誰のしわざだよ)。
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ディアゴナール を諦めて、別の自転車を買ったと書いたが、似たコンセプトの自転車を選ぶとどうしても「ディアゴナールが買えなかったから」という悔恨から抜けられないと思い、ジャンルの違う、もう少し骨太な荒路対応の自転車を選んでいる。
恋い焦がれて選んだ車種ではない、という一種の他人感が、結局のところ悪くなかったのではないかと思っている。
道具には道具の、それなりの立ち位置というものがある。道具に淫しているようではダメ、というのは、たとえばカメラなんかにも言えることである。
本当に優れた道具というのはどこかよそよそしい顔をしているものかもしれない。