ギャラリーライムライトでの『モノクロベスト』(その年の各人ベストと思うモノクロプリントを持ち寄り、投票でベスト&ワーストを競う年末恒例企画展)で、久々に藤田莉江さんと会ったので、またいろいろ写真のことについて話をしていた。
彼女がその時、わざと古い写真に見えるようなプリントの仕方で展示していたので、これをもっと進めて、展示中にも劣化が進んで会期最終日に見えなくなるような写真は作れないだろうか? わざと定着不足にして毎日変色が進むようにするとか? いやいや劣化速度のコントロールが難しすぎるやろ、等々、半分冗談で話していた。
そこは冗談まじりではあったのだが、話しているうちに、何年も前の話だけれど、冗談ではなくそういう依頼を受けたことを思い出した。
「消えてなくなる写真を作ってほしい」
最近兄を亡くしたという女性からの依頼だった。
なんでも十年前に父を亡くした時に、墓の中に骨壺と一緒に、父と家族が一緒に写っている写真を入れた。父が寂しがるといけないと思ってのことだという。
今回兄の骨をそこに入れるために開けたら、十数年前に入れたその写真が、まったく劣化もせずに、鮮やかにそこにあった。
亡き父の記憶は自然とゆっくり薄れていくのに、そこにまったく劣化しないクリアな写真があったことで、せっかく薄れた父の記憶が強烈に蘇り、墓の前で皆で号泣してしまったのだという。
「お墓の中のその写真が鮮明すぎてリアルすぎて、皆、悲しいというより違和感でパニックみたいになってしまったんです。そこだけ時間が止まったような、変な感じでした。だからお墓に入れる写真は、ちゃんと劣化して、できればいつか消えてなくなるようなものがいいと思ったんです。無理でしょうか」
我々写真を仕事にする者は、ふつう写真を「残す」ものだと考えている。そもそも写真というものはそういう役割を担ってきた。
記録によって記憶を補うもの。記憶への道筋となるもの。そのために可能な限り耐久性のあることが求められる。なので写真を保たせる、ということについてなら一応職種上いろんな知識はある。
たとえば昔のモノクロームの写真は銀で描く画像なので、画像を構成する銀の粒に関しては耐久性があるのだが、問題は支持体となる紙の部分で、紙の中に入り込んで完全に除去されなかった定着液などが変色の原因になり、そこから写真が劣化していく。
東北の震災のときに泥土にまみれた写真を洗浄救済する活動があったけれど、あのときに一番強かったのはRCペーパー(ベースがポリエチレン層でコートされた印画紙)のモノクロ写真で、我々写真家が大好きなバライタ紙(紙ベース)のモノクロ写真は泥でベースの紙が駄目になり救えないものが多かったそうだ。
カラーの銀塩プリントは制作過程で銀は使うけれども、最終的に置換されて色素による画となるので、これは劣化が早い。
僕の知る限り、一番耐久性のあるのは、先に書いたRCペーパーの銀塩モノクロ写真と、顔料を用いたインクジェットプリンターによる写真である。
顔料インクジェットプリンターの写真については、個人的にいろんな実験をした。
水に強い、というのは本当である。ペットボトルに水を満たし、その中に丸めた顔料プリントを入れて栓をして、3年間蛍光灯の当たる棚の上に放置してみたことがある。3年後に取り出して見てみると、水は腐って汚臭を放っていたが、プリント自体はまったく褪色もしていなかった。ちなみにエプソンの顔料インクジェットの初代であるPM-4000PXという機種で作ったプリントだ。
太陽光による劣化に関しては、あえての「実験」ではなかったが、結果的にそうなった事例がある。
スタジオ入口の毎日朝日が当たる壁に、額装した顔料プリントを見本として架けていたのだが、これもちょうど3年経った頃、フレームマットにプリントを留めていたテープが劣化して外れ、写真が額の中でマットからズレ落ちてしまった。
補修のために額から写真を外すと、驚くべきことに、マット部分に隠れていた写真のフチの部分と、毎日朝日を浴びていた写真の中央部分に、まったく色や濃度の差がなかったのである。3年間、朝の一定の時間太陽光を浴び続けた顔料プリントが、まったく劣化しなかったということになる。これも同じエプソンPM-4000PXでプリントされたものだ。
なんだかエプソン社の宣伝みたいだけれど、この二つの「実験」以来、僕は顔料プリンターに絶大な信頼を寄せている。
エプソンの技術の人に聞いてみたところ、空気中のオゾンが画像を劣化させる原因になるので、顔料プリントの上から空気を遮断するために樹脂スプレーでコートすると完璧だという。
専用の樹脂コートスプレーはけっこう高価なので、ここだけの話、実はウルトラハードで無香料のヘアスプレーで代用できる。昔から貧乏な美術学生が高価なフィキサチーフ(デッサン等の定着剤)の代用としてヘアスプレーを使っていたという話があるが、同じことである。実は成分的にはほぼ同じなのだ(ただし光沢紙にはムラが出てしまうので半光沢紙やマット紙でないと使えないので注意)。
余談が長くなってなかなか本題に帰れないが、もう少しだけ写真の保存の話を続ける。
顔料インクジェットプリントの表面をコートするために、樹脂スプレー以外に何か良いものはないかと試行錯誤していたのだが、アクリル絵の具に使うスプレーの油性ニスはどうだろう、とか、ワックス系は駄目だろうかとか、いろいろ実験をした。
油性ニスのスプレー(リキテックス・マットバーニッシュ)は仕上がりも格調高く一見良い感じに見えたが、エプソンの人によると油性ニスは何年か経ったら黄変する可能性が高いという。
車に使うカルナバワックスという植物性のワックスが良いという情報もあったが、純度の高いものが入手しにくい上、固形なので均一に塗布するのが難しい。
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さて、やっとここで本題に帰るのだが、長々と余談を続けてきたのにはわけがあって、このときのエプソンの人との会話を思い出したからなのだ。
「油性ニスは黄変する」
おお、これは逆にいいかもしれない。
ちゃんと劣化して、最終的に消えていく写真が良い。
そういうリクエストを完遂することは難しいが、日々考えている写真の保存についての鉄則のようなものを、とりあえず破ることからやってみようと思った。
まず、油性ニスの黄変というのは良い情報である。10年後に、少しでも黄ばんでくれるなら、今回の件に限っては嬉しい話だ。
そして想像するに、お墓の中というのは地中でもあるし、温度湿度の急変もなく、ものの保存にけっこう適した場所ではないかということ。放っておいたら簡単に劣化してくれるという場所ではなさそうなのだ。何かもっと「仕込み」を入れておかねばほとんど何も進まない気がする。
保存性を考慮したインクジェット専用紙ではなく、あえて無防備な普通紙にプリントし、何か厚めの別紙に貼り合わせるつもりだが、その糊を、ごはん粒にしたらどうだろう。ごはんなら腐ったり虫に食われたりしてくれるかもしれない。しかし粒粒したままだと写真表面がボコボコしてしまう。餅を煮溶かして塗るというのはどうか。接着力に不安が残るかな。
そういう風に考えた結果、普通にデンプン糊で良いのでは、ということに落ち着いた。フエキ糊を買ってきて少し厚くて粗目の支持紙に、普通紙に印刷した写真を貼り合わせる。
その表面に油性ニスをスプレーして仕上げ、納品した。
デンプン糊の劣化とニスの黄変に期待してこのような方法をとったこと、ただし、あくまで机上の論理であり、墓の中の環境がよくわからないので期待通りの劣化をするか保証はできない、ということを説明して、その方には納得していただいた。
あれから5~6年経つが、どうなんだろう、多少は劣化が進んでくれているだろうか。
今考えると、油性ニスは表面の黄変は期待できるかもしれないが、肝心のデンプン糊の劣化を阻害してしまうような気もする(表面をニスでガードしてしまっているのでデンプン糊の劣化は裏紙の方にしか進まない?)。
ニスの黄変と糊の劣化の合わせ技。そのときは良いと思ったのだが、今考えるともう一手、何か仕込みが必要だった気もするなぁ。
何か植物の種みたいなものを塗りこめるとかね。発芽してくれたら面白いけど。どうでしょね?