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3F/長期滞在者&more

夜歩きながら考えること

長期滞在者

最近、体重を減らすために夜歩きをしている。毎日5〜7kmを、かなり真剣に。
住んでいる塚口から園田方面ルート、阪神尼崎へ向かうルート、伊丹方面ルートと色々試行錯誤するうち、最近は静かで信号が少なくて歩きやすい伊丹ルートに行くことが多い。このマンションで折り返せば5km,商店街入口で折り返せば7kmと距離の目星もつけてある。
かかりつけの医師に次の検査(春)までに何々の数値を○○まで下げろ、と真顔で厳命されたのだ。まぁ真顔といってもこの先生はいつも真顔であり、地顔がそうなのであって、笑っている顔を見たことがない。伊丹十三に似た冷徹な目で(心の中では十三先生と呼んでいる)ストレートにズバズバ怒ってくれるのでこちらとしても真剣にならざるを得ないのである。
その十三先生に、数値を下げるのには、とにかく体重を減らすこと、そしてそのためには歩くのが手っ取り早いと言われたのだ。歩いた方がいい、ではない。歩きなさい、である。十三先生に叱られたらもう歩くしかない。

歩くのは嫌いではない。イヤホンで音楽を聴きながら歩けるし、夜の住宅街は静かで、音楽に集中しながら歩く60分はその意味でもなかなか得難い貴重な時間である。
今週はテレヴィジョン・パーソナリティーズの全アルバムを制覇しよう、とか、羊文学のフルアルバム3枚を全曲シャッフルして歩けば若書きで荒削りな1枚目と完成度の高い2〜3枚目がうまく混ざって緊張度が上がって良い、とか。最近中古CD屋でジャケ買いしたグレゴリオ聖歌とサックス奏者の共演、なんていうのもかっこよかったな。とにかく集中できるので、シェーンベルク等、難解な十二音技法の音楽とかも聴いてみたりもする(集中してもやっぱりよくわからないけど)。

そんなこんなで歩きながらいろいろ聴いていたのだが、最近はずっとグレン・グールドのバッハに落ち着いている。
グールドといえば「ゴルトベルク変奏曲」である。
デビューの1955年盤と晩年の1981年盤があって、僕は圧倒的に81年の録音が好きだ。もう30年以上聴いているが、おそらく残りの人生かけて、この音楽より凄いものとは出会わない自信がある。多分そんなものはこの世に存在しないと本気で思っている。この録音だけは別格なのだ。
実際に鳴らさなくても、51分間のこの演奏を頭の中ですべて再現できるくらいに聴きこんでいる。
もちろんグールドのピアノによるバッハはゴルトベルク変奏曲以外も素晴らしいわけで、たとえば「パルティータ全曲」や「小プレリュードとフーガ集」といったアルバムも相当な回数聴いたはずだ。
それでもやはり好きなアルバムに偏りがちで全アルバムすべてを満遍なく聴き込んだわけではない。せっかく夜歩きで集中できるのだから、この機会にグールドのバッハを全部順繰りに聴き倒してやろうと決めたのである。
「インヴェンションとシンフォニア」「トッカータ集」、「チェロ・ソナタ」「ヴァイオリン・ソナタ」(この2枚はチェロやヴァイオリンはおまけのようなもので、聴くべきはグールドのピアノである)、「イギリス組曲」「フランス組曲」「平均律クラヴィーア曲集第1巻」と日々聴き進み、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」を聴いて歩いていた夜、ん? あれれ? 何だこれ。
え、このCDこんなに良かったっけ?? ゴルトベルクと同じくらい凄いんですけど! えええ!

第1巻と第2巻、各CD2枚で計4枚という長編だから、いつも第1巻でやめてしまうのか、もしくは第2巻に進んでも集中力が切れてしまっていたのか、言われてみればそんなには没入してこなかったアルバムだったかもしれない。しかしそうはいっても何十回と聴いてきただろう。それが30年目にして急に扉が開いたような、何かが一本通るような感覚が、今ごろやってきたのだ。僕は今までこのCDの何を聴いてきたというのか。
今さらグールドのバッハを新しいもののように聴けるというのは嬉しいことのようであり、しかし今までこれだけの年数の中でちゃんとは聴けていなかったという意味でもあるので、そのことの悔しさもあったり。
単に聴く頻度が少なくてわからなかったというよりも、聴いていたけれど、ある程度の長い蓄積がないと理解し得ない質の音楽だったということなのかもしれない。音楽とその時の自分との相性というものもある。相性が合致するまでに30年かかったのか。30年て。おい。

若い頃はよくわからなかったのが、30年のゆっくりとした蓄積で素晴らしさに気づけたのだとしたら、人はとある音楽を「理解」するのにこんなに時間がかかることもあるということだ。音楽を聴くのも一大事業ではないか。
そう考えれば、人が一生の間に「理解」できる音楽、いや別に音楽でなくても文学でも絵画や写真や他諸々のことでもいいのだが、そんなものは本当に一部分でしかないのだな、という諦念に陥る。人は世の諸々の、ほとんどのことを知らずに死んでいくのだ。人の一生って短すぎないか。

本当につくづく、人生は短いなぁ。前に書いたけれど、運良く80歳まで生きられるとしても、僕はもうその7割の時間をすでに消費してしまった。残り時間のことを考え始めなければならない年齢になってしまった。
まだ何も知らないのにだ。
もっともっともっと色んなことを知りたいのにだ。
最近はどうも空回りばかりしているような気がして、なんか焦るんです。あと100年くらい生きたいなぁ。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

音楽をお供に、夜のウォーキング。
季節的にも良い頃なのではないでしょうか。(近頃は少し冷え過ぎてきましたが。。。)

そして今回は音楽の話なのですが、わたくしは音楽はサッパリわかりません。それだけ音楽を楽しめるということを素晴らしいことで、羨ましいことだ、と、ただ思うばかりであります。

なので自分が1番痩せた時のことを思い出して、この場を借りてアドバイスをしましょうか。
(需要はあるかまるっきりわかりません)(レビューじゃないレビューが、また度を超えてしまう)

まず、これまで体感したのは痩せるのに1番必要なのは睡眠なのではないか。ということと、いかに食べないか?ではなく、いかに各栄養素を十分食べるか?を考えて食べる ということです。
とにかくちゃんと寝て、タンパク質と食物繊維(不足しがち)と水を摂ったら(そして余分なものはあんまり食べない)「何もせんでもなんか太る」みたいなのは結構これで痩せます。多分。
というか、これで変に体重増えなくなるのですよ。
ショートスリーパーのカマウチさんなので、寝ろと言うのは難しいかもしれませんが。

こわ〜いお医者様との謁見を、どうぞご無事で、と、健闘をお祈りいたします。

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