こだまさんの『夫のちんぽが入らない』を読んだ。
発売が決まってから、ずっと楽しみにしていた本だった。発売した日の夜、近所の書店に立ち寄ったら置いていなくて、次の日に会社をこっそり抜けて新宿のブックファーストで購入した。ずらりと並べられているうちの一冊を手に取ると、普通の単行本より一回りほど小さい。昨日行った書店の新刊棚にあった不自然な隙間と同じくらいの大きさで、もしかするとこの本が並んでいたのかもしれないと思う。
レジでは男女の店員が何かを話していた。男性店員がこちらに気づき、僕の手元を見ると即座に身を乗り出して、女性店員を制するようにして会計してくれた。迅速な対応だったけれど、これはそういう本ではない。
この本はこだまさんの私小説だ。物語は辺境の集落で育った女性が、大学進学のために地元を離れる場面からはじまる。リサイクルショップで冷蔵庫や洗濯機を真剣に吟味する父親の横顔を見て「この進学やひとり暮らしが歓迎されていないという現実をはっきり突きつけられた」彼女は、大学近くのアパートの中で一番安い部屋を借り、新しい生活に踏み込んでいく。
その部屋で迎えた最初の夜、彼女は同じアパートに住む一人の男性と知り合う。あがり症で人といることが苦痛だった彼女は最初、遠慮なく自分の領域に入ってくる彼に戸惑う。でも、他の人と違って、一緒にいても不思議と息苦しくはなかった。同じ大学の一つ先輩だったその彼と、彼女は付き合うことになる。しかし、二人がはじめてセックスをしようとした夜に事件は起こる。「入らなかった」のだ。以来、二人は幾度となく行為を試してみたけれど、一度として最後まで入ることはなかった。
身体的な不一致はあったが、交際は順調だった。大学を卒業し、それぞれ教職に就いた若い二人はやがて結婚する。結婚をすれば、周囲からは出産の予定も聞かれる。それらを苦笑いでやり過ごし、夫への罪悪感を抱えながらも、穏やかな生活が続くと思っていた。
結婚して数年が経った春、彼女は新しい小学校に転任する。「もっと経験を積みたい」。そう思っての異動だった。ところが、受け持ったクラスが学級崩壊を起こして彼女は精神を病んでいく。仕事のこと、その悩みを誰にも相談できないこと、「入らない」こと。いくつもの苦悩が重なって、ぎりぎりまで追い詰められていく。
壮絶な話がいくつも綴られるが、淡々とした文章はそれが散らばることを律する。絡まりやすいケーブルを束ねるバンドのような、細くてしっかりとした印象を受ける。
これは不幸自慢ではない。不幸自慢はいつでも他者への恨みを孕むけれど、こだまさんはその負の連鎖を誰にも繋げず、ひとりで抱え続ける。それは誰も傷付けまいと思ってそうしたわけではなく、コンプレックスでもある内気さによって繋げられなかったとも言えるのだけど、そうして抱えすぎた結果、彼女は次第に死を考えるようになる。
書き連ねられたぎりぎりの日々を読んでいると、他にも方法があったんじゃないかと思うこともある。でも、離れたところから見ればいくらでも抜け道があったり、まだ大丈夫そうに思えても、渦中にいると全然違う場合は多い。本人でさえ、その時期を終えてしまえば別の方法を考えてしまう。知っているはずなのに、間違える。
過去には戻れないし、こうだったら、という考えが現実を変えることもない。それなら、深いぬかるみのような「もしも」の日々を越えるまで、生きてみるしかないのだろう。
叶わなかったことが選ばせた道が、ここまで繋がっていたことを思う。思い通りにならなかったことの代わりに実を結ぶことがあって、それは案外、想像を超える日々だったりする。
「入らない」こともそうだ。「入らなかった」日々が、「入った」日々を越えていく。
しかも入らないことは、できないことへの罪悪感という個人的な問題でもありながら、同時に社会通念の問題でもある。「恋人はセックスをするもの」「夫婦なら子どもを作るもの」という「一般的な」考え方は、呪いのように二人を苦しめただろう。でも、そこにあったのは苦しみだけではない。
好きな場面がある。ある日、夫が学校から肩を落として帰ってくる。自分だけがチーズフォンデュを知らなくて、学校でからかわれたのだという。こだまさんはすぐさま車を走らせ、ソーセージやチーズ、フォンデュのための鍋と固形燃料を買ってくる。「私は夫の望むことすべてを経験させてやりたい」。そんな風に迷いなく誰かのために車を走らせる瞬間が、小さな花火のようにこの夜を彩る。誰かの力になれることが、限りなく自らを勇敢にする時。この本にはその花火のような感情が、他にも散りばめられている。
「この人は、ちんぽの入らない人を妻にしているのだから。」こだまさんはそんなふうに続けるけれど、それは絶望であると同時に決意でもあるのだろう。すりきれてしまうほどきつく結んだ結び目のように、痛くてかけがえのない決意。
こんな強い気持ちにふちどられた生活が、長い時間をかけて呪いを洗い流していく。この本は、その記録でもある。
こだま『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)
*
壮絶なできごとばかり取り上げてしまったけれど、『夫のちんぽが入らない』はユーモアに溢れた本でもある。
こだまさんは『塩で揉む』というブログをやっていて、もともと僕はその読者だった。どの文章でもテンポの良さと見立てのポップさが冴えていて、いつ読んでも純粋に楽しい。『夫のちんぽが入らない』でもそれは健在で、切実と爆笑がとめどなく巻き起こる。
『塩で揉む』は同人誌としてまとめられたことがあって、それも持っている。惣田紗希さんの装丁が美しい、同人誌とは思えないほど分厚い一冊だ。感想のようなものを自分のブログに書いたら、こだまさんが読んでくれたこともあった。
「夫のちんぽが入らない」も、同じように過去に同人誌として発表されたものを原作としている。存在は知っていたけれど、原作が載っていた同人誌はぼんやりしていたら手に入れそびれてしまい、半ば伝説のようになっていたから、こうして読むことができて本当にうれしい。
そして、書籍化が決まってからの展開も本当にドラマチックだった。最初はこのタイトルで発売できるかもわからなかったけれど、見事実現させた編集者の方の熱意、ゲラを読んだ書店員から続々と届く熱のこもった感想、「お客様がタイトルを声に出して言わなくても書店さんに注文できる申込書」……。自分も本を作ったり文章を書いたりして暮らしているので、背筋の伸びる思いだった。あの新宿ブックファーストの男性店員も、おそらくこの盛り上がりの中にいたのではないだろうか。
こだまさんには次回作でぜひ、同人誌が話題になってから発売されるまでを書いてほしい。想像を超えていく日々を、もっと読みたい。