ぼくたちは、ぼくたちの時間や生活や人生を
ぼくたちのものだと信じて疑わない。
でもそこは、やんわりと見えない蚊帳のような網の中で
自由に思えるように操作されているだけ、かもしれない。
自分の知り得る情報から、正しいを叩き出すことは間違ってはいないとは思う。
自分の知り得る情報など、ほんの微々たる物だという自覚を持たずしての結論は、間違っていないのかな。
ぼくの日常生活に、当たり前にあるはずの「美しい日本」は存在しない。
———————————————————————————————————————————————————————
いま、あちこちで囁かれることは、どれも的外れじゃないかって感じてる。
自分たちがどうこうなることより、この国がどうこうなることより
こうしなきゃいけなくなってしまっている、この星の現状が異常だと。
その異常が「異常」と捉えられていないのは
そもそも、人の本能の中にそのものが組み込まれてしまっているの?とか思ったり。
全てを真っ白にして、新しく世界が始まったとしても
また長い年月を掛けて、きっとここに戻ってくる気がしてしまう。
この世に人が生まれ落ちて、争いのない時代があったのかと考えたら
いつもずっと、何かしら人は争っているんじゃないかな、と。
ぼくの言葉は、ここに存在するだけで力はない。
撮ることが力になる、と断言できるかどうかも謎だけど。
ぼくは、この星の静かで美しい写真を撮るよ。
誰になんといわれたとしてしても。
「希求」(読み:けく)
願いもとめること。望み欲すること。