毎年6月になると、低気圧のせいか雨のせいか、十分な時間は寝ているものの睡眠がきちんと取れていない気分になる。
例年通り今年も安眠にはほど遠く、朝はすっきりしないが、今年はヨーロッパの各国サッカー代表によるEURO大会が行われているので日々の楽しみが少し増えている。試合の時間帯が、日本時間の深夜1時もしくは4時であるため、リアルタイムで見ることは諦め、朝起きて、朝飯を食べながら早送りして試合を見る。白熱した試合が多く、朝からアドレナリンが上がる。この楽しみはあと2週間ほど続きそうだが、サッカーだけでは6月の気怠さは解消できない。
昨日、立花隆の訃報を目にした。
神保町にある東京堂書店で買い物カゴを足で引きずりながら、重そうな本をストンストンと大量にカゴに落とす姿を見かけた。また、一人旅をしていた際に日本語が恋しくなり、ロサンゼルスの日本人街で購入した『脳を鍛える』という先生が著した文庫本をバスの中で貪るように読んだ。
私にとって、立花先生は非常に大きい存在であったが、訃報をTwitterのタイムラインで初めて目にした時に、深い感情が沸いてこなかった。曇り空の続く天気に比例して、感情がぼやけてしまっているのか。
ぐずついた天気が続く一方で、夏至のシーズンで日が長いこともあり、テレワークで仕事を終えた後もまだ日は落ちておらず、出かけられることは有難い。
先日、晴れ渡った日の夕方に鵠沼海岸に行き、日没までの2時間だけサーフィンをしてきた。サーフィンをするのは10年振りで、現在カンボジアで暮らしている親友が学生時代にサーフボードを買ったため当時何度か一緒にサーフィンをしていた。
その時に利用していたサーフィンショップの名前は忘れていたが、鵠沼海岸駅から海岸に向かう道すがら懐かしい佇まいのそのショップを発見し、サーフボードを借りた。もう日没まで時間が少ないからと、ウェットスーツ代はチャラにしてくれて、ボード代だけでレンタルすることができた。
ブランクは大きく2時間波にやられるだけでもフラフラになった。ウェットスーツの脱ぎ方も忘れてしまっていた。東南アジアの安宿にあるような10円玉を入れると2分間お湯が出る簡易シャワーに懐かしさを覚え、ショップの店長さんと少し話して帰る。店長はかつてボードを預けていた親友のことも覚えていたようで、カンボジアに渡っていたこと、また向こうで家族が出来ていることに驚いていた。
髪も濡れたまま駅の方に向かい、昔はサーフィン後にラーメンをよく食べに行っていたところ、「サーフィンで筋肉使ったから早くタンパク質を取らないと」と、コンビニでサラダチキンを買って隣のアパートの階段で食べる。
体は温かくてジャンキーなモノを欲しているのに、栄養摂取を優先してしまうところに、10年の月日を感じる。また、2時間の波乗りに5,000円近く払う遊びは学生時代にはなかなかできなかった。
サーフィンに出かけた日を例外とすると、テレワーク後に日没まで散歩するコースはほとんどが東横線沿いであった。
突然仕事の連絡が届くことを懸念して、スマホだけはポケットに入れて身軽な恰好で出かける。このご時世、多くの人が往来する横浜駅では降りたくないので、そのまま乗り続け、元町・中華街駅で降りる。
駅からは海側へ、山下公園の方面に歩く。
人の手で作り込まれた計算された風景ではあるが、高層ビル群と観覧車とクルーズ船をバックに眺める夕陽は流石に飽きることがない。山下公園の芝生では近くに住んでいるのであろう海外の若者グループがブルーシート敷いてボトルワインを開けて、マスクをしながら宴会をしていた。
反対に、駅から山手側に上がっていく散歩ルートもお気に入りになった。
駅から元町商店街を石川町方面に少し歩いた後に左折し、坂と階段を上がっていくと、高級住宅街やお嬢様学校が続く。実際には坂の上のエリアはあまり大きくない面積で、直ぐに下り坂が待っている。坂を駅とは逆方面に下っていくと、住宅ではなく徐々にお店が増えてくる。
個人店が立ち並ぶ小さな一本道の商店街のその先にJR山手駅がある。”山手”とつくので、格式高そうなイメージを持っていたが、いざ歩いてみると山手駅とその商店街はどこにでもあるような庶民的な雰囲気でとても落ち着く。
コロナで散歩の最中にこうした酒場に立ち寄れないことは悔やまれるが、看板を見ているだけで、居酒屋の温かい雰囲気を少しだけ味わえる。カウンターで瓶ビールを頼める日まであと半年ほどか。
次回の記事が上がるころには東京オリンピックが開幕している。それよりもピーカンな天気の到来が待ち遠しい。