入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

2番目の山

長期滞在者

最近仕事で山梨や長野に出かけることが多く、先日は仕事でお世話になっている方の自宅に宿泊した。

泊めて頂いた翌朝、その方から「あそこに見えるのが2番目に高い山」と、自宅から見える北岳を紹介された。その近くには甲斐駒ヶ岳を望むことができた。

その出張の帰り道、「こないだ北岳や甲斐駒ヶ岳がばっちり見える一軒家に泊ってきましたわ」と少し自慢っぽく登山仲間のHさんにLINEを送ったところ、その翌週「次の登山、甲斐駒ヶ岳にしないか」という連絡があった。

山のルートを自ら提案することは少なく、おおよそ他人任せにすることが多いのだが、Hさんからの提案ルートは鎖場が連続しているルートで、高所恐怖症を抱える私には恐怖心が勝り、コース変更をお願いした。

コロナの影響でテント場を持つ山小屋も、負担よりも張れるテントの数を減らし、また事前予約を必須としたりと制限があったのだが、北岳肩の小屋のテント場の空きを確認出来たので、甲斐駒ヶ岳ではなく、2番目に高い山である北岳を目指すことになった。

北岳には肩の小屋と北岳山荘の大きなテント場が2つがあるのだが、多くの人が登頂する山であるという事実が安堵感をもたらす。

久々の登山だったこともあり、1泊2日する用に装備も少し買い足したく、登山前日は仕事を早く切り上げて、近くの登山ショップで買い出しをした。登山用のサングラスが無かったなと思い探していると、折り畳みが可能なとてもコンパクトなものがあり購買欲をそそられる。偏光用と迷うが安い方のものを購入。その他、登山用のフリーズドライの食材や速乾性の靴下などを購入。

結局いつも通りパッキングに時間が直前となり、出発直前の1時間で慌てて荷物を詰める。2日間風呂に入れないので念入りにシャワーを浴び、集合場所である中野坂上のレンタカー屋に急いで向かう。

金曜の夜にバックパックを背負い、登山用のヘルメットをぶら下げて電車に乗る。「あの人あんな荷物背負ってどこに行くんやろう」という視線が少し心地よい。

中野坂上で待ち合わせして、いざ山梨方面へ向かう。がナビの入りが遅く、高速に乗りそびれて、結局首都高を一周し夜の都心をドライブするはめになり、その後ようやく中央道で山梨方面へ向かう。

Hさんと会うのも数カ月ぶりなので、車の中で互いの近況を語る。

登山口の駐車場に着くと、そこには既に多くの車がびっしりであった。既に数日前から駐車している車か、もしくは我々と同じように翌日からの登山に備えて車中泊しているか。

数時間仮眠をとった後、周りが騒がしくなる。まだ登山道までのバスの出発時間には早いが、登山者が車の外で準備を始めている。どうやら乗り合いタクシーがバスと同じ料金で登山道近くまで向かうらしく、何台ものバンが集まっている。バンも次々に乗客が埋まっているので、我々も準備して乗り合いバンの1台に乗る。

その後、15分ほどしてバンは出発して、とあるゲートまで到着する。そのゲートは時間にならないと開かないようで、ゲートの前にバンやバスが並ぶ。結果的に登山道ではどの車もほぼ同じ時間に着くようになっていた。

山道をバンに揺られること30分ほど。ようやく登山道へ。

ここ1年定期的にランニングをしているので、体力的にも自信があり、軽やかに登れると思いきや、標高2,000m以上になると、肺活量の問題なのかまったく足が思うように進まない。

トレイルランニングをしている人達に追い抜かれ、彼ら彼女らの綺麗な脹脛の筋肉を眺める。何度か途中休憩を挟みながら、登り始めて約5時間ほどで目的の山小屋につく。この山小屋は北岳の山頂までは1時間もかからない場所にあり、この小屋のテント場がその日の寝床であった。まだこの時点でお昼にもなっていなかった。

登頂した山小屋で一杯1,000円の生ビールを頂く。標高3,000mで飲むビールはあまりに美味く、5時間の疲れが吹き飛ぶ。

比較的早い出発だったので、まだ小屋には人も少なく、テント場も場所を選び放題であった。

小屋の近くのベンチに座り、コッヘルで湯をわかし、コンビニのゆで卵をスープにインした棒ラーメンを食べる。身体が塩分を欲していたのだろう、これまた疲れが取れた気分になる。

小屋のベンチで佇んでいると、半袖短パンの小学校低学年と思われる子どもがあらわれた。「寒くないん?」と尋ねると、「うん、涼しくて気持ちいい」と返答がある。前回の記事に書いたアオダイショウを捕まえた子に続き、野性味を感じる頼もしい子に出会った。

その後、曇り空が多くなり、テントの中に戻っていると、突如大雨が降ってきた。テントの中で、新調したサングラスを登っている最中に落としたことに気付く。

テント場に着いたばかりのグループが、テントを張り終わる前に大雨にやられたらしく、濡れながら急いでテントを組み立てていた。

結局、強い雨は結果的にその後何時間も降り続いた。

テントの中でやることも無く、横になりながらHさんと話をし、そして昼寝をした。

昼寝から目覚めても、まだ15時頃だった。翌朝は5時から行動開始するため早く寝る必要があったが、まだ晩飯の時間でもない。

雨が止み曇り空になった後、手持無沙汰にテント場から山小屋を行ったり来たりしながら時間を過ごした。テントの中と異なり、小屋に行く際はマスクを装着するため、別世界に行くような感覚になる。

この雲の多い空だと今日は綺麗な夕陽を眺めるのは無理だなと思っていたら、夕暮れのタイミングで突如晴れて、甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳をバックに、雲海の中に夕陽が沈む姿を見ることができた。

おそらくテント場にいる人全員が外に集まって夕陽を眺めていたのではないかと思う。また、Hさん含め、カメラを持参した人達はここぞとばかりにシャッターを切っていた。標高3,000mのテント場に偶然同じ日にいるいわば運命共同体である人達の間での高揚感を感じる。

日が暮れた後は、テントの中でコッヘルで湯を沸かしてを料理をした。アウトドアショップで買ったトマトとベーコンのドリアがあまりにも美味しかった。炭水化物を取り過ぎて、腹の膨れを感じながら晩飯を食べる。

紙パックのワインを持ってきたので軽く晩酌をする。食糧を減らせば減らすほど、翌朝の荷物は軽くなり、身軽に行動できる。

雪山登山もするHさん曰く、軽量で持ち運びやすく割りやすい酒として、コンビニにも売っているジムビームのプラスチック容器のウイスキーが登山家達の間で流行っているという話を聞く。結局、標高のせいかワインだけで酔いが回りウイスキーまでは辿り着けず就寝の準備をする。

先輩は星を撮影するために一眼レフのセッティングをしてから床につく。

横になっていると、近くのテントから「これからPK戦に入るらしい」という声がする。ちょうどその日は、オリンピック男子サッカー日本vsニュージーランドの試合が行われる日であった。私も結果が気になっていたが、周りのテントからの声で日本が勝ったことを知る。

寝ようとしてもまったく眠りにつけなかった。フリースの上にレインジャケットも着て防寒対策は行っていたが寒くて眠れなかった。どうやらいつも使っているシュラフが夏用でこの標高では使い物にならなかったようだ。

そんな様子を見かねてか、Hさんから「寒くて寝れない感じ?」と聞かれ、「震え止まらないっすわ」と答える。「温めるために何か口にした方がよいよ」と聞き、「後でビスケット食べますわ」と反射的に答える。「いや、体温まるものじゃないと」とHさんから返答があり、自分でまったく頭が働いていないことを知る。結局そのまま寝ようともう少しシェラフの中で芋虫の様になり身体を少し温めようとするが、どうしても寒くて眠ることができず、コッヘルでお湯を沸かしインスタントのカニ雑炊を食べる。一気に身体の中が沸きあがる。あのまま震えていたままだと翌朝どうなっていたのかと、瞬間的に”死”という語が頭をよぎる。

翌朝起きるも十分な睡眠が取れていないからか、標高による高山病の一種か頭がボーっとしている。とにかく目覚めの一杯を、とコッヘルで湯を沸かし、温かいココアを飲む。

そして、朝飯にカレードリア、チョリソーを食す。またもや炭水化物をがっつり取り、出すもん出さないと身体にどんどん溜まっていくばかりだなと思うがそういう気分にならず、ただただ体に蓄えられていく。

本来は小屋から1時間ほど登った後、日の出を北岳の山頂で迎え、その後間ノ岳まで足を延ばし、同じルートで肩の小屋まで引き返す予定であったが、どうにも体調が回復せず、私は北岳の山頂まで行ってその後引き返すことにした。

山頂付近は足場も狭くなり、足を踏み外せば底まで落ちてしまうので、高所恐怖症がじわじわと押し寄せてきて、景色を楽しむ余裕もなく、緊張しながら登っていく。途中、自分の母親よりも上の世代と思われる人達が軽やかなステップで山頂から下山している。高所にも関わらず軽やかなステップで降りる人達を見て「無理せず自然に山に登れる人こそ登山を趣味にすべきで、無理して登山している自分はどうなんだ」と思う。

山頂で太陽を眺め写真を撮ってから、Hさんのカメラを預かり、Hさんは間ノ岳へ、私は先に小屋に戻った。小屋に着くと、コッヘルでお湯を沸かし珈琲を飲み、その後テントの中で2時間ほど寝た。

ほどなくしてHさんが小屋に戻った後、持参した食材もある程度消費したので、小屋のカレーを食べることにした。

またもや炭水化物をがっつり摂取し、テントを畳み、いざ下山。行きとは異なり、沢を通るコースで下山をした。2時間寝たおかげか体調が完全に回復し、とても気持ちよくいいペースで下っていった。

途中、岩にレリーフが何カ所かあった。Hさんと「あれなんやろう」と話していて近寄って見てみると、北岳で亡くなった方への追悼であった。「なんであんな高い位置に彫ってあるんやろう」と不思議に感じていたが、雪に埋もれても見えるように高い位置にあったのだろう。もしくは冬に彫ったからその位置であったのだろう。

半分ほど下っていくと、仮設のトイレがあった。「糞してくるわ」とHさんから荷物を預かり、3分後には戻ってきた。「秒速ですね」と聞くと、「昔から早いんよ」と返答が。中学生のとき、学校内で最も頭のよかった友人が「飯を食うのと、糞をするのと、眠りにつく、この3つが早い人が戦場では生き残るねんて」と、どんな文脈でこうした話になったのか覚えていないが、言っていたのを覚えている。そのときは、3つ全部遅い自分は戦場で即死やなと思った。

そのトイレの近くにはロープを装着したバックパックが2つ置いてあったのだが、よく見ると上の方に登っていく2人組の姿が見えた。どうやら北岳バットレスという日本で一番の高所でクライミングする人達が登るコースがあるらしく、その2人はリュックを置いて視察に行き、翌日ロープを使ってクライミングするのだろう。昨年からロープを使ったクライミングを始めたHさんは、今すぐにでもバットレスを登りたそうな、羨む表情を浮かべていた。

その後、2時間ほどかけて水場も歩きながら下山した。最後に川沿いで靴下を脱いで足だけ浸かった。もう少し水深が深ければ全身ジャバンといきたかった。

15分ほど川遊びをした後、バスの発着所にいくと、乗り合いバンが待っていた。人数が揃い次第発車するのだが、まだ出発まで時間はありそうだったので、登山口のビジターセンター2階の山の写真を眺めて待つ。写真に負けないくらいの景色を前日の夕暮れ時に見えたことに対して天気の神様に感謝する。

乗り合いバンからの下車の際、万札しか持っていなかった夫婦の乗車分をHさんが立て替えた御礼で、駐車場にパラソルを立てて販売していたすもも2袋分を、私の分も含めてその夫婦に奢ってもらった。その様子をすもも屋も見ていたようで、持ち帰り用と別で「いまキンキンに冷えているすももあるから食べて行き」と声掛けられる。「もしや今食べるようも買うよう営業されているのか」と思ったが、もう店じまいなので、いくつでも食べて行ってくれと、冷えているすももを3個その場で食べる。おそらく熟し過ぎていて出荷できないものであろうが、だからこそ甘味は最高であった。

せっかくなので、すもも屋さんに「近くにいい温泉無いですか?」と尋ねると、ちょうどお店の人達は本来は温泉を営んでいる方々で、現在改装中のため臨時ですももを売っていることが分かった。そして、おそらく競合になるはずだが、近くのおすすめの温泉を紹介頂く。

帰りに、すもも屋の方に教えてもらった、こじんまりとした雰囲気のとてもよい温泉で汗を流し、温浴と冷浴を2セット行い風呂を出る。が、替えのTシャツを車に置いてきてしまい、すっきりした後なのに汗でベッタベタの登山シャツを再度着て駐車場へ向かい、車で新しいシャツに着替える。

夕方前の早い時間にもかかわらず、日曜の中央道は混んでいた。事故による渋滞だった。事故現場を通り過ぎる際に横を見ると、前方が凹んでいる大型車の中に小さな子どもが乗っていた。これから救急車が来るのかと、不安な気持ちになった。家族で平和な週末を過ごしていた帰りにも、どんなところでも命に関わることは起こり得る。

夕暮れ時に中野坂上のレンタカー屋に到着し、近くの広場で「お疲れ様」とHさんと泡で喉を潤し、「今度一緒に登るのは紅葉のシーズンかな」と話し、帰路に着いた。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る