休みの日に横浜シネマリンでペドロ・コスタ監督の溶岩の家という作品を見た。
途中ウトウトしてしまったが、作品の終盤に、主人公が自分の存在を知らせるために男の家に向かって小石を投げるシーンがあった。
そのシーンを見て、脳裏に昔の出来事がフラッシュバックした。

中学の頃、サッカー部に入っていた。
週末には対戦相手の学校のグラウンドまで行くことが多かった。
補欠だったため、試合に出られる機会は限られていた。
その日も、先発のメンバー達がアップしている裏で、補欠同士で集まって1人の鬼に対してボールを回し続けるゲームをしていた。
鬼にボールを取られたメンバーが次の鬼になるという次々に鬼が代わっていくゲームなのだが、普段ゴールキーパーをしていた〇〇が鬼になると、みんなで冗談を言いながらボールを回す流れになった。
そのキーパーは体格がよいものの、足元の動きは得意では無くボールを奪うのが苦手で、永遠にパス回しが続くようだった。
「〇〇おもんない」、「早く取らなゲームにならへん」、「俺もはよ鬼になりたいのに」と口々に言いながら、ボールを回し続けていた。
〇〇が鬼のまま、5分ほどボール回しが続いたところで、我々控え組にも集合の号令がかかった。
号令と共にボール回しを切り上げ、みなで一目散に走った。
「〇〇のせいでおもんなかったわ」という声が聞こえてくる中、なぜか私は小石を拾って軽く〇〇に向かって投げた。
と、その小石は後頭部に当たり、〇〇はうずくまった。
「早く集まれよ」と〇〇を見た顧問の声が大きくなり、うずくまった〇〇もなんとか立ち上がり頭を押さえながら集合場所へ行く。
「なんで早く来ないんだよ!」と顧問が〇〇を叱った。
〇〇は何か言いかけたが口を堪えていた。
そのとき〇〇が口を開いていたらどうなっていたであろう。
その日の夜、自分のしたことが怖くなり、〇〇の家に電話をかけ、後頭部の状態を確認した。
傷は無く病院に行くような状態では無いことを知り安堵した。
その安堵は、自分がしたことが周りや親に知られる可能性が無くなりそうなことに対する安堵だった。
そんなあさましい人間から少しは変わることができたのだろうか。