何年間も音源を聴いてきて、日本に来ることは無いだろうと思っていたコロンビア/ボゴタのバンドが日本にやって来た。
ツアー初日、中野のライブハウスで見て、予想を超える熱を感じ、その圧を仕事中も感じ続けた。
それから数日後の土曜、朝7時に起きて10分で身支度して新横浜へ向かい、新幹線で岡山まで移動し、岡山駅で乗り換えてローカル線で津山駅へ向った。
津山でずっと行きたかった赤壁邸でMUROのライブがあるという、個人的に一生で一度あるかという特別なライブでどうしても行かなければと思ってカレンダーをブロックし続けていた。
津山駅に着くと、事前に予約をしていた駅前のホテルに荷物を預けて駅前を歩く。
とても雄大な川を渡ると、アーケードのある商店街があった。
無性にうどんが食べたくなり、アーケードの商店街の小道にとてもよさそうな雰囲気の店があったが、もう出汁が無くなっていてその日は閉店だった。余計にうどんが食べたくなった。
まだ会場の赤壁邸までのアクセスを考えて無かったが、この時間はバスが走っていないようで、徒歩で行くことにした。
津山から歩こうとすると4時間かかるところが、隣の院庄駅からだと3時間ほどで歩けることに気付き、院庄駅へ移動する。
院庄駅から徒歩15分ほどのところにあるセルフ式うどん屋で大盛りうどんを食う。
やはり出汁が美味い。

摂取したうどんのカロリーを減らしながら、ひたすら歩く。
途中、民家を歩いていると、コンテナハウスの中で熱帯植物を育てている方がいて、オッと思ったがそんな怪しいものは育ててないだろう。
1時間半ほど歩いたところに温泉があり、30分だけ立ち寄る。
外風呂も含めてとてもよい風呂だった。
手拭いを持ってきていたので、タオルはレンタルせずに手拭いで済ます。
日が暮れ始め少し気温も下がってきて、寒くなるまでに会場に着こうと約2時間の道のりをひたすら歩く。
歩道が無い道もあり、車に轢かれないよう気をつけつつ急ぎ足で歩く。
道ですれ違う人もまったくいなかった。
その日は津山の至る所で野焼きが行われており、農道を歩くには最悪の日だったかもしれないが空気は澄み渡っていた。

地域でみな同じ作物を育てて同じ収穫期で、野焼きの時期も重なるんだろう。
これまで野焼きをやったことは無いが、他に燃え移って火事にならないようなコツがあるんだろうか。そうした知識、知恵の蓄積が自分の中に無いのは寂しい。
日が完全に暮れると、当たり前だが周囲は真っ暗になった。
そのまま1時間以上幹線道路沿いを歩き続け、Google Mapを開くと20分ほど歩けば会場に着くという表示が出た。開演時間に間に合ったとホッとしながら最後のダム湖沿いの道を歩き始める。
と、幹線道路から外れた山道に突入し後は、これまでとは明らかに雰囲気が変わり始めた。
車もほぼ通らず、静寂が訪れる。
10分ほど歩くと、獣の甲高い声が右側の崖から聞こえてくる。
繁殖の時期の声なのか。
いや、私が動くたびにその声が鳴る気がし、繁殖の相手を探す声では無く、仲間に危険を知らせる声なのか獲物がいるという意図の声なのかと思い直す。
さらに前進するとガサガサという小動物ではなくそこそこ以上の大きさの獣が鳴らすような音がする。
左手はダム湖で、ガードレールはあるものの、獣に突進されガードレールを超えて湖に落ちたら命は無いなと少し怖くなる。
これは走って逃げ切るしか無いと思い、小走りすると、さらにガサガサという音が大きくなる。
ダッシュした者同士がぶつかると衝撃度は絶対増すだろうなと、中学か高校の頃に物理の授業で習ったようなことを思い返し、一旦止まる。
この道を通る車は私と同じく赤壁邸を目指す車のはずなので、幹線道路沿いの分岐点まで引き返せばヒッチハイクで会場まで行けるかもしれないと考え、来た道を戻り始めた。
が、ここまで来て戻るのもどうなんだと思い、「もうどうでもええわ」という思いで、前進することにした。
なるべく音を立てない摺り足で且つ早歩きという、自分が忍者になったような気分で進む。
右側の崖からのガサガサ音は近づいて来るが、もう来るなら早くこいという謎の強気なモードになり、忍者走りでカーブを走り抜けると建物の灯りが見えた。
会場に到着後、大げさだが命が助かったという思いで解放され、普段なかなか感じない野性味のあるテンションになる。
高所恐怖症であるのに、とても高い山に登り無事下山したときの様子にも近いかもしれない。
会場内にはそんな命からがらな心持ちで訪れた人はおらず、コロンビアからはるばるやってきたMUROへの期待感溢れる気持ちで会場にやって来た方ばかりだったであろう。
会場に着いて、早速ドリンクカウンターでビールを飲み一呼吸する。
MUROのDarcyが近くにおり、拙いスペイン語で話しかける。
話していてもとてもいい雰囲気な人で、どういう生き方をしていたら、このような人柄になるか知りたくなる。
主催のSkizophrenia!のyuさんが院庄駅から歩いてきたことをとても面白がってもらい、そこから色んな人にその話をしてくれ、ドリンクを奢ってくれた。
MUROのギターのCarlosからはどうやって日本のハードコアバンドの音源を聴いていたのか、また現地のおすすめバンドを教えてもらった。

ライブは、それはそれはどのバンドも素晴らしく、会場の雰囲気も音も最高で、来る前から年間ハイライトになること確定と思っていたがまったくもってその通りになった(無事辿り着けるか問題はあったが)。
人生で初めてライブの打ち上げに参加したが、おでんやチャプチェなどのフードも揃っていた。
MUROのメンバーの中にもベジタリアンのメンバーがいたが、ベジタリアンにも配慮したメニューだったのだろう。
日付が変わる頃まで打ち上げに参加し、会場に泊まるメンバーやお客さんが残る中、私は市内に向かう車に乗せてもらいホテルまで着いた。
至れり尽くせりの対応をしてもらった。
翌朝は朝食の時間も忘れてチェックアウトギリギリまで寝ていた。
振り返ると、津山で過ごした時間が夢のように感じ、院庄駅から赤壁邸まで歩いて行ったエピソードが無かったら、あんなにたくさんの人たちと話す会話の糸口も無く、色んな人達との交流は生まれなかったなと感じた。
そしてMUROの来日の熱がようやく収まってきたいま、改めてMUROのインタビューを読んで日本文化への造詣の深さに恐れ入り、文化が国境をたやすく超えることを思い知った。
