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3F/長期滞在者&more

暁の人類学 (6):YOU LOSE !!

長期滞在者

若い人へ

こんな書きだしではじめると、いかにも自分が歳をとったように感じます。研究者としては未だに若手とされますし、立派な中年になる覚悟が定まっているわけでもないにしても。放っておいても心身が回復し成長していく時期が過ぎ、「おぅ、あとは死ぬだけだなぁ」と体感したのが数年前。とはいえ、生きていることがいずれ訪れる消滅の瞬間へのカウントダウンだという事実は、年端も行かぬ子供であったころの中心的なテーマではありました。むしろ、表面上の若さが去ったことで、問題はよりクリアになってきたように思います。

「誰もがいつかは死んでしまうのだから~」という台詞には、共感しないわけにはいきません。でもそれだけではないことを私はすでに知っている。誰だって次の瞬間には死んでいるかもしれない。それでも、私たちはその事実を決して全面的には認めていません。若さや成熟や老いを経て人生が続くことを、婚姻や出産や葬儀を通じて世代が継承されることを、個人の献身や諦念や希望を糧にして集団が存続していくことを――絶対の保証はないことを知りながら――前提にして生きています。一応は安定しながらも常にギリギリのバランスを取りながら私たちの世界は続いている。その一部としての私が、それでもどのように死に向かうか。問題はよりクリアになってきたわけです。

大学教員という仕事柄、歳の離れた20代の人たちと日常的に接しています。この文章は、彼ら/彼女らに向けて書かれています。特定の誰かに対してではなく、総体としての「若い人」に向けて。

特有の難しさがあります。経歴や境遇が似ている自分より若い人に対して、私たちはしばしば自らが辿ってきた道筋を重ねあわせます。現在との関係において過去が把握できる以上、若い人の行動や発言はどこか思慮が足りないものに見える。でも接しているうちに徐々に分かってくることがあります。例えば、すでに若くはない私たちの多くは、自分の進む道をすでに決めていて、道の先が見えないことに時折いらだっている。対して、若い人の多くは、進む道それ自体が見えないことにいらだっています。そのいらだちは、私には絶対にわからない。その過去は、この現在との関係においてしか、もう把握できないからです。

だからこそ、若い人は私に甘えます。いまだ定まらない道の先にいる人間として。何らかの助言や励ましを受けることをどこかで期待して。私のいる場所が自らの目指す道の先にはないことにうっすら気づきながら。だから私たちは互いに誤解しています。あなたは私の過去ではないし、私はあなたの未来ではない。

年上は常にだます者です。この先にある道筋を示してくれるように見えながら、それは私の進む先ではないことにいずれ気づかされる。年下も常にだます者です。新たな発想や行為のあり方を示してくれるように見えて、それを自分なりに理解したと思えるようになった瞬間に「それではない」と冷たく言われてしまう。私もまた、誰かにとっては後続者として、あなたにとっては先行者として生きています。誰かに甘えながらあなたに甘えられ、あなたに批判されながら誰かを批判しています。

でも、それでいいのかなと思います。私が消滅するときまで、あるいは、あなたが消滅するときまで、少しの時間でもお付きあいしていただけるとありがたいです。たっぷりだましてあげますから、たっぷりだましてくれていいですよ。

kubo6

kuboakinori

kuboakinori

文化人類学者、たぶん

近刊『ロボットの人類学―20世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015)

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