先月書いたように父母ともに病を得て、いろいろ面倒くさいことになっている。
母も手術が必要で長らく入院しそうなので父は介護施設に短期入所してもらうことになった。しかしああいうところは一定期間しか預かってもらえないので順次施設を探していくことになり、その施設探しの手続きがものすごくややこしい。
父自身は病状は安定しているのだが、体の挙措は不自由でトイレに立つのも危なっかしく見える。本人は大丈夫と言い張るが、実際一度家でトイレに行こうとして転倒して肋骨を折り、そのせいで大事な手術が延期になったことがあるのだ。一応呼べば看護師や介護士が駆けつける場所にいてもらわないと安心できない。
歩行は不自由でも、87歳になった今も頭はわりと明晰である。たまにボケたような発言はするが(術後のリスクを考えあえて手術はせず経過を観るという決定に内心不服らしく、「俺の手術はいつやったかな」などと定期的に言い出す)、これはボケたフリして内心の不安を吐露しているのだろう。
ボケない頭でも、ああいう施設では会話も減るし、何もしないでいたら色々考える力が減衰しそうなので、むりやりノートとボールペンを買っていって、自分の幼少時からの記憶を箇条書きでいいから何でも書いてくれ、と宿題を出した。漠然と「書け」では書いてくれなさそうなので、まずは生まれてから6歳の終戦までいた満州時代の記憶を断片でいいから、と時期を区切った宿題にした。それでも面倒がるなら、一つ一つインタビュー形式にして膨大な質問集をこちらから作って出そうかと思ったが、案外素直に「わかった」と言う。
数日後「何か書けたか?」とLINEしたら「せかすな。体がきつい。満州のことはあまり記憶がないが、小学校1年のクラスにノーベル賞学者のNがいたからそのことなら書けるかも」との返事。
同級生にノーベル賞学者? そんなの聞いたこともないぞ。どえらい隠し玉持ってるな。と、なんか面白そうなことになってきている。父の育った山間の田舎町にノーベル賞学者を輩出するような文化リソースが? と疑問に思ったが、N氏は都会(芦屋)に生まれたが戦争で一時疎開して来ていたのだという。wikiにも載ってない裏面史である。
話としても面白い上、なんせ自分で何か書こうとしているのが良い。記憶の断片だけ引っ張り出させてあとは僕が編集者になって文章を作ろうかと考えていたのだが、案外自分で全部書いたりしてね。
自分のことを書いて、と父に頼んだのは、父の父、94歳で亡くなった祖父が書き残した自分の経歴を書いたノートを、僕がなぜか持っているからである。コピーではなく祖父の自筆の原本だ。なんで僕が? 祖父の子、つまり父(長男)と弟妹は計5人いるのに、飛び越して孫の僕が持っている。この世代は誰も興味を持たなかったのだろうか。父に話すと「そんなもんあったか? 覚えてない」などと言う。
人の事績など、下手したら自分の子供にも伝わらないものだ。僕はまぁあちこちに自分のプライベートを晒して書く方だけど、普通の人はあまりそういうことをしない。祖父のことも、だんだん覚えている人が少なくなる。しかし簡略ではあるがこのノート1冊分の事柄は、少なくとも孫の僕が知っている。
自分の父親のことも、もちろん知らないことばかりである。ノーベル賞研究者と1年間だけだが同じ教室にいたなんて初めて知ったし。そんな特殊な事柄でなくても、もっとくだらない、もっとありふれたことでも、知ってるようでで知らない。知っていることのほうが少ない。それが普通だ。
数日経って施設を訪れてみると、渡した大学ノートに10ページほど、びっしりと細かい字で文章が書きなぐられている。びっくりした。とりあえず満州時代だけでいいと言ったのに、筆が走り、前妻(つまり僕の生母)と離婚した経緯や恨み、落胆のことまで書きつけているようだ(僕はところどころ目を走らせただけでちゃんとは読んでいない)。やるじゃないか。岸政彦さんに送ってみようかな(笑
こんな長文が書けるほど頭はしっかりしているくせに、「俺の手術は・・・」とかまだ言ってる。これは絶対にわざとボケたふりだな。
もしかして書いたことを後悔して破り捨てられても困るので、トイレの隙にスマホで全頁複写しておいた。次回ページが増えていたらまた写していこう。
