小さな頃は音楽というものが大嫌いだった。この嫌悪感のみなもとは、小学校の音楽の時間に習ったリコーダーとピアニカにさかのぼる。楽譜の読み方もよくわからないし、指を動かして望むメロディを作りだしていくこともできない。それなのに授業はどんどん先に進んでいき、わたしはますます落ちこぼれていく。吹き口についた歯型の傷のザラザラした感触や、どうしても取れない生臭い唾液が人工的なプラスチックにまざった匂い。うすいレースのカーテンを通して、日当たりの良い窓からまぶしすぎる太陽光が射しこんで、頭の血が煮立っていくみたいにぼーっとしていく。あの頃のことを思い出すと、いまでも、心がむかむかして気持ち悪くなってくる。
小学生のわたしにとって、「音楽」のすべては、あの気持ちの悪いリコーダーとピアニカだったから、音楽はなんであっても忌避すべきものになった。歌も、楽曲も、楽器も、なにもかもを、わたしは徹底的に遠ざけた。中学校は合唱に力を入れているところだったけれど、音楽のすべてが嫌いになっていたわたしは歌うことを拒否した。ふだんはひたすら“くちパク”で、テストのときにはもごもごと口を動かして聞き取れない程度の声をだした。成績は当然もっとも悪く、変声期をむかえて素敵な歌声を響かせるようになった同級生たちを拗ねた目で眺めていた。高校に入って芸術系の科目が選択制になり、大好きな「美術」ですべてのコマを埋めて、わたしはやっとひと息つくことができた。
今ならなんとなく、どうしてはじめての「音楽」に挫折したのかわかるような気がする。わたしは、頭で理解しないと体が動かない。なぜドレミファの音階が基本になっているのか? 楽譜はどうしてこんな妙な書き方をするのか? なぜ指を動かして鍵盤を叩いたり穴を塞いだりすると違う音が出るのか? そもそも違う音とはなんなのか? 「とにかくやってみましょう」と言われるたび、疑問はふくれあがっていき、頭は「こんなのできるわけない!」と意地になって、体を動かすことを拒絶する。(というよりそもそも、楽譜というこれまで触れてきたのとはまったく異なる“言語”を読んで、頭で変換しながら指を動かすなんて、どうしてそんな高度なことをみんな素直にできるのだろう!)
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音楽との再会がはじまっていったのは、大学生になったあとだった。つきあいでカラオケに行ってもいっさい歌わないわたしを見かねた友人が、個人レクチャーにつれだしてくれた (今思うとたぶん、友人は自分がいっぱい歌いたかっただけだったのだと思う)。友人は中学生のとき合唱部におり、たしか全国の大会だかなにかまで出場したと言っていた。
わたしの地声はけっこう高いほうで、歌うともっと高くなる。なんとなく気恥ずかしく、息もつづかなかったので、歌声はとぎれとぎれになる。そんなわたしに彼女がくれたアドバイスはひとつだけで、「腹に力をいれて声量をあげろ」というものだった。逆説的だけれど、大きな声で歌ったほうがきれいに高い音がでて、息継ぎのタイミングもうまくつかめるようになる。
このアドバイスを念頭に置いてカラオケに行くことしばらくして、だんだんと自分でも納得するように歌が歌えるようになっていった。カラオケで歌うために、すこし音楽も聴いた。今では、カラオケに行くのがけっこう好きだったりもする。
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大学を卒業したあとにRと出会い、音楽を聴くのも好きになった。Rはおだやかな女声の洋楽を好み、一緒にいるときにはそんなジャンルの音楽をときどき聴いた。好きな歌手の名前もいくつか聞いたけれど、おぼえられずにすぐ忘れてしまった。
そんなあるとき、たまたまよそでかかっていたラジオから、とてもすてきな歌が流れてきた。落ち着いた女声ボーカルが歌う英語の曲で、ぽかぽかと陽がさす予定のない日曜の午前中のような雰囲気だった。
曲が終わった後にラジオ・パーソナリティが紹介した曲情報を急いでスマートフォンにメモし、Rに「この歌知ってる? きっと好きだよ」とメッセージを送ると、Rからは「知ってるよ、私の好きな歌手の好きな歌だよ」と返ってきた。おぼえられなくて忘れてしまった、名前を教えてくれた歌手のひとりだったのだ。
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音楽を聴いていると集中力が低下するので、仕事をするときや文章を読むときは音楽をかけない。脳のなかではたらいている領域の一部が侵食されるような気がする。それと、好きな音楽をくりかえし聴いていると、曲をかけていないときに、オリジナルのままではなくて劣化した感じでその曲が頭のなかに再生されるようになってきて、もう勘弁してください、という気持ちになってくる。
音楽はもはや苦手ではなくなったけれど、依然としてちょっと距離を置いてつきあっている。
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バルト海を渡るフェリーのなかでかかっていたBGMの音が大きくなって、ちょっとうるさいなと思っていた。だけれどすぐに、スピーカーから流れる既製品の音楽とは違う雰囲気に気づく。ソファーから首をあげて向こうのほうに目をやると、どうやらすこしへこんだブースのところで、生演奏が始まっているらしい。
紫色のやわらかい光が客席ラウンジに漏れでていて、のびやかな女の人の声が響いている。座っているソファーから直接は見えないけれど、あそこで歌っているのがわかる。ブースのすぐ前のソファーの乗客たちはみんな、そのブースのほうを眺めている。1−2曲終わって、“Englishman in New York”がはじまる。好きな歌。途中から思わず立ち上がって、一緒にいたRに荷物の番を頼み、そちらのほうへ見に行ってしまう。
演奏にときどき男声が交じっていた。前まで行ってみるとたしかに、スキンヘッドの男の人が横でギターをひいていた。メインのボーカルの女の人は、歌いながら電子ピアノを気持ちよさそうに弾く。乗客の大部分は無関心なようでいて、でもしっかりそちらに注目している。なんというか、ふたりは本当に楽しそうに歌ったり演奏したりしていて、音と一緒に、あたたかい空気が広がっていく。
ブースの前を通る人はリズムをとりながら足を踏みだし、ときには親指を立てて控えめに賛辞を送ったりする。“イパネマの娘”の最中には (これが“イパネマ”だよと、Rからあとで教えてもらった)、5歳と3歳くらいの兄妹が楽しそうに踊りはじめて、両親がそれを見守っていた。演奏が終わるたびに、そこかしこでぽつりぽつりと静かに拍手が響く。最後の曲になった“イエスタデイ”では、ビールを飲んでいたおじさんがつぶやくように「♪yesterday」と歌にあわせて口ずさんでいた。
演奏の合間には静寂が訪れ、バーのカウンターに吊り下げられたたくさんのシャンパングラスが、船の揺れにあわせて、シャラシャラと鳴っている音まで聞こえてくる。最後の演奏が終わって船内のBGMがふたたび始まると、なんだか幸せな夢が覚めてしまったような気持ちになった。船の上でピアノやギターを演奏しながら歌う……そんな人生も悪くないなと思った。