初めて「お話」というべきものを書いたのは小学4年生の頃。
それはこんな風だ。
”主人公の「わたし」は醜い女の子で、両親は美しい顔立ちをしているのになぜ、と悩む日々を過ごしている。
ある日「わたし」は思い立って母親のいない隙にこっそりと、「ママ」の化粧水やら美容クリームやらを顔に塗りたくった。
するとどうだろう、見紛うほどの美人に変身したではないか”
「醜い」の箇所を「ブス」、「するとどうだろう」は「あら不思議」と30を超えた私に今でもときどき力説する父は言うので、おそらくそのように書いたのだろう。
実は私にはこれを書いたという記憶がない。
小学4年生といえば10歳前後、もちろんその時のクラスや友達のこと、住んでいた家のこと、勉強していた曲のことまで憶えているのに。
父はよほどこのエピソードを気に入ったようで、お前にはものを書く才能があったなどと言う。
親馬鹿だなぁと苦笑してしまうが、実際私にとってものを書くというのはヴァイオリンを弾くことよりも遥かに易しい。
出来の良し悪しではなくて、身体的な感覚として楽なのである。
机に向かって手をキーボードに乗せるか、ペンを持って紙の上に乗せるかするだけで良い。
なんの準備もいらなければ、気負いもいらない。
テーマさえ前もって考える必要がないのだ。
祖母も父も短歌を詠むし、父は短いエッセイを雑誌に書いたりもしているのでたぶん血なのだろうけれども、そうかと言って父の言うように物書きを目指したりしなくて心底良かった、と思う。
ものを書くことはもっとずっと生理的なことだからだ。
そのことを考えるとき、必ず音についても考える。
音は言葉だ、といつも言うのだけれど、正しくはもちろん全然違うもので、同じだと思うのはだから身体の外に出すという行為についてなのだろうと思う。
言葉にせよ音にせよ、私はそれをいつも身体的な感覚で意識する。
言葉はいつも胃のあたりにあり、音は身体中のあちこちに散らばっている。
たとえば抽斗か棚のように分類されている感じだ。
ドにはドの抽斗があり、絶対にそこにしか入らず、ドレミは私にとってドレミというよりも色とか温度のようなものに近いので、抽斗自体に色がついているのだ。
それがドなのかレなのかはどうでも良いことである。
困ったのはソルフェージュで、音楽大学の入学試験にはピアノで弾かれた曲を聴いて楽譜に書き起こすという項目があるのだが、私には未だにこの試験の意図が分からない。
音が聴き取れているかということと正しく楽譜が書けるかということは、能力として全く別のことだと思うからだ。
それを同時に行わせることの意味が理解できず、理解できないままそれをするというのは生理的に気持ちが悪いので、当然成績は芳しくなかった。
音というのは存在自体がそもそもとどまらせておけないものなのだから、つかまえて譜面として存在させることに違和感を感じるのだろうと思う。
自分がクラシックを弾いていくことに、もうさほど興味を持っていないことに気づく。
弾くことはやはり書くことに似てとても自然なことで、クラシックという学問を勉強することとはまた別の行為だという気がどうしてもするのだ。
そうして私は、もう弾くということにしか興味が持てない。
言葉も音も、たぶん在るべきようにしか存在させられない。
ないものを繕うことは、私にはできないことなのだ。
大切にすべきはそのことだけだ。
N’importe quoi.
あとは、どんなことでも。