絶景があるはずだと信じて駆け寄った窓の向こうには、見渡す限りの白い壁が広がっていた。しかも、結構間近に。
出張の予定が入ったからと私が開いたホテルの予約サイトには、「窓辺から横浜港を一望できます!」なんて文言が添えられていたはずだ。交通の便が良く、日程に合う予算範囲内の宿を確保することが一番の目的ではあったが、わざわざ掲げるほどの景勝ならばと、私も少なからぬ期待を抱いてしまった。新潟から電車と新幹線を乗り継いでチェックイン、部屋に入って荷物の整理もせずに、勢いよくカーテンを開けた私の眼前に広がったのは、冒頭の光景だったというわけだ。
建物の構造を考えると、どうしても壁向きの部屋が生じてしまうことは理解できる。しかし、謳い文句を丸のみして軽く浮かれていた私が、「さて、こちらから入ったのだから港はあちらで……」などと冷静に考えながら移動できるはずなどない。さらに補足をすると、「壁側のお部屋もございます」という注意書きもなかった。
思いがけない光景を目の当たりにして、絶句したまましばし立ち止まったのだが、「うん、いいや。これでいい」と気を取り直した。これは諦めというより、「思わぬポイントをゲットした!」という気持ちに近い。何のポイントなのかは知らないが。
どうやら私は妙な引きが強いらしい。とはいえ、「思いがけない素晴らしいできごとが舞い降りてきた!」というようなものではなく、良くも悪くも地味である。もう少し子細に申すと、「気が滅入るほどのことではないが、ハッピーとは言い難いおかしな状況」に出くわすことが多い。捉え方次第では酷い話なのかもしれないが、とっさに「もし第三者として今の自分を眺めたら」と想像して、「悪いけど笑ってしまう」のだ。「いいもん見たな」とすら思ってしまう。自分のことなのに。
前述のホテルの件にしても、がっかり以上に楽しくなってしまう、「何なのこの地味な冗談みたいな展開は!」と。
「見渡す限りの白い壁」と同じ日には、こんなこともあった。
業務を終えて宿に戻る前、夕食をとるべくとある飲食店に立ち寄った。金曜日の夕方であったため、なかなかの混雑ぶりだ。相席でも構わないかと店員に聞かれてOKを出した。私の目の前には、レジ近くの4人掛けのテーブルで食事をするひとりの男性の姿があった。この方の向かいかな……などと予想していたら、「こちらにどうぞ!」と元気な声と共に私が案内されたのは、4人掛けテーブルを2つに繋げた、7人組の宴会グループとの相席だったのだ。
こんなことってあるんだねえ、あるんだなあ、という気持ちで席に着いて注文をした。まあ宴会に加われというわけでもないし……と気にせず過ごしていたのだが、後からやってきてくつろぐ見知らぬおばさんこと私の存在が、先方は気になってしまうようだった。もちろん気にしないようにしている印象も受けたのだが、共用になっている調味料に私が手を伸ばした途端に会話が止まるし(内容は聞いていないので分からないが)、注文した料理が私のもとに運ばれると、彼らの目はこちらに向く。殊、私の目の前にいた青年は気の毒で、ふと顔を上げたらうっかりそのおばさんと目が合ってしまい、気まずそうにうつむくなどしていた。ごめんな、おばちゃんも君に視線を向けたわけではないんだよ、などと思いつつもマイペースで飲食をしていた私なのであるが。
帰りがけ、何の気なしに近くのテーブルを見ると、先ほどの4人掛けテーブルには誰も案内された形跡がないではないか。「なのに店員、どうして私をあの宴会席に案内した!?」などと思いもするが、後から客が来ることを想定しての判断だろうし、何より「宴会席に相席なんて、なかなかできない経験だな」とありがたさえ感じている。ゆえに、何の問題もない。
私が「気が滅入るほどのことではないが、ハッピーとは言い難いおかしな状況」にしばしば遭遇するのは、それを良しとしているからなのか、たまたまなのか。いずれにしても、地味で平凡な私自身とその日々を、いくらか刺激的にしてくれる要素であり、大切な経験だ。
昨年、第53期当番ノートを担当する機会に恵まれた『アパートメント』にて、長期滞在者として再び連載の機会をいただいた。これより毎月23日、先に述べたような私にとっての事件について、思い出せる限り文章にまとめたい。月1回のペースとなれば以前より余裕が出る。煮詰め足りないと感じながら公開することも減るだろうか。
事件などと申し上げたが、それは私の測りに過ぎない。ほかの誰かからしたら、取るに足らないできごとの可能性もある。仮に珍しい話であったとしても、ご覧になった方が楽しめるかはまた別の話だ。「面白い話を書きますよ」と胸を張れないくせに、「つまらなくても許してください」などという態度で臨む自分は許しがたい。我ながら面倒くさい人間である。じゃあどうするか。読み物として成立させられるよう、せいぜい努めるしかあるまい。
お時間ある折、お付き合いくださる方がいれば幸いである。