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3F/長期滞在者&more

25年前のプリント

長期滞在者

藤田莉江との写真の二人展『Strangely beautiful』(ギャラリー・ライムライト/大阪)、おかげさまで盛況、たくさんの方にご来場いただきました。
ありがとうございます。

この奇妙なタイトルは、相方の藤田がちょっと理屈っぽい(笑)そして長いタイトルを考えてきたので、もうちょっとまとめられないか、と僕が無理やり最大公約数的な言葉に置き換えたのです。
藤田は「だからといって、そうとはかぎらない」というような意味の英文を提案してきたのですが、それを短く言ったらつまりはどういうことだ、と考えて『Strangely beautiful』。
誰ですか、かすりもしていないとか言ってる人は。三回くらい翻案すればちゃんとそこに着地しますよ、僕の頭の中では(たまたまそのときiPodで聴いていたTelevition Personalitiesの曲の名前だ、というのは藤田にも秘密です)。

訳せば「みょーに綺麗」。
でも写真って、要するにそういうものでしょう?
みょーに、の部分がもちろん肝なのであって、普通に綺麗なものなんて面白くもなんともないわけです。
「だからといって、そうとはかぎらない」ものしか世の中に存在しません。その妙な美しさを撮るのが写真です。
着地しているったら着地している。
大丈夫だ(誰に言ってる)。

・・・・・・

ひさしぶりに暗室に入っての銀塩モノクロプリントでした。
寒かったです。
僕の暗室に暖房設備がなく、油断すれば液温もすぐに下がってしまう。
ちょっと高温めに液を作って、これが20度を下回らないうちにプリントできる枚数だけをプリントする。
切れ端で一度だけ段階テストをして、プリント本番は1枚きりです。
刻々下がる液温のことも加味して秒数と号数も決めるので、なかなかにスリリングです。
20℃を切ったらその日のプリントはそれでおしまい。
友人のズーさん(料理人で写真家)がプリントは料理に近いと言ってましたが、ほんとうにそう思いました。

緻密なプリントというのは、もはやデジタルでも、いや、むしろデジタルのほうが追い込めるのです。カメラも出力装置も進化しています。
だったら、今、銀塩プリントにしかできないことって何だろうか、と考えたときに、速度や温度や、それらが刻々変化することに対するコントラスト維持の対策、といった即時即応の緊張感をプリントに込めること、なのではないかと思いました。
もちろんそんなこと、出来上がったプリントを見てもわからないかもしれません。でも撮影時と同じような緊張をプリント時にも強いることで生まれるものが何かありそうな気がしたのです。
ちょっと自己満足的な感じもしますが。
でも結果、今回のプリントはかなり自分でも気に入っています。

・・・・・・

今回の展示のプリントを始める前、暗室の棚を整理していたら、25年以上前、写真を始めた頃にプリントしたキャビネ判や六切サイズのモノクロ写真の束が出てきました。
今はもうない「月光」の単号印画紙。ろくなフラットニング処理もかけてないから波打ってベコベコです。

波打ってるくらい別にいいけれど、これがどれもこれもびっくりするくらい下手くそ!
こんなプリントを作って悦に入っていたのかと思うと冷や汗が出ます。
独学でモノクロプリントをやりだした頃のものです。

25年前、当時、家の近所にあった古道具屋さんによく顔を出すようになって、店主のセキガワさんと親しく会話するようになりました。
アンティーク全般を扱う店だったのですが、古いカメラも多少扱っていて、セキガワさんは昔写真の仕事をしていた人なのだと聞きました。
何度か古時計を買ったりしたくらいで、以後は何も買わずにただお茶を飲んで写真の話をするためにだけ頻繁に店に上がりこんでいました。
僕より20歳は年上のはずですが(ちゃんと年齢を聞いたことがなかった)妙に話が合って、ついついいつも長居してしまうのです。
若いころ航空写真の仕事をしていて、セスナ機の操縦士に意地悪された話(操縦不能に陥ったフリをして新人カメラマンをビビらせる)とか、泳げるくらい広いブースでデッキブラシで巨大ロール印画紙の現像をしたとか。話もうまい人で(多少の盛り癖もあったかもしれない 笑)、ついつい長話になったのです。

彼は別の場所で週一回の白黒暗室教室を開いていました。本当は彼に習ってみたかったのだけれど、僕の仕事の都合と曜日が合わず、かないませんでした。
その代わり、自分で焼いたプリントを店で見てもらったことがあります。
今回出てきたプリントがそれです。昔セキガワさんに見てもらった写真でした。
ああ、こんな下手くそなプリントを、教室を開くほどの人に見せていたのか。
知らないということは怖ろしいものだと顔が熱くなります。

セキガワさんは一枚ずつ写真を丁寧に繰っていって、最後まで見終わると、もう一周、じっくりと無言で写真を繰り、そして言いました。

「僕は君なんかよりずっと長いこと写真焼いてるからな。このネガからやったらもっと調子出すことデケるわ。ここなんかもっと焼きこんだらええなぁとか、これ号数間違うてるんちゃうか、とか、いろいろ思てしまうしな。
でもな、これは僕が口出ししたらあかんことなんや。撮った君が決めることなんや。技術があろうがなかろうが、その時の君が焼いた写真が、君の写真なんや。」

ああ、今ならもう少し上手く焼ける。
ちょっとはいい写真見せれるんだけどな。

その後僕は同じ尼崎市内で小さな引っ越しを何回かして、場所が遠のいてしまい、ちょっと店から足が離れてしまいました。わざわざ遠回りをしてでも最初は会いに行っていましたが、忙しさにかまけて、二週間とあけずに会っていたセキガワさんと、気がつけば数ヶ月に一回しか顔を合わせなくなり、いつのまにか一年くらい会ってないなぁ、なんてことになりました。

ある日不義理を恥じて店に向かうと、シャッターが閉まっていて、「体調が思わしくなく、しばらく休みます」と張り紙がしてあり、それから間もなく、セキガワさんの訃報を聞きました。
あまりにあっけなくてびっくりしました。
見た目には頑健そうな人だったのに。

・・・・・・・

今回の展示のプリントなら、ちょっとセキガワさんに見てほしかったなあと思います。

今回の展示の一番最初の写真。DMにも使ったこれ。
これはもう二十年くらいシャッターが閉じたままの、セキガワさんのお店なんです。

sekigawa

DMM750

(申し訳ございませんが、連載、しばらくお休みをいただきます。カマウチヒデキ)

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

今カマウチさんの原稿を読んではじめて知りました。
今回のわたしとカマウチさんの二人展のタイトルの由来に音楽の曲名が絡んでいただなんて。
しかもまさかこの場で種明かしだなんて。(展示、すでに終了済み)(本文とレビューを跨いで私信をするなという)

いやまあ、だからって、作る前にそれを知ったとしても何も変わらなかったと思うのですが。

しかし今回、出そうと思う写真群の中からの最終セレクトが、このタイトルによって変わったという部分は大いにあります。

タイトルがピシリと中心を射止めるようなものであるなれば、それに伴ってというか、引っ張り上げなければという気になって、自然と作るものの質のブラッシュアップが(自分の努力によって限界まで)なされてしまう、という恐ろしい力を秘めてるのだなと、今回身を以って知ることができました。

これが元々のわたしの提案のタイトルのまま、理屈っぽく、回りくどく(苦笑)進んでいれば、全く同じ写真が手元にあるのにも関わらず、全く違う選択をしてしまっていたに違いないのです。恐ろしい。

この場をお借りしまして、わたし(藤田)からも、二人展の盛況、御礼申し上げます。



写真を見て欲しいと思う誰かに、写真を見て欲しいという気持ちは、

「上手にできるようになった」という技術的な向上そのものを見て欲しい、というよりは、ことばが話せるようになったからもっと話そうよ、という気持ちに似ているとわたしは思っています。

例えるなら、以前よりも学んでいた外国語を流暢に(語彙も豊かに、意味だけでなく雰囲気も含めて)話せるようになった、とか、未成年のうちに出会っていたけど今はお酒を酌み交わしながら話せるようになったとか。なんというか、そういう周辺を巻き込んだコト。

話ができる、というのは、意味通りの会話が可能ということばかりではなく、広がりの端を打ち合える、というような、お互い持っているものの大きさを確認し合う儀式の末に、何かを見合うということのように思います。

写真は、写真という物体にことばが書いてあるものではないのですが、撮る人によってはとても芳醇な意味や解釈をもたせてくれ、まるでことばのように感じさせるものがあるためか、「写真を読む」という言い方もされることがあります。

今、自分は1枚の写真から何を言う事ができ、何を読むことができ、更には何を集めて何を語るのか?

勿論、そうすることばかりが大切ではなく、全てでもありません。
決定的瞬間がしかるべき時にしかるべき画角で切り取られていることということも、あの時の今が全てそこに写っているのではないかと思える記録性も、写真であって、そのちからであって、ことばやこころであるとも思っています。

そのあたりも含めて、「話し」なんだな、と、そんな風に思います。

数年後読めば、「何をわかったようなことを自分は・・・!」と 真っ赤になってしてしまうようなことを書いているような気がするのですが、写真とは、プリントとは何たるやということを、(背中を見るというだけであっても)教わったと感じる相手に対しての感情というのは、新しい言語を教わったようなものだと思えてなりません。

今回の二人展は、自分からすると、そのように写真のことばについて教えてくださった一人であるカマウチさんに対して、現地の若者よろしく、砕けたことばも使ってみせて話しかけてみた、そんな体験だったように思うのです。

それがあるからこそ、カマウチさんが昔プリントを教わったという古道具屋の店主さんに今はもう話しかけることが叶わない寂しさをつい想像してしまい、喉の奥が絞られる気持ちになりました。

「あなたと話がしたいです。」

それが叶わぬ寂しさは、愛する者をどういう形であれ、失った経験のある人には誰だって想像に足ることであり、日常に転がっている普遍的なものであるけれど、ふつうの会話と、「写真で」でしか話せないことばのようなものとの二重構造がここにはあったはずなのです。
ふたつの言語でふたつの会話を同時進行する二重構造と、その間を行き来するもので、決して単純ではない厚みが、その2人ならではの厚みであるということ。

それを失われた悲しみというのは、ただ大切な人を失くした辛さというものだけに留まらないように思われました。

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