高校生の頃、レンタルレコード屋というのが近所に出来、よく借りに行った。
LPレコードは当時1枚2800円前後だったと記憶するが、高校生の貧しい経済状況では好きなものを全部は買っていられないから、矢野顕子もYMOも渡辺香津美も、レンタルレコード店で借りてカセットテープに落として聴いていた。よくあんな傷つきやすいものをレンタル商品にしたものである。ハズレをひくと盤面傷だらけで針が飛ぶようなものに当たったりした。
自分で買ったLPレコードも、盤が大きくていちいち出してくるのは面倒くさいから、必ずカセットテープに録音して普段はそれを聴いていた。レコードを出してくるのはジャケットのビジュアルや解説を見たいときだけである。他の人は知らないが、僕はそういう扱い方だったな。
大学に入って一人暮らしを始めたころ、高校時代に買った安いステレオコンポのアンプが壊れ、修理代もままならなかったので2~3年ほどほとんど音楽を聴かずに過ごした時期があった。
在学中からミュージアム原始願望という劇団に所属し、カンテグランデでのバイトも始めたので多忙であり、実際音楽を聴く暇もなかった。なので部屋に音楽を聴く環境がないということがそれほど苦にならなかったらしいのだ。
そんな生活だったが、あるとき何だったか割のいい短期バイトがあって珍しく余剰の金ができ、それで中古のアンプが買えたので壊れたコンポをそれに繋げた。数年ぶりに、やっと普通に部屋で音楽が聴けるようになった。
それまで(買っても聴けないから)レコード屋にも足を向けていなかったのだが、そんなこんなで久しぶりにレコード屋に入ってみたのである。
「・・・・・・」
まるで浦島太郎のようであった。僕の知ってるレコード屋の風景ではなかった。
「CDしか売ってない!」
というような音楽の地殻変動が、僕が20~21歳頃(1988~1989年)に起きていたのだ。
もちろんCDというものの存在は知っていたが、出始めの頃はLPよりも1000円以上高額な値段設定だったし、「高いし、ジャケット小さくてつまらないし、あんなの売れるのかな」くらいにしか思ってなかった。
なのに、まさかLPが売り場から消えるなんて。しかもそれがほんの短い間に進行したらしいのである。
やっとこさアンプを買えたと思ったら、今度はCDプレイヤーも買わなきゃいけなくなったのだ。そういう意味でも激震であった。
CDが出始めたころ、音質面で、オーディオマニア方面からは評判が悪かった。音の高周波域と低周波域が一定値でカットされるので音が薄っぺらいのだという。
これは理屈としては、なんとなくわかるのである。後年、写真がデジタル化されたときに、印画紙では得られた連続諧調が、デジタルは明暗たった256諧調に振り分けられると知り、「ああ、あのときオーディオマニアたちが騒いでいたのは、要するにこういうことだったんだな」と腑に落ちたのである。
とはいえ、それは理屈の話だ。
僕が買うようなショボい音楽再生装置でそれがわかるのか、というと、まぁ、正直わからない。レコード針の針音が入っていないだけCDの方が綺麗に聞こえたし、マニア以外のたいていの人はそう思っていただろうと思う。取り扱いも簡単になり、盤面の傷とかに神経質にならなくて済むようになった。値段もLPと同等くらいに下がった。手軽だし便利だし高くもない。
そりゃみんなCDに流れるよね。
しかしである。
最近、ものすごい体験をしたのだ。
デジタルとアナログの本質に関わる話である。
アナログと言っても、LPどころではないもっとアナログな話なのである。
いやぁびっくりした。僕が知らなかっただけで当たり前の話なのか。本当に?
そのびっくりした話を、ちょっとあなたにも聞いてほしい。
能や義太夫の研究・史料収集をされている二十歳年上の男性K氏と、最近史料写真の複写を手伝った縁で仲良くなり、何度かご自宅に遊びに行かせてもらった。
最初はロン毛の僕を見てロック系の音楽をやる人に見えたらしく、そういう意味で「あなたは何か楽器をやるの?」と尋ねたのだと思うのだが、僕が所持しているのがエレキギターならぬクラシックギターであり「下手くそながらバッハを練習してます」と告げた途端に「家にはグールドの珍しい盤もたくさんあるし、シゲティの無伴奏のSP盤とかもある。ぜひ遊びにおいでなさい!」と熱烈に招待を受けた。
なんとK氏は相当なバッハ狂でもあるのだった。
能や義太夫、バッハ、他にもクラシック系のLP、SPが棚に溢れんばかりに並べられ、グールドなんかインベンションだけでモノラル盤、ステレオ盤(当時は同じ音源でもわざわざ二種類発売していたとのこと)、さらに国内盤と海外盤(音質が違うらしい)、という風に何枚も出てくる。相当なマニアである。
設置されているLPプレイヤーも、カートリッジ(針の振動をピックアップする部分)だけで十数万円するといい、しかもステレオ用とモノラル用を使い分けるらしい。言わずもがなアンプやスピーカーも相当良いものなのだろう。
山ほどあるLP、SPに比べCDの数は少ない(それでもかなりあったが)ので
「CDって高周波域をカットして倍音が消えてるから音質的にショボいって言われてますけど、そんなに違うんですか?」
と聞いてみた。これだけ高品質な再生装置があるなら僕にだってわかるかもしれないと思ったのだ。
「そんなの一目瞭然だから聴いてみたらいいですよ」
と同じ音源のバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタをSPとLPとCDでかけてくれた。
SPなんて、実際に目の前で聴くのはほぼ初めてである。
SPはLPよりもさらに昔の形態であるから、イメージとして写真に例えるならば、フィルム写真どころかガラス乾板時代の写真くらいの感じだろう。
SPレコードを聴くには蓄音機が必要である。
蓄音機は、前述の劇団の公演で小さい卓上機を小道具に使ったことがあるので劇中で鳴った音楽だけは知っているけれど、この部屋に据えられていた蓄音機は、ラッパ部分(ホーン)が外に露出した卓上用のアレではなく、ホーンを筐体の中に内蔵し、折りたたむように伝声距離を長くして音量を大きくした巨大なものだった。高さで言うと1mちかくある。こんな本格的なものは見るのも初めてだ。
動力はゼンマイである。電気を全く使わない構造なので音量調節もできない。ホーンの長さだけで音量が決まるのだ。
結論から言って、本当に「別物」であった。
たしかに鉄針が盤面を擦る針音はうるさい。ザーザーと音楽の前面に被ってくる感じ。しかしその針音の後ろから聴こえてくるヴァイオリンは、録音とは思えない生々しさで、そう、まるでシゲティが目の前でヴァイオリンを弾いているようなリアルさで聞こえてくるのだった。
CDの同じ音源は、録音時にも生じるであろう針音がデジタル処理で除去されているという意味では「高音質」であったが、蓄音機の生々しい音を聞いた後では、やたら平板な、カスカスの音にしか思えなかったのだ。巷間言われている「CDの音のショボさ」というのはこのことなのか!
もちろん、劇団で使った卓上機とはモノが違うというのはある。それにしてもSPレコードというものを完全に侮っていた。これは凄い。
驚いている僕に、次に聴かせてくれたのは義太夫のSPである。「菅原伝授手習鑑」道明寺の段。演者・豊竹山城少掾、三味線・鶴澤清六。
ヴァイオリンの音でもびっくりしたけれど、人声ともなるとますますリアルである。SPなのでもちろんモノラル録音なのに、前面で鳴る三味線の後ろから大夫の声が、ちゃんと位相が分かれるように聞こえ、そして、目をつむれば、目の前すぐ近くで大夫が声を発しているようにしか思えないのだ。息さえかかってきそうな臨場感だった。
正直、感動を通り越えてむしろ恐怖でさえあった。
死者の声を生々しく残す機械。
SP盤というものは、音による空気の振動を微細な針の動きに受け取り、それを盤面に刻むことによって「振動のコピー」で録音をする。そのコピーされた振動の軌跡(レコードの溝)からもう一度振動を複製したものがホーン(ラッパ)で増幅されて音になる。電球を発明したエジソンが作ったくせに、電気が全く介在していないのだ。
不思議なのは録音・再生の原理としてはほぼ同じなはずなのに、SPとLPを比べても「生々しさ」(目の前に居る感)はSPの方が上であることだった。もちろんすべてではなく、オーケストラのような楽器数の多い音源ではSPは原理的に無理があるようで音が籠ってしまう感じなのだが、楽器の独奏や、数本の楽器に人声、みたいな音数の少ないジャンルでは圧倒的にSPの方が生々しいのである。
「原理は同じはずなのに、どうしてLPよりSPの方がリアルに聞こえるんでしょう?」
「LPは音を電気で増幅しているからですかね」
おおお。なるほど!
生音のアコースティックギターと、アンプを通すエレアコの違い。と考えればいいわけだ!
蓄音機はまさにアコースティックな楽器なのだ。
衝撃の体験だった。
・・・・・・
写真も昔はそうだった。
目の前の人の姿をレンズを通してカメラの中に仕込んだ銀塩フィルムに(さらに昔ならばガラス乾板などに)結像させ、それを光の明暗として記録する。機械式のカメラしかない時代は、もちろんカメラの撮影操作に電池も要らない。明暗を化学変化で写しとるだけである。
印画紙上に定着された人の姿のリアルさに写真黎明期の人々は驚き、ときに恐怖を感じるくらいであっただろう(写真に写ると魂が抜かれる、等々)。
蓄音機から聴こえてくる義太夫節のリアルさに、本当に大袈裟でなく、歌う人の息までかかりそうな存在感と、いるはずのない人を側に感じる恐怖のようなものすら覚える。とっくに亡くなったはずの人の声が、ありありと針音の後ろから発せられているのである。
写真と録音は、そういうところで通じる。現実を複製する装置というより、過去と現在を攪乱する装置でもあったのだ。
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(素晴らしい体験をさせてくださったK氏に感謝を。)