雨が降りだすときの感じが好きだ。さーっと空気がざわざわしたような気がして、ちょっと遅れて匂いがやってくる。夏には湿気の帯が、秋や冬には冷気のかたまりが、雨と一緒に現れる。傘を持っているときには地面を見下ろし、持っていないときには雲に覆われた空を見上げ、降ってきたか……ともう一度、自分に言い聞かせるように、思う。
なかでも特に、熱帯の森にスコールが降るときには、いつもうっとりしてしまう。早朝、調査小屋を出発するときに、現地の調査アシスタントが「今日は雨が降る」と言う。そう言われても、心なしか空気が甘く匂うほかは、いつもと同じ空が広がっている。けれど、ちょっと時間の経ったお昼前とか、午後の早い時間に、わたしにも突如、スコールの兆候が感じられるようになる。
はじめに風が吹く。虫と鳥の声と葉っぱを踏む音が響く森のなかで、突如、木々の枝がぶわっと揺れて、涼しい風がさーっと抜けていく。風が吹きはじめると、空は目に見えて濁っていく。林冠のすきまから射しこんでいた太陽の光の線はすぐに消え去り、幾重にも繁茂した枝や葉に覆われた林床は、まるで夕方になったかのように、だんだん薄暗くなっていく。やっぱり雨なのか……と思いながら、カメラを防水バッグにしまったり、リュックサックに防水カバーをとりつけはじめる。
風が吹きはじめてからだいたい20分くらいで、林床は薄闇に包まれ、そしておもむろに、ずっと頭上のほうで、大きな水の粒が葉っぱに当たる、ばし! ばし! という音が聞こえはじめる。音はすぐに何千倍にも拡大して、ひとつひとつの聞き分けがつかなくなる。葉っぱにさえぎられて、しばらくのあいだ、わたしたちのいる林床にはあまり水滴が落ちてこない。このときに急いで、レインポンチョをかぶり、折りたたみ傘を広げる。ちょうどよい倒木に腰かけられたり、リュックを木の枝に引っかけられたりしたら、なおのこと良い。降りはじめた雨はしばらくやまないし、雨の降っているあいだは、観察対象のサルたちもじっと雨宿りをしているのだ。
葉っぱや枝が濡れきると、雨は容赦なく林床にも落ちてくるようになる。この頃にはもう、雨というより、ただただ大量の水が上空から落ちてくるようなことになっており、ザーどころではなく、ドーッ!! という音が周囲を包んでいる。大声をはりあげなければ、数メートル離れたところに座るアシスタントと会話もできない。場合によっては、雷が空気を切り裂くこともある。雨にすかしてようやく見える、枝の上のサルから目を離さないようにしつつ、手加減のない雨水に囲まれて、しかし、妙に落ち着いた気分になっている。
雨は数十分してやむこともあるし、降りつづくこともある。ここ熱帯の森の雨はほとんどの場合、たくさん降っているか、やんでいるかのどちらかで、小雨の状態は存在しない。雨がつづけば、観察もできないし、サンプルも集められないし、なにより崖崩れや倒木などの重大な危険があるので、その日の調査は終了ということになる。「Balik! (帰ろう)」というアシスタントの声を合図に、わたしたち一行はてきぱきと調査小屋に戻る。
行きには小道だった小川を飛びこえ、ぬかるみを注意深く避けながら、雨を境にがらっと変わった森のなかの様子をちらちらと眺めている。風が吹いて、空が暗くなったときの、風の匂いや光の感じを思いだしながら、どこか夢を見ているような気分のまま、森を歩く。
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雨が降って、街の様子が変わるのも好きだ。空はべったりと灰色になり、密度が低い光のなかで、建物も道路も街路樹も雨に濡れて、いろいろなものの色が暗色方向に強調される。鼻から吸いこむ空気は湿っていて、喉の奥でざらつくとげとげしさがない。昼間は夕方のような重々しさとなり、夕方は夜のような静けさに包まれる。
雨のなかでは、まわりの空気と皮膚との境界線がにじんでいくような感覚におそわれる。ビルの隙間から空を見上げると、海水面から射しこむ暗い光のなかで、海底をゆらゆらと行き来する孤独な魚になったような気分。湿った大気のなかに溶けていきそうで、しかし、皮膚の表面には水の被膜がはって、むしろ、ヒトやモノとの距離は遠くなる。見通しも悪くなるし、音が吸い込まれるし、傘をさしているとなおさら、雨のなかでヒトやモノから隔てられている感覚が強くなる。さみしいような安心したような気分で、すぐに忘れてしまうようなことを、頭のなかではあれこれ考えている。
布団に入った後で雨の音を聞くのはひときわ好きだ。雨音を聞きながら、絶え間なく落ちてくる水滴が静かに大地を浸していく様子を想像していると、いつのまにか、意識は眠りのなかに吸いこまれている。夜半、眠っているあいだに強い雨が降って、覚醒レベルの下がった頭にぼんやりとその音が聞こえるときには、なんだか夢が濡れているような気になってくる。起きたときにはすでに雨があがっていたりすると、あの雨音は、夢とうつつのどちらに属していたのだろうか……と悩むこともある。濡れたはずの夢はどこかに行ってしまって、もはや確かめようもない。
家のなかから雨の風景を眺めているのも良い。いざ外に踏みだすとちょっとめんどうで、冷たく濡れる雨も、ここにいれば降りかかってくることはない。仕事の手を休めてぼんやりしているあいだ、雨にけぶってふだんとは違って見える景色に見入ってしまう。道を過ぎていく人の傘がいろいろな色をしているのも楽しい。向かいに見える雑木林のうえではリスや小鳥が、そして次にはカラスが枝から枝を渡りまわっていて、雨に降りこめられて退屈だから遊んでいるかのよう。がさがさ騒ぐ声も、ここまで届いてくる。
水滴の様子も愛らしい。細い雨が集まって、電線に水滴のかたまりをつくり、重くなっては風に流されて落ちていく様子。風向きによって、窓にばしゃばしゃと吹きつけてくる雨の流れ落ちる線。車の窓に点々とついた水滴に、さまざまな色をした街の灯が反射してきらきらする夜。早朝や夜の水たまりでは、光に照らされて漆黒に反射しているところだけ、雨粒の着地する波紋が見える。いつまでだって見ていたいのだけれど、いつもなにかと忙しさを理由にして、すこし眺めて感心しては、すぐに目を切ってしまう。
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熱帯の森で調査をするときには、いつも、研究者はひとりで、あとは現地の調査アシスタントが数名。下界からは鬱蒼とした森に隔てられた調査小屋で、数週間から数ヶ月を過ごす。
しかし、最初にこの森に入ったときには、先輩の研究者がひとり一緒で、数日だけ滞在し、調査の基礎や小屋の使い方を教えてくれた。はじめての調査をつづけるためにその後しばらく滞在するわたしを残して、その先輩研究者が帰る日、彼女は、「はい、プレゼント」と言って、ホットケーキミックスをわたしにくれた。
朝からずっと雨が降っているような日には調査がお休みになり、貴重な調査の日数が減ってしまうけれど、いたずらっぽく笑いながら、実はそういう日もけっこう好きなのよね、と彼女は言う。そういう日には、調査小屋で朝からホットケーキを焼いて、コーヒーでも飲みながらゆっくりデスクワークをすると良いよ、と。
その後も、何度も現地を訪れて調査をつづけているけれど、幸か不幸か、雨に降こめられてゆっくりホットケーキを焼く機会にはまだ恵まれていない。ホットケーキミックスは、アリやネズミよけのプラスチックボックスに入れて、お守りとして、まだ調査小屋に置いてある。