岡山に工房を持つガラス作家、平井睦美さんの展示を、2〜3年に一度のペースでやらせていただいています。吹きガラスをベースに、サンドブラストという技法で、表面の削り出しと仕上げを行ったものです。本人曰く、ガラスの成形以上に削る仕事に心血を注いでいるというだけあって、実際に手にとって見た多くの人たちから、驚きの声があがっていました。とりわけ、今年の新作で初めて観た細かなドット柄のグラスや花器は、その緻密さの向こうに素材と対話を積もらせる作家の想いが透けてみえ、手にした器を眺めながら、遥か遠くのわけのわからない宇宙へ意識が跳んでいくように感じます。手のひらの上から、自分とは異質な感性の世界が広がりおいでおいでと手招きをされる感覚は、芸術表現に触れる醍醐味です。
いわゆる作家ものの器は、近頃見かける駅前やロードサイドのインテリア雑貨チェーンの「それっぽい」ものと5倍くらいの価格差があります。当然、買う方も真剣な眼差しで、綺麗だけど大きさがちょっと足りないなど、ギリギリのところで購入に結びつかないこともあります。だから、めでたく購入が決まった時は、作家とお客様が固い握手で結ばれたような気になります。
以前、土物の産地のギャラリーに伺ったときには、工芸作家の価格相場は、前述の量販雑貨店などの影響もあり、数年前よりも3割程度下がってきていると聞きました。昔は安い食器というと、駅前の露店などに並ぶ瀬戸物の安売りなどで買うもので、もちろん今でも時々見かけますが、やっぱりそれなりの品で、実用的ではあっても、所有する喜びに欠ける点は否めず、少々高くても作家ものを日常で使う感覚というのは確かにありました。現在はどうなんだろうか。長い時間をかけて、色々な産地をまわり、実際に買って生活で使いながら、その作家の良さを知っている僕たちは、お客様にどのようにこの価値を説明すれば良いのか?ずっと考えています。
良いもの、本物を所有し、生活をすることとは、日々の所作が良くなることかと近頃思うようになりました。
それは、綺麗なものや、かわいいものを身の回りに集めてほっこりしたり、癒されたりという感覚とはかなり違う位置にあると思っています。毎日の立ち振る舞い、暮らしぶりがどんどん美しくなっていくことに喜びを感じられる、あるいはそうありたいと願う人は、数百円で「割れても心が痛まないもの」ではなく、最初から大事に使いたいと思うようなものを手にする方が、より自分が望んでいる世界に近づいていけると思いますし、そのための自己投資としての数千円は決して高い買い物ではないと思っています。