先日鳥取県は赤崎という小さな港町へ出かけてきました。
目的は日本のピクトリアリズム期を代表する塩谷定好さんの記念館に一度行ってみたかったのです。東京ではあまり話題にのぼることが少ないですが、大正モダンの時代から綿々と続く「芸術写真」の聖地なのです。はたして、鳥取駅から汽車を乗り継いで2時間弱、赤崎の駅に降り立ったのですが、黒く焼かれた西日本杉板壁と黒っぽい瓦葺きの低い屋根の建物が、肩を寄せあうように街道沿いに続くとても魅力的な街並みが印象的です。細かく観察すると、引き戸の玄関から、明かり取りの小さな窓のディテール、部分的にあしらった豆タイルの艶やかなサーフェースなど、かつての繁栄ぶりが偲ばれる宝石箱のような景色にすっかり魅了されてしまいました。
聞けば、やはりこの街も北前船の寄港地であって、かの塩谷家も廻船問屋であり船主でもあったそうで、記念館の中は、油絵の具を使ってフィニッシュされた美しい写真作品はもちろんですが、床の間の螺鈿仕上げの棚板や、まっすぐに木目が走る珍しい南洋材の柱の美しさもおもわず息を飲む素晴らしさです。
二階の広間へ上がらせていただき、そこのガラス越しに海から入ってくる光を見た時、多くの山陰の写真家たちが残してきた数々の名作の数々を想いました。
太平洋側に暮らしていると、日中の海の景色はだいたい逆行気味で水面がきらきらと輝きますが、山陰の海は常に太陽を背に眺める順光で、しかも空は薄く低く雲が垂れ込め自然のディフューザーであり、とても柔らかい光に包まれています。この光の特性をこの地域の作家さんたちは積極的に活かしながら、この地域独特の表現を生み出していったのかと、この「光の間」に身を置いた瞬間、全身から鳥肌が立つほどの感動を覚えました。
この地の光を受けとめることは、写真における模写のようなもの。画面構成や、カメラポジションをいくら真似ても補えないもの。それは光です。この土地に立つことで、初めて気づいた順光で眺める海の美しさ、海から差し込んでくる光のきめ細かな泡立ちのような世界。
同じ場所に身を置く。山陰の珠玉の名作を深く知りたければ、日本海に向かって立つ、見るだけでも様々なことがわかります。
記念館を後にして、すぐ目の前の海へ出て、深く深く深呼吸をして、街を後にしました。