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ずっと僕の写真展を見てくれている人たちはご存じの通り、僕の写真は全部横長か正方形だ。
いや、全部は少し言い過ぎで、2009年の中村浩之氏との二人展『叙情寫眞』には何枚か縦位置の写真が入っていたが、それを最後に縦位置の写真はやめてしまった。
展示の壁面には正方形なら正方形、横長なら横長の写真だけが並ぶ方が、なんとなく壁面として綺麗である。縦横が混在するとデコボコするし、落ち着かない。そう思ったのだ。
ならば縦位置の写真ばかりで写真展をしてもよさそうなものであるが、なんとなく、写真とは横長であるべき、みたいな旧弊な考えに縛られているのであろうか。普段の写真を縦で撮る、ということはしないのである。
自分で書いてて自分の無意味な頑なさに呆れかけているのだが、まぁ呆れずに続けることにする。
人物写真を撮る仕事なので、仕事の写真は9割がた縦位置だ。もしかしたら仕事の写真は縦、自分の写真は横、みたいな整理を頭の中でしていたのかもしれない。
仕事以外で人物を撮ることもある。そのときは平気で縦位置で撮るのだが、小さいグループ展以外に人物写真の展示というのはしたことがないので、そこで悩んだことはなかった。人物撮るときは縦でも良い。何その都合のいいルール(呆
人間の目は左右に配置されているから、人間の視界も横に広い。なので写真は横長が自然である。・・・という考えも、どうやら怪しい。
人間の視界って本当に横だろうか? ふと疑問に思って実験してみたのである。視線はまっすぐ前を見たまま、左右の親指を立てて鼻先から左右に広げていき、親指の姿を認識できなくなる距離を測る。同じことを上下でもする。
結果、視界の広さはおおよそ左右6対上下5、といったところだった。確かに横長ではあるが、案外縦横比は大きくないのだ。視界は横だ! と決めつけるほどでもない。ざっくり円形。縦ではないな、という程度だ。
現在あるカメラのアスペクト比で、5:6に一番近いのは、ペンタックスやマミヤ等が作っていた6×7判である。人間の視野に近いというならばこ6×7判を一番好きになりそうなものだが、実のところ僕はこの6×7というフォーマットが苦手である。正方形がちょっとだけ伸びたような半端な比率。一度だけ大木一範さんとの二人展(2008年ギャラリー・マゴット『GACHINKO』)でペンタックス67を使ったことがあるけれど、その撮影中に腰痛に見舞われ、暗室でも脂汗を流しながらプリントしたという悪い思い出の加味もあるのかないのか、どうもこの6×7は好きになれない。落ち着かないのだ。
なので結局視野に近いから、という理由もどうやら牽強付会らしいことがわかった。

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正直に言うならば、僕は本当は正方形の写真が好きなのである。
ゼンザブロニカS2、ミノルタコードオートマット、ペンタコンシックス、海鴎、ニューマミヤ6といろんなカメラを使った。
6×6フォーマットで75~80mmの標準レンズで撮るというのが、自分の視神経と身体感覚との綺麗なつながりとでもいうか、要するに撮ってて気持ちが良いのである。生理に合うのである。
上記カメラの中で一番手と目に馴染んでいたのはブロニカS2だ。和製ハッセルブラッドと言われたカメラで、形状は似ているが、ハッセルほどデザイン的洗練のないのがかえって愛着が湧く。盛大なミラーショックと破壊的な爆音がするミラー昇降で、公園で撮ったら公園中のハトが驚いて一斉に飛び立ったという逸話も聞くけれど、実際に阪神尼崎駅のハトの群れに向けてシャッターを切ってみたが、尼崎のハトは図太いのか一羽も飛ばなかった。
ブロニカS2の標準レンズは当時ニコンが供給しており、35mm判のニッコールレンズとは違い、なんだか線の太い感じの、大らかな写りのするレンズだった。アグファのAPX400というモノクロの中判フィルムが当時1本250円で買えたので、千円札を握りしめてヨドバシへ向かい、4本買ってその4本をその日のうちに撮り切る。現像液はロジナール。印画紙はオリエンタル。よく自分でも飽きないものだと思いながら何年もその組み合わせで撮っていた。
なので理想は、そのブロニカに装着できる6×6フルサイズのデジタルバックが開発されればいいのだけれど、まぁ、そんな話があるわけがない。
生理に合うからそのままの心地よさでデジタルで使いたいというのはわがままだろうか。気持ちが良いから撮れる写真というのはたしかにあるけれど、気持ちの良さに引っ張られるばかりの写真というのもどうなのか、と考えもする。自分の生理に合うカメラばかり使っていると、自分の心地よさから外れた写真を撮りにくくなるかもしれない。自分の生理的心地よさへの抵抗として写真機が介入する、そういう写真もときに必要だからだ(そのときは別のカメラ使えばいいだけだが)。

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写真は横か縦か。もしくは正方形か。
いろいろうだうだ考えてみたけれど、本当は写真の縦横比、そして大きさというのは、写真そのものが要求するものであって、使う機械に左右されるべきものではない。理想的に考えるならばそうだろう。
眼前の光景が要求する縦横比とサイズ。
機械の条件に依存した写真というのは、いうなれば定型詩のようなものかもしれない。俳句や短歌にも定型ゆえの自由の深度というものはあるが、その型から外れたくなったときにどうするか。
最近フジフイルムから発売されたレンズ35mm固定の1億2千万画素のカメラは一つの回答なのかもしれない。
あり余る画素(トリミングし放題である)に多彩なアスペクト比。いうなれば昔新聞記者が大判(4×5)の手持ちカメラで撮ってトリミングによって画角を決めていたような使い方ができそう。
レンズの焦点距離の特性もクソもない。切り出す、という写真の作り方。いろんな手癖を捨てて、生理的な心地よさも捨てて、なんか新しいものが撮れそうな気がしませんか?
飽きそう? まぁ、たしかに。80万円超の高価なカメラですぐに飽きちゃったら、目も当てられないな。
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と、いろいろ考えてみたけれど、8月の藤田莉江さんとの二人展は、今まで通りの横位置ずらりで行く予定です。
それがオチかい(笑
