Reviewed by
藤田莉江
カメラを手にして歩くと、視線は常に何かを探している状態になる。
「探す」とはいえ、「探す」という訳でもないのだけれど。
例えば花ばかりを撮っている人ならば、「どこかに花は咲いていないかな?」と、足元を探しつつ歩くこともあるだろうけれど、街や自然の合間をカメラ片手にぶらついて、「見つかる何か」を探す人にとって、アテをつけて探すというようなことはできない。
探したからといって見つけられる訳でもなく、別段探さなくっても時にふいに見つかるし、けれど探さないとなかなか見つからない。探してもそう簡単には見つからないのだけど、しかし、でも、探す。何をという訳ではなくとも。探し物に出会える確率を、コンマ以下の確率でだって上げるために。
さて、探す、探すという訳でもない、とか言いつつ結局何を探したいのか。
スナップにおいては、カマウチさんとわたしは撮影スタイルが似ているとわたしたち(と、その写真)を共に知る方に言われたことがある。(わたしもそう思う。けどカマウチさんはどうかしら。)
スナップをする時、自分は何を探してるのか、といえば「あっ」と思う瞬間か場面そのものを探している。
もしくは、そうやって反応する自分自身を探している。で、撮る。
それだけといえば、それだけ。
というか、わたしたちだけじゃなく、スナップをする人の多くはそうなんじゃないかな、とは思うけれど。
勿論、見つけてから写真にするまで、どういう変革を起こすのか、起きるのか、ここでまた大きく写真は変わるのだけれど、スナップの醍醐味はというと、その「あっ」のために、どういうところに焦点が合う目でもって歩くのか、ということだ。
そして「あっ」の中にも、「・・・あ。」とか「アアアア!!!!!!」とか「嗚呼、」とか「あ??」もある。
誰かのスナップショットの中に、どんな種類の「あっ」を見つけるのか、それが見る側の楽しみ方の一つではなかろうか。
歩く、歩く、歩く。走る。そうしてうまれる写真たち。