ちょうどテーブルには、ネズミがいっぱいたかっているさいちゅうでした。
ネコは、ネズミを見ると、人にいわれるまでもありません。いきなり、船長のうでからとび出して、いくらもたたないうちに、そこらじゅうにいたネズミどもを、ほとんどのこらず、足もとになぎたおしました。あとのネズミは、命からがら、巣ににげ帰りました。――イギリスの昔話『ディック・ウイッチントンとネコ』
今回も、イギリスに伝わる物語です。
エドワード三世の頃のこと。ディック・ウイッチントンという身よりのない男の子がいました。大都会にあこがれを抱いたディックはロンドンへやってきます。ロンドンでは道に金が敷いてあると思っていたのに、泥ばかり。お金もなくうえ死にしそうなディックでしたが、親切な商人に拾われ、料理番の手伝いをすることになりました。ところで、ディックのベッドは屋根裏部屋にあり、毎晩ネズミに悩まされていました。そこでディックは思い立ち、ネコを一ぴき買ったのです。
それからまもなく、ディックのご主人は外国へ商売に行く船を一そう仕立てました。そのころ、船を出すときには、家のもの皆が、運試しになにか商売するものを船に乗せることになっていました。お金も品物もないディックはネコを船長に差し出しました。それからしばらくして、料理番のひどい仕打ちに耐えられなくなったディックは家から逃げ出します。ハロウェイというところに来たとき、ボウ教会の鐘が鳴り、それはディックに、こう言っているように聞こえました。
「もどってこうい、ウイッチントン!三度、ロンドンの長となる!」ロンドンの市長になれるというなら、とディックは家に戻ります。
さて、船に乗ったネコはどうなったのでしょう。船はムーア人が住むバーバリという国に着いていました。王様の御殿で船長が見たものは、ごちそうをたいらげるたいへんな数のネズミたち。この時、商人は、ウイッチントンのネコのことを思い出したのです。そこで、商人が御殿にネコを放すと、ネコはあっというまにネズミを退治したではありませんか。ネコのおてがらを喜んだ王様はたくさんのお金と贈り物をくれました。イギリスに住むディックのもとにその話は伝えられ、ディックは大金持ちになりました。そして、商人の娘と結婚し、鐘が言った通り、三度ロンドンの市長となりました。
この物語の主人公、ディック・ウイッチントンには実在のモデルがいます。エドワード3世の頃―14世紀に絹織物商として名を成したリチャード・ウイッチントンです。言い伝えでは身よりのない貧乏な子としてえがかれていますが、実際は裕福な家庭で育っています。彼は4度ロンドン市長を務めたほか、国会議員や保安官にもなり、生涯を公共事業や慈善事業に費やしました。ディック・ウイッチントンの話は、イギリスでは知らない人のいない有名な伝説です。
絵は、猫がネズミを退治している場面です。猫の体に描かれている船や背景に描かれている幾何学模様は、時代背景や場所を調べ、写真などを参考に描きこんでいます。商人が船で着いた国は、今でいうところの北西アフリカにあたり、ムーア人はイスラム教徒でした。その頃の雰囲気が伝わるでしょうか。
=^..^=出典:『イギリスとアイルランドの昔話』(石井桃子編・訳 ジョン・D・バトン画/福音館書店)より「ディック・ウイッチントンとネコ」